第21話 心の傷


 昨日別れ際にまた話に来てほしいと言われたので、今日も彼女の部屋を訪ねる。

 ノックをして扉を開けると、彼女が春の花のようにふわりと笑った。

 また落ち着かない気持ちになる。

 今日も少し距離を開けて隣に座り、まずは彼女が一番気にしているであろう事柄を伝える。


「先ほど医師が二度目の往診から帰ってきた。まだ断言はできないが、乳母の夫は治りそうということだ」


「まあ、本当ですか! ありがとうございます!」


「どうも今まで治療が適切ではなかったのではないかと。治療にあたっていた医師が単に腕が悪かったのか、治療費のために生かさず殺さずで治療に長期間かかるようにしていたのか……」


「……そんなことが」


 彼女が沈んだ顔をする。


「だが心配はいらない。ちゃんと完治するまで面倒を見るつもりだ。乳母からの手紙も預かったから後で読むといい」


 フローラに手紙を渡すと、うれしそうに微笑んだ。


「本当に、何から何までありがとうございます。心から感謝します」


「そんなに感謝する必要はない。これも君が受け取るべき対価の一部だ」


 そう言いつつも、彼女に感謝されるのは悪い気がしない。

 いやむしろうれしい。

 マリアンの手紙を受け取ったせいか今日の彼女はいつも以上に明るくうきうきとしていて、彼女が主体となって話も弾む。

 最初は食べ物の話をしていたが、それにまつわる加工品や産地の話からガーランド辺境伯領についての話題になった。

 俺が領地を継いだときの話になると、彼女の表情は気づかわしげなものになった。


「十九歳のときに領主になられたなんて、大変でしたでしょう」


「楽なものではないが、ガーランドは金銭的に余裕があるからやりたいことをやれるんだ。この地が豊かな理由を知っているだろうか?」


「魔石でしょうか?」


「ああ、それが一番の理由だ。魔石は魔道具に使われるが、魔獣が落とす魔石は採掘でとれるものよりもエネルギー量がずっと多いから高く売れるんだ」


「そうなのですね」


「あとは本来国が担うべき魔獣退治を俺の領地で一手に引き受けているから、その対価として王家に納める税金は他領の半分程度で済む。その分は軍備や他領よりもかなり高い騎士の給与、騎士に万が一のことがあった場合の家族への補償などにあてることができる」


「なんの見返りもなく一方的に魔獣退治を押し付けられているのではないというのは少し安心しました」


「ふ、そうだな。王家は王家で南方の国家に睨みをきかせる必要があるから、北方に戦力を割きたくないんだろう。魔獣の相手は楽なことじゃないが、それゆえの豊かさだから納得はしている。代々担ってきた役割だしな」


「アルフレッド様はすごいですね。騎士として優秀なだけでなくこの地をより豊かにされたのだと聞き及んでいます。本当に尊敬します」


 そんなに褒められたら照れるじゃないか。


「将来的に魔獣が減ったり出てこなくなったりする可能性もないとは言い切れない。その時魔獣関連に税収を頼り切っていては困窮するから、余裕があるうちに領内をいろいろと改革しただけだ。それもまだ終わったわけじゃないが」


「改革は、街道の整備などですか?」


「それもある。あとは最新式の農具を取り入れたり、用水路の整備、品種改良など……主に農業関連だが。今はまだ増収分よりもかかった金のほうが多いが、あと何年かでそれも逆転するだろう。それに農業は一番基本で大事なところだから」


「はい、私もそう思います。アルフレッド様はやはりすごいです」


 目をキラキラとさせながら、フローラが笑う。

 くっ、やはりかわいいと認めざるを得ない。

 俺はフローラに……心惹かれているんだろうか。

 こうして話していても不快どころか楽しいと思い始めているし、女性に対する恐怖感自体が薄れてきているのではないかとすら感じている。

 だが、本当に?

 俺の女性恐怖症は、本当に治りつつあるのか?


「フローラ、話はまったく変わるんだが」


「はい」


「俺はもともと女性が苦手だったが、女性恐怖症にまでなったのは、父の妾が俺に薬を盛って地下室に鎖でつなぎ……服を脱ぎながら自分を妻にしろと迫ってきたせいなんだ」


「そんな恐ろしいことが……」


「自分でも情けないと思う。その程度の出来事で、こんな……」


「情けなくなんてありません。どうかそのように仰らないでください」


「……」


 もしかして。

 フローラなら、もしかしたら。


「フローラ。俺は君と話すのも手に触れるのも緊張しなくなってきている。自分がどこまで克服できたのかを確かめたい」


「はい。私に何か協力できることがあるのですね?」


「ああ。言いづらいんだが……俺の前で服を脱いでくれないか」


「えっ!?」


 フローラの頬が朱に染まる。


「あ、いや、違う……全部脱げというんじゃないんだ。そのガウンだけでいい。中にナイトドレスも着ているだろう。もちろんおかしな真似は決してしない」


「わ、わかりました……」


 フローラが立ち上がり、俺の目の前に立つ。

 ためらいがちにガウンを肩から落とし、腕を抜いてそのまま脱ぐ。

 頼りない細い肩紐のナイトドレス一枚になったフローラが、恥ずかしそうに俺から目をそらしていた。


 動悸がする。じっとりと汗が浮かんでくる。


 頭の中に浮かんでくるのは、濁った眼で俺を見下ろしながら服を脱ぐあの女。

 違う。彼女はあの女じゃない。そう思うのに、頭の中があの光景に支配される。


「アルフレッド様」


 気づかわしげなフローラの声。

 視界は完全に閉ざされていて、いつの間にか俺は両手で顔を覆っていたのだと気づいた。


「無理をなさらないでください。……今、ガウンを着ました。お顔を上げて大丈夫ですよ」


 優しい声に少し落ち着きを取り戻し、手をどけて顔を上げる。

 ここに来た時と同じ姿のフローラに、安堵の息を吐いた。


「やはりまだだめか……」


 フローラが相手なら、もしかしたら大丈夫なのではないかと思った。

 彼女が目の前で服を脱いでも平気なら、一年で別れるのではなく別の道を選べるかもしれないと思っていた。

 だが結局俺はいまだに男として不完全なままだった。


「始めてまだひと月も経っていないんです。焦る必要はありません」


「無理なことを頼んですまなかった」


「いいえ、これくらい大したことではありません。以前申し上げた通り、治すためならなんでもします」


 彼女がすとんと俺の隣に座る。

 もう緊張感はかなり薄れていた。

 隣をちらりと見ると、彼女は俺を安心させるように穏やかに微笑んでいた。

 このフローラと、あんな女が重なるなんて。


「そういえば」


「はい」


「言いづらい場合は言わなくていいんだが。フローラが小屋に一人で住んでいたとき、その……不埒なことをしようとする輩はいなかったのか」


 若く美しい女性が粗末な小屋で一人で住んでいるなど、狙ってくれと言っているようなものだ。

 そのような扱いを受けていたとはいえ未婚の貴族の令嬢だから、合意なく行為に至った場合かなり重い刑罰を受けることになるんだが。


「厳しい法もありますし、父も使用人や騎士には言い聞かせていたと思います。私に対する愛情ではなく、傷物だと嫁ぎ先がなくなるかもしれないからだと思いますが。でも、一度だけ……騎士が小屋に押し入ってきたことがあります」


「……!」


「あ、大丈夫です。騎士が粗末な鍵を開けるため扉をガタガタしている間に威力の弱いクロスボウに矢を装填して、入ってきたところで狙いをつけました。警告しましたがさらに入ってこようとしたので、肩を撃ち抜きました。男が痛がっている隙にもう一度装填し、次は股間を狙いますと言ったところ男は逃げました」


「それは……すごいな」


 その状況でそこまで冷静に行動できるとは。戦士か。

 やはり彼女はただの女性ではないな。


「お恥ずかしい話ですが、私も必死でしたので。マリアンの話ではその騎士は解雇されたそうです」


「君が無事でよかった。それにしても、君は本当に勇敢だ。嫌味でもなんでもなく尊敬する」


「いえそんな」


「それに比べて俺は情けない。あの程度の出来事をいつまでも引きずって」


「アルフレッド様!」


 珍しく彼女が大きめな声を出す。

 驚いて彼女のほうを見ると、彼女が俺を強い瞳で見上げていた。


「先ほどの話、もし私の矢が逸れてその男に襲われかけて私が男性恐怖症になったとしたら、アルフレッド様は私を情けないと思いますか?」


「そんなわけはないだろう」


「それなら、ご自身のことも情けないなどと思わないでください。アルフレッド様はとても恐ろしく不快な目に遭われたんです。それが心の傷になって当然なのです。情けなくなんてありません」


「……」


「アルフレッド様はご自分に厳しいお方だからそんな風に考えてしまうのだと思います。でも、その時に恐ろしく感じた自分も、今女性が苦手な自分も、どうか否定せず受け入れてあげてください。アルフレッド様が受け入れられないのでしたら、私が何度でも、毎日でも言います。苦手なのも怖いのも当たり前の感情だと。決して情けなくなんてないと」


 情けなくないと。

 弱くてもいいと。

 彼女はそう言うのか。

 誰よりも強くあれと教えられてきた。決して心折れることのないようにと。それが皆を導き守る辺境伯の役目だと。

 身勝手な母とどうしようもない父だったが、その教えだけは共通していたし、俺もそう思って生きてきた。


「何度も言いますが、アルフレッド様は情けない方などではありません。そして弱くもありません。誰しも苦手なことや辛い思い出はありますし、すべてのことに対して強くいられる人間などいないのです」


「……」


「手を、握ってもいいですか?」


「……ああ」


「ご不快でしたらすぐにやめます」


 フローラの少し荒れた手が、膝の上に置いた俺の手にそっと重ねられる。

 不快などであるものか。彼女の手の温かさが俺の心までも温めていくようで、なぜか涙をこぼしそうになった。


「不快じゃない。君の手は温かくて癒される」


「よかった。アルフレッド様はこうして前に進んでおられます。だからどうか焦らないでくださいね」


「ああ。……ありがとう、フローラ」


 彼女が、俺の全てを受け入れるような笑顔を見せる。

 ああ、なんて美しく眩しいのだろう。女性をこんなにも美しく感じる日が来るとは。

 当初の予定通り一年で彼女との結婚を終えようと思っていた。それが彼女のためでもあるから。俺では、駄目だから。

 だが、俺の胸に不安がよぎる。

 俺は、この女性を手放すことなどできるのだろうか、と。

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