第19話 失言
少し緊張しながら、彼女の部屋へと続く扉をノックする。
返事が聞こえ、少しして扉が静かに開く。ガウンの上にショールを羽織ったフローラが立っていた。
「すまない、寝ていただろうか」
「いいえ、まだ起きていましたので大丈夫です」
「そうか。その……あらためて今日の礼が言いたくて。ハンカチの刺繍も見事だった。ありがとう」
「そんな風に言っていただけて、本当にうれしいです」
そう言うと、フローラは花がほころぶように笑った。
まただ、と思った。
たれ気味の大きな目が細められ目じりが下がるのを見ると、なぜか落ち着かない気持ちになる。
「アルフレッド様、もしお嫌でなければお部屋で少しお話をしていかれませんか?」
「話を?」
「あ、もちろんアルフレッド様が嫌がるようなことは決してしません。触ったりはいたしませんので」
これじゃあ立場が男女逆だなと思い苦笑が漏れる。
だが、その誘いを不快には感じなかった。
「あ……でも私こんな格好ですね」
「いや、別に肌を露出しているわけではないし気にならない。狩りの話なども聞きたいし少し話そう」
「よかった。女性への苦手意識克服のための次のステップに移りたいと思っていたのです。まずは人目のないところで二人きりで話をすることに慣れていただければと」
その言葉に、チクリと胸が痛んだ。
なんだ、彼女は俺と話したかったわけではなく、ただの治療の一環だったのか。
そんな考えが浮かんできてはっとする。
……俺は今、何を考えていた?
彼女は返す必要もない借りのために女性恐怖症克服の手伝いを申し出てくれた。それをありがたいと思っているはずなのに、なぜがっかりするんだ。馬鹿馬鹿しい。
「今日は向かいと隣、どちらに座られますか?」
「……隣に座ることに挑戦してみてもいいだろうか」
「はい、もちろんです。少し距離を開けて座りますが、やはり嫌だと思ったら遠慮せず仰ってください。無理は禁物ですので」
「ああ。色々気を使ってくれてありがとう」
「いいえ」
そうして彼女の部屋のソファに少し距離を開けて隣同士で座る。
恋人同士のように互いの顔を見ながら話すというのはまだできなさそうなので、視線を前に固定する。
「ご不快ではありませんか?」
「いや、大丈夫だ。少しだけ緊張しているが。女性に……というか君に慣れてきたのだろうか」
「まあ、いい傾向ですね」
「そうだな。ところで、狩りの話だが。君は魔法が使えたんだな」
「あ、はい。申し上げるのを忘れてしまいましたね。でも本当にたいした力ではないのです。火を起こしたり獲物の状態を保つにはとても便利ですが」
「そうなんだな。それも母君からの遺伝か?」
「いいえ。魔法は父方の祖母が使えたそうなので、そちらからの隔世遺伝かもしれません」
「伯爵はそのことを?」
「知りません。そもそも、まだ母が生きていた頃からあまり言葉を交わした記憶がないのです」
「そうか。君の母君を除けば、互いに親には恵まれなかったようだな」
苦い笑みが口元に浮かぶ。
「アルフレッド様もご両親とはあまり?」
「俺が女性に関わることを異常に嫌悪する母と、女狂いの父だったからな。誕生日を祝ってもらったことなどなかった。だから君が今日、自分にできる中で最高のことをしようとしてくれたのは……本当にうれしかった」
「喜んでいただけて、私もとてもうれしいです」
彼女を見ると、彼女はうれしそうに微笑んでいた。
俺を見上げる紫色の瞳は本当に綺麗で、一瞬見とれた。
……いや見とれたって。おかしくないか俺。
無理やり彼女から視線をそらす。
「君は狩りが上手なんだな」
ついでに話題もそらす。
「下手なほうです。気配を殺すのもいまいちですし、獲物をとれない日のほうが多かったのですよ」
「以前いた森には獲物は豊富にいたのか?」
「奥のほうに行けば、おそらく色々な獲物もたくさんとれたのでしょう。ですが、あの森は深く、あまり奥に進むと狼などの危険な動物がいるということだったので、森の浅い位置でしか狩りができませんでした。だから鹿などの大きな獲物が落とし穴にかかっていたときはとてもうれしかったものです」
「そうか……。いろいろな意味で大変だっただろう。獲物を仕留めることも、自らの手でさばくことも」
彼女がちいさく笑う。
「はい、正直なところ動物の命を奪うこともさばくことも苦手です。ウサギも鹿も鳥も可愛らしいですし、つらく感じることもあります。けれど、ステーキもハンバーグもビーフシチューもチキンの煮込みも、誰かが私の代わりにその役割を担ってくれているからこそ食べることができるのです。自分の手で狩ることで、そのつらさもありがたさも、そして食べ物の尊さも初めて本当の意味で理解できた気がします」
「……」
なんとも言えない感覚が、体の中にしみわたっていく。
これを何と呼べばいいのだろう。尊敬? 敬愛? 自分の心の中に、フローラという存在が根付くのをはっきりと感じた。
貴族として育ってきた女性があのような環境におかれて、ただつらく感じるだけでなくここまで命や食べ物について考えられるとは。
飢えたことがあるからだけじゃない。命のありがたさを知っているこそ、彼女は食べ物を決して残さないし、あんなに美味そうに食事をできるのだろう。
俺が黙って彼女を見つめすぎたのか、彼女が戸惑った表情を浮かべた。
「あ、いえ。自分で狩ってさばく人間だけが食べ物の尊さを知っていると言っているわけではないのです。役割分担というものもありますし、私がそう感じたというだけで……」
「ああ、わかっている」
焦る彼女がかわいらしくて、思わず笑みが浮かぶ。
……ちょっとまて、かわいらしい? 今、俺は女性をかわいらしいと思ったのか。
そんな馬鹿な……。
たしかに彼女は尊敬に値する人間だ。好ましくも思う。だが、かわいらしいだと。
だめだ、今日の俺はどうかしている。あわてて彼女から視線を外した。
何か別の話題で気をそらさなくては。
「君の考え方は立派だと思う。以前にも言ったが、君がここを離れても苦労しないように、ずっと美味いものを食べていけるようにするつもりだ」
「ふふ、ありがとうございます」
「金銭的なことはもちろん、再婚を望むなら相手を見つける手伝いもする。貴族は無理かもしれないが騎士でも豪商でも、君を幸せにしてくれる人を」
「……」
彼女が黙り込む。
ふたたび隣を見ると、彼女の顔から表情が抜け落ちていた。
いつも柔和な表情をしていた彼女のそんな顔を見て、背筋がひやりとする。
「離縁後にアルフレッド様が私に男性を紹介してくださると。そう仰るのですか?」
「あ、ああ……」
「そうですか。ありがたいお申し出ですがそれは不要です。離縁後の再婚など考えてはいませんし、万が一するとしてもアルフレッド様から紹介していただくことはありません」
まずい。
無表情なままのフローラから冷たい怒りのオーラを感じる。
自分の発言が無神経すぎたのだと、いまさらになって気が付いた。
「フローラ」
「形だけの結婚も一年後の離婚も納得しています。ですが、いくら契約結婚だったとしても、私は元夫に新しい夫を紹介してもらいたくはありません」
「……すまない、失言だった。許してほしい」
彼女が怒りをあらわにするのを初めて見た。
頼まれてもいないのに新しい男を紹介するなど、仮初とはいえ夫である立場の俺が言葉にしていいことではなかった。失礼すぎた。
俺は人生最大級の失言をしてしまった……。
「感情的になってしまい申し訳ありません。過剰反応をしていると自覚しています。少し……頭を冷やす時間を下さい」
「……わかった」
ソファから立ち上がり、自室へと向かう。
聞きなれた自分の足音が、なぜかトボトボという情けない音に聞こえた。
翌日の夕食の時間になってもフローラはダイニングルームに現れず、ラナが「奥様は今日は自室で召し上がるそうです」と伝えてきた。
脂汗が浮かぶ。
だめだ、食欲が一向にわかない。
俺は一口も食べることなくフォークとナイフを置いた。
「何かしましたね、ご主人様」
壁際に立つシリルが確信をもった様子で聞いてくる。
「失言の類でしょうが、何を仰ったんですか」
「……。再婚の話を少し」
あからさまに大きなため息をつくシリル。
「ご主人様。それはもう無神経とかいうレベルではないですよ。奥様はさぞ傷つかれたことでしょう。契約終了前に逃げられても文句は言えないほどです。最終的に誰かを紹介する形になるとしても、それは奥様の希望なりなんなりを聞いた上で必要なら僕が言います」
「ひどいですご主人様」
ラナまでが無表情のまま俺を責めてくる。
「……誰かにフローラを押し付けたかったわけじゃない」
「それはわかっていますが。奥様はご主人様に喜んでもらおうとあれこれ考えて準備してきたのですよ。その相手からよりにもよって祝った夜に新しい男を紹介するなんて言われたら突き放されたような気持ちになるでしょう。あなた悪魔か何かですか」
「最低ですご主人様」
「……」
もはや反論の気力もない。いや、そもそも反論の余地がない。
食事をやめて部屋に戻ろうかとも思ったが、昨日のフローラの話を思い出してそんな自分を恥じる。
食事を残してはいけない。無理やり口に運ぶが、味もろくにわからない。
つい昨日、向かいの席に幸せそうに食べていたフローラの顔が思い浮かんで、胸が痛んだ。
俺はなんてことを……。
俺の誕生日を精一杯祝ってくれた彼女の気持ちを、その日のうちに踏みにじるなんて。
俺は夫として男として最低だ。虫けら以下だ。女性恐怖症も女性に慣れていないこともなんの言い訳にもならない。
口から出してしまった言葉はもう戻らない。だからこそ、発言は慎重にしなければならないというのに。
俺は無神経な発言であの優しい人を傷つけてしまった。
悶々としながらなんとか食べ終えたが、味気ないの一言だった。料理人にもすまない気持ちになる。
「ご主人様。何事も早めに、ですよ」
「……わかっている」
俺は深くため息をつくと、席を立った。
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