第18話 変化
シリルに言われるまで、今日が自分の誕生日だということを忘れていた。
誕生日だからといって学友たちのように両親に祝われた記憶などなく、ただひとつ年を取るだけの日という認識しかない。
忘れていたところでどうということはないし、せいぜいトマスが気を使って少し気合の入った料理やケーキを用意してくれるだけだろう。
そう思っていたから、夕食時にわざわざシリルが正装させたときもひたすら面倒くさいと思っていた。
だが、部屋を出て淡い紫のドレスに身を包んだフローラが微笑を浮かべながら俺を待っていたのを見たとき、なぜか……そう、なぜかドキリとした。
上品ながらも凝った刺繍のドレスは彼女によく似合っていたし、うしろで髪をまとめた姿も結婚式のときに見たはずなのになぜか今日は違って見えた。
まだまだ華奢ながらも頬も以前よりふっくらし、髪も肌も艶が増して徐々に不健康な印象が薄れつつある。
美しい人だと、素直に思えた。
ドレスを身にまとった女性にただ後ろを歩かせるわけにはいかないので、腕を差し出す。
それに彼女がそっと手を添えても、不思議と結婚式の時のような緊張感は感じなかった。
毎晩彼女と夕食をとっていることで、女性に……というよりも彼女に慣れを感じてきたのだろうか。
トマスがいつも以上に気合を入れて作った食事は美味で、こうしてちゃんと夕食をとるのも悪くないと最近では思い始めている。
壁際に控えていたシリルがメインディッシュの鴨の丸焼きらしきものを切り分けてくれ、俺の目の前に置いた。
中に玉ねぎや人参、セロリといった野菜が詰め込まれた鴨の丸焼きは、ほのかににんにくの風味がして美味かった。
「あの、その鴨。お口に合いますでしょうか」
おそるおそるといった様子でフローラが聞いてくる。
なぜ彼女が?
「ああ。とても美味い」
「それはよかった! 実はそれ……私が狩りで獲ってきて料理したものなのです」
「……何? そうなのか?」
「はい。運良く鴨が獲れて幸運でした。料理はトマスの手ほどきと手伝いがあってようやくできたものですが。いつもお世話になっているアルフレッド様に何かお誕生日のプレゼントをと思ったのですが、私にできることといえばそれくらいしかなくて」
少し照れた様子でフローラが言う。
俺のために鴨を獲ってきて、俺のために料理を? 自分の都合で彼女を振り回してる仮初の夫のために?
自分の胸の中に、彼女に対する罪悪感と、……うれしさが湧き上がってくる。
「ありがとう。最高のプレゼントだ」
フローラが大きく目を見開き、やがて少しうつむいた。
「フローラ?」
「あ……申し訳ありません。そんな風に言っていただけるなんて、うれしくて感動してしまって」
顔をあげたフローラの顔は、どこかあどけない笑顔で彩られていた。
大きなたれ目がちの瞳の目じりはさらに下がり、うっすらと潤んでいるようにも見える。
胸の奥に、なんとも言えない感覚が芽生える。不快ではないのに落ち着かない。
チラリと壁際を見ると、シリルはニヤニヤ、ラナは目頭を押さえていた。
ちょっとまて違う誤解するな。そうじゃない。以前にも言っただろう。
だが今その言葉を口にするのはひどく無粋な気がして、やめておいた。
体の中がくすぐったいような感覚のまま食事を終え、どこかふわふわした足取りで執務室に向かう。
しばらくぼんやりしていたところで、シリルがノックをして入室してきた。
「お誕生日おめでとうございます」
「その顔をやめろ」
相変わらずニヤニヤした表情に腹が立つ。
「素敵な誕生日プレゼントでしたね」
「……ああ。家紋を刺繍したハンカチももらった」
「ほうほう。それはそれは」
「その顔をやめろ」
「まあまあ。あ、実は狩りには僕が同行したんです」
「そうか」
「飛び立つ鴨を一矢で仕留めていらっしゃいました。見事な腕前です。その場で血抜きなどの処理も済ませられ、厨房に行ってからも下処理を自らされていました。手慣れていますね」
「……」
素直にすごいなと思う反面、そうしなければ生きてこられなかった彼女のことを思うと胸のあたりが重くなった。
「それよりも報告すべきことが。奥様が魔法を使えることはご存じでしたか?」
「魔法を?」
魔法の力は、この世界から失われつつある力だ。
数百年前までは魔法使いという職業すらあって魔法はかなりの威力を誇っていたというが、今は補助的な力でしかない。
持っていたら多少便利な能力ではあるが、魔道具よりも使い勝手が悪く威力も劣る。その程度のものだ。
俺も氷の魔力を持っている数少ない人間だが、そのまま攻撃魔法として使えるわけではなく、剣気と合わせて剣にまとわせることで初めて有効な攻撃方法となる。
「森で鴨の処理を終えた奥様が氷の魔力で鴨を冷やしていたのです。一瞬で凍るようなものではなく、じわじわと冷えていく程度ではありますが、それでも稀有な力です。ご主人様はご存じか尋ねたところ、そういえば言っていなかったと」
そのときののんきな様子のフローラが想像できて、思わず口元が緩みそうになる。
「ほかには炎の魔力もお持ちだそうです。奥様はたいした力ではない、攻撃に転用できるほどのものではないし生活を少し便利にしてくれる程度だと謙遜されていましたが……惜しいですね」
シリルの言いたいことはわかる。
俺とフローラの子なら、高確率で魔力を受け継げるはずだ。それはこのガーランド辺境伯領の助けとなる。
まだシリルに言っていないが、魔眼の話をすればもっと彼女を逃したくないと思うはずだ。だからあえて言っていないんだが。
俺にまつわる諸々の事情を考えなければ、フローラは最高の辺境伯夫人なのだろう。だが。
「俺は彼女の能力を理由にここに留めたくないし、そもそも妻として留まってもらったところで彼女との間に子をもうけることはできない」
彼女といても緊張を感じなくなってきている。
好感を抱き始めていると言ってもいい。
だが、
女性と関係を持つことを考えただけで「あの光景」を思い出してしまい、吐き気がこみあげてくる。
「たしかにお二人の間にお子ができるのが理想ですが、それだけじゃありません。あの方となら、養子をとるにしてもずっと夫婦でいてもいいと思うのですが。お二人の様子を見ていて、僕はそう思ったんです」
「たしかに、彼女といるのは不快じゃない。むしろ好ましい女性だと思う。だが、我が子を腕に抱くこともかなわない彼女に、ずっと俺のそばにいろ、養子とうまくやれと言うことなどできない。彼女は若く美しい。愛し愛される結婚をじゅうぶんに望めるはずだ」
「離縁後に騎士でもあてがうつもりですか?」
「そんな言い方はよせ。もちろんどちらにも無理強いするつもりはない。だが、彼女なら妻にと望む男も多いだろうし、彼女も……」
そこで言葉につまる。
いずれ手放す女性だ。その条件は俺が出したもので、最初からそのつもりだった。
不幸になってほしいわけではないから、彼女が望むなら騎士でも裕福な商人でも紹介し、生活面でも不便はさせない。
そう考えていたのに。
なぜか不快感が全身を支配する。
自分は抱くことすらできないのに、幸せにすることなどできないのに、今さら手放すのが惜しいなどと考えているというのか。
わずかな時間を過ごしただけの彼女に対して?
「ひとまずはわかりました。まだまだ時間がありますから、ゆっくり考えていきましょう」
「……ああ。そうだな」
そうだ、あせって今なんらかの答えを出す必要はない。シリルの言う通り、まだ時間はある。
今はあまり考えないようにしよう。
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