第20話 和解と戸惑い
終始気づかわしげなラナに入浴を手伝ってもらった後、寝衣に着替えて部屋の明かりを落とす。
寝るにはまだかなり早い時間なのだけれど、何かをする気力も起きないから寝てしまおうと思った。
ベッドに入るけれど、やっぱり目がさえて眠れない。
もう一度魔道具のランプに火をともし、薄暗い部屋の中ソファに深く腰掛ける。
……怒ってしまった。アルフレッド様に対して。
私、どうしてあんなに冷静さを失ってしまったのかしら。愛することはないと言われたときも、少しも腹が立たなかったのに。
そもそも離縁は最初から決まっていることなのだから、その後のことをアルフレッド様が心配してくださっても感謝こそすれ怒りや悲しみを感じる理由なんてないはずなのに。
自分で自分がよくわからない。
でも……アルフレッド様の口から、ほかの男性を紹介するだなんて話を聞きたくなかった。その言葉を思い出しただけで胸が痛む。
そういえば、怒るなんていつぶりだったかしら。いつの間にか、自分の中で怒りも悲しみも感じづらくなっていた。
アルフレッド様といると、イレーネ夫人に感情がない薄気味悪いと言われていた私も、人間らしい感情を持った人間になっていく気がするわ。
だからって良くしてくださっているアルフレッド様に対してあんな態度をとるなんて。きっと気分を害されたわ。ましてや誕生日当日に。
謝罪しなくては。
そんなことを考えているとノックの音が聞こえて、飛び上がった。
ノックの音はアルフレッド様のお部屋から。
緊張しながら扉を開けると、アルフレッド様がそこに立っていた。
彼の顔は強張っている。やっぱり怒っていらっしゃるのかしら。ああ、なんだかいつも以上にアルフレッド様が大きく見えるわ。
「あの、アルフレッド様」
「も……」
「も?」
「申し訳ない。すまない。俺が無神経だった」
アルフレッド様が思い切り頭を下げる。
「そ、そんな。私こそあんな態度をとってしまい申し訳ありませんでした。怒るようなことでもないのに」
「いや違う、本当に俺が悪かったんだ。心から詫びたい」
「いえ、私が……」
部屋がしん、と静まり返る。
このままだと永遠にお互いの謝罪が繰り返されそうな気がする。
「ひとまずこちらに来てソファにお掛けになりませんか?」
「あ、ああ。そうさせてもらう」
長いソファに、昨日と同じように少し距離をあけて隣に座る。
アルフレッド様が自分の膝の上で手を組み、長く息を吐いた。
「昨日のこと、本当にすまなかった」
「いいえ、こちらこそ。せっかくのお誕生日でしたのに、嫌な思いをさせてしまいました。申し訳ありません」
「いや、君が不快に思うのも当然だ。だが、一つだけ言い訳させてくれ。君を誰かに押し付けたいとか、そういう意味で再婚の話を出したんじゃないんだ。俺との結婚のせいで君のように若く美しい魅力的な女性が子を持つこともなく一生独身で終えてしまっては申し訳ない、君に幸せになってほしいと思ってのことだった」
「はい」
美しい、魅力的とさらりと言われたことにドキッとしてしまう。
男性にそんなふうに言われたことがなかったから、たとえ話の流れでそんな言葉が出ただけだとしてもうれしく感じてしまった。
単純ね、私。
「だが、それは間違いだった。頼まれてもいない再婚相手の話を出すのはとても失礼だし、君の幸せを俺が考えるというのも傲慢だ。だから、君が望まないことは一切しないし、君が何かを望むのなら可能な限りそれをかなえようと思う」
「ありがとうございます」
「……許してくれるだろうか」
アルフレッド様がそんなふうに下手に出てくださる必要もないのに。
でも、そこまで私に気を使ってくださったのだと思うとうれしくなってしまう。
「もちろんです。もう怒ってなんていません」
笑顔を向けると、アルフレッド様がわずかに目を見開いた。
その耳が赤く染まっているような……気のせいかしら?
アルフレッド様がぱっと顔をそらす。
「よかった。正直、気が気じゃなかったんだ」
「すみません、私のせいでご不快な思いを」
「そうじゃない。どうやら俺は、君に嫌われるのが怖いらしい」
「え?」
アルフレッド様がはっと息をもらす。
「何を……言っているんだ、俺は」
「ふふ、アルフレッド様が私に少し心を許してくださったということでしょうか。だとしたらうれしいです」
「……そうなのかもしれないな。今までこんな風に女性の隣に座って話すなんて考えられなかったから。俺は女性が怖かったし、女性も俺を恐れた」
「そうなのですか? アルフレッド様は暴力や暴言などとは無縁ですし、恐れる理由はないと思うのですが」
多少ぶっきらぼうなところがあったし女性を近づけようとしなかったから、そのあたりが理由だったのかしら?
たしかに私も初対面のときは少し怖そうと思ったものね。
「暴言はなくても失言は……いや、自虐で蒸し返しても仕方がないな。特に貴族社会ではスラリとした優しげな貴公子が好まれる。俺は体格もいい方だし顔に大きな傷もある。目つきも鋭いらしいし、女性からすれば恐ろしく見えるのだろう」
「その傷は魔獣によるものでしょうか?」
「ああ」
やっぱりそうだったのね。
魔獣に顔を傷つけられるなんて、どれほど痛くて恐ろしかったか。
「こんなことを聞くのはなんですが、魔獣を相手にするのは恐ろしくはありませんか?」
「まったく恐怖がないわけじゃない。だが、騎士たちが命をかけているのに領主である俺がのんびり城にいるわけにもいかないだろう。辺境伯自ら先頭に立てば士気も上がる。そのために幼い頃から剣術や弓術を学んできた」
「アルフレッド様は本当にご立派な方ですね。頭が下がります。その傷は、もう痛くはありませんか?」
アルフレッド様が微笑する。
「もう痛くはない。醜い傷跡だが、俺は気にしていないしむしろ寄ってくる女性が減ったのは幸いに思っている」
「少しも醜くなどありません。アルフレッド様が勇敢に戦ってくださった証です。これより以南の者はグランヴィル家の方々とガーランド辺境伯領の騎士達に守られて生きてきたも同然です。ご恩返しがしたいと思ったのは、食事が美味しい以外にもそのことにほんの少しでも報いることができたらと思ったからなのです」
「ありがとう。そんな風に言ってくれる貴族の女性は君だけだろう」
「そんなことはないと思うのですが。私など自分のことで手一杯でしたし、アルフレッド様を本当に尊敬します」
だから、少しでもお役に立ちたい。
契約結婚でも女性恐怖症の克服でも、それでお役に立てるのなら。一年でお別れすることになっても、私はそれでかまわない。
……そう、思ってきたのに。
生活がもとに戻ることはともかく、アルフレッド様とお別れすることに寂しさを感じ始めている。
もう会えなくなるのかもしれないと思うと、胸が痛む。私、どうしてしまったのかしら。
けれどこの気持ちは悟られないようにしなければ。お別れするときに、アルフレッド様の心の負担にならないように。
「君の手のひらを、見せてくれないか?」
「手のひらですか? ええ、どうぞ」
アルフレッド様に差し出して見せた私の右手は、あちこち硬くなったり傷跡があったりひび割れたりして美しいとは言い難い。
これでもここに来てからだいぶ綺麗になってきたのだけれど。
「ふふ、貴婦人らしくはない手ですが」
「だが美しい手だ」
「え?」
アルフレッド様が、私の手を下から支えるようにかるく握った。
心臓が、大きく跳ねる。
「君は俺の傷跡が醜くない、俺が勇敢に戦った証拠だと言ってくれた。俺も君の手を美しいと思う。傷跡も何もかも、君が一生懸命生きてきた証だから」
うれしさと緊張とあとはなんだかよくわからない感情がごちゃ混ぜになって、心臓が激しく脈打っている。
頬が熱くてどうしたらいいのかわからない。
アルフレッド様が私の手のひらの硬い部分を親指でそっとなぞると、意味のないかすかな声が口からもれた。
その声に、アルフレッド様が顔を上げる。
目が合う。
アルフレッド様のお顔が、一瞬で真っ赤に染まった。そして慌てて手を離した。
「すまない、勝手に触れるなんて」
「いっいえ。謝られることなど。手に触れるくらい、どうということはありませんから」
そう言う私の顔も真っ赤になっている気がする。
もう目の前がぐるぐる回って倒れてしまいそう。
「そ、それよりも。手に触れられるようになったということは、少し症状が改善しつつあるということなのかもしれません」
「そ、そうだな。それは喜ばしいことだ」
「はい……」
「……」
会話が途切れる。
どうしよう。どうして私はこんなに緊張しているの。手に触れることなんて、そう特別なことではないのに。
「……俺はそろそろ失礼する。夜分にすまなかった。それから、許してくれてありがとう」
「いいえ……」
アルフレッド様が立ち上がる。
今日のことが気まずくてもう来てくださらなくなったらどうしよう。ただでさえ私が一方的に怒ってしまった後だというのに。
私もあわてて立ち上がる。
「アルフレッド様」
「なんだ?」
「またお話をしに来てくださいますか?」
「……!」
アルフレッド様が大きく目を見開いて、ものすごい勢いで顔をそらした。
やっぱり駄目なのかしら。
「ああ……また来る」
それだけ言うと、アルフレッド様は逃げるように自分の部屋へと帰っていった。
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