第15話 アルフレッドの過去


 フローラが自分の部屋に戻ったのを見届け、俺はソファに寝転がった。

 まさか結婚早々、自分の弱点をフローラに知られてしまうとは。

 だが、協力したいと彼女は言った。

 味方も多いが敵も多い俺としてはそれすらも疑うべきなのに、彼女を見ているとどうしても彼女を信じたくなってしまう。

 不思議な感覚だ。


 女性恐怖症の基礎は、俺の実母が作り上げた。

 女好きで知られるどうしようもない父は、結婚後も領内のあちこちに妾を作っていた。一夜限りの女まで数に入れれば、かなりの人数にのぼるだろう。

 母は、苦しかったし悔しかっただろう。

 そんな父を反面教師にせよと、母は俺が女性に興味を抱くことを異常なまでに嫌悪した。

 少しでも女性に興味を示せば、汚らわしいと俺を引っ叩いた。食事を抜かれることも閉じ込められることもあった。

 俺は当時子供だったのだから、何も性的に興味を抱いたわけじゃない。あのメイドは優しいとかきれいだとか、王都のパーティーで見かけた愛らしい子を目で追ったとか、その程度のことだった。

 たったそれだけのことで、俺は実母からそんな扱いを受けた。

 乳母であるラナの母親だけは俺の世話をすることが許されていた。幼いラナにも何度か会ったことがあるが、当然母がいい顔をしないので彼女に危険が及ばぬよう会うこともなくなった。

 母がなかば心を壊して離婚して出て行ったのは俺が十四の頃。

 幼い頃から剣術を習っていた俺は、その頃になると大人しく叩かれることはなくなった。次期辺境伯としての地位も確立し城内での発言権も強くなったので、使用人も母より俺の言うことをきくようになった。

 だから出て行ったんだろう。俺を支配できなくなったから。

 お前も汚らわしい父親と同じだと俺を罵って出て行ったが、そんなことを言われるようなことは何もしていなかったんだが。

 母から愛されていると実感したことは、一度でもあっただろうか。思い出せない。

 結局、母は俺に父を重ねていたのだろう。容姿が父に似ていた俺に恨みをぶつけ、汚らわしいと罵った。母が本当にそうしたかった相手である父とは顔を合わせることすら稀だったから。

 そんな母の「教育」はある意味成功したと言えるだろう。

 いつの間にか、俺は女性に対して苦手意識を感じるようになっていたのだから。


 離婚が成立して即、あのクソ父は妾をタウンハウスに連れてきた。良く言えば妖艶、悪く言えば下品な肉感的な女だった。

 だが、色欲を極めた父はそんな女にもすぐに飽き、王都のアカデミー騎士科入学を控えた俺とその女をタウンハウスに置いて領地にこもりきりになった。

 どうせまた新しい女ができたんだろう。

 妻でもない妾など、置いていくのではなく追い出せば良かったものを、なぜわざわざ飼殺したのかを疑問に思った。

 親父からの愛情をあっさりと失った女は、毎日遊びまわり、贅沢をし、高い酒を水のように飲んでは暴れていた。しかもまだ少年だった俺にベタベタと絡んでくる。そんな女と同じ家に住まなくてはならないのは苦痛でしかなかった。

 もしかしてあの父は俺を生贄にしたんじゃないだろうかという考えが浮かんだ。

 だが、俺には希望があった。

 アカデミーに入学すれば、寮に入れる。特に騎士科は全寮制だ。しかも騎士科なら女性も少ない。入学だけを心の支えにし、なんとか日々を乗り切った。


 そして念願の入学。

 予想通り女性は少なかった。だが、いることはいる。

 その数少ない女性騎士候補の中で五人の女たちは、肉食獣のように貪欲かつ積極的だった。そしてその皆が俺を狙ってきた。

 自分の顔立ちはいいほうだと自覚しているが、あらゆる女性を魅了するほどのものではないと知っている。そして彼女たちが俺を狙ったのも顔が理由じゃない。

 爵位が約束されていてなおかつ婚約者がいない男など、同年代では俺くらいなものだったからだ。そもそも、爵位を継ぐものがアカデミーの騎士科に入学すること自体滅多にない。グランヴィル家など武門の家では時々ある話だが。

 女たちは恐ろしかった。

 ことあるごとに俺に近づいてくるし、断ってもめげないし、女同士互いに牽制しあっていつもギスギスしている。

 そんな彼女たちを好きになることなどできず、むしろますます女性が苦手になった。

 モテて羨ましいななどと軽口を叩いていた同級生たちも、次第に俺に同情するようになったほどだ。

 騎士科の女性皆がそうだったわけじゃない。普通の女性ももちろんいたが、そういう女性たちはあえて俺に近づいてはこなかった。恐ろしい五人組の目もあるし、好んでトラブルに巻き込まれる人間もいないだろう。

 五人組に対し、俺は最初は丁寧に断っていた。だがあまりにしつこいので次第にぞんざいに扱うようになっていった。

 その恨みだったのか。

 卒業式に意中の男の制服の何番目だかのボタンを受け取ると二人は結ばれるというよくわらかん伝説を、彼女たちは曲解した。いや、利用したというのが正しいか。それが彼女たちの復讐だったのかもしれない。

 俺は卒業式の日、五人の女たちに群がられ、制服のボタンをすべてむしり取られた。

 いくら女性が苦手でも相手が騎士候補でも、女性を殴るわけにはいかない。かといって騎士候補五人もの女たちを傷つけずに無力化することも不可能で、俺はされるがままにボタンをむしられ続けた。女たちは高笑いして去っていった。

 上着どころかズボンのボタンまで奪われ、俺はその場に半ケツで呆然と突っ立っていた。そんな俺に気づいた親切な同級生の男が、訓練着をそっと渡してくれた。あいつには感謝している。

 こうして学園生活は俺の女性嫌いの完成とともに幕を閉じた。


 領地に戻る前にいったんタウンハウスに戻ると、妾がまだいた。俺がいない三年間酒浸りだったらしく、さらに濁った眼をしていた。使用人も辞めたのか辞めさせられたのか極端に減っていた。

 そもそも、父がまだ追い出していないことに驚いた。父がよほどの弱味でも握られていたのか。

 だが、いつまでもあんな女をのさばらせていては使用人たちが気の毒すぎる。弱味の内容がなんであれ、領地に戻れば父に直談判するつもりでいた。

 俺は辺境伯としての仕事を少しずつ引き継ぐために、すぐに領地に戻ることになっていた。じっとりと見つめてくる女の視線が不快極まりなかったが、ほんの数日我慢すればいいだけだったから、気にしないようにしていた。

 そこに油断が生まれたのか。

 女が、使用人の一人を買収して俺に薬を盛った。

 気づいた時には、懲罰部屋として作られたらしい地下の部屋のベッドの上だった。

 手鎖でベッドにつながれていた俺のもとに、あの女がやってきた。そうして服を脱ぎながら俺に迫った。自分を妻にしろと。

 酒浸りがたたって、あの女はもはや正気を失っていたのだろう。説得しようと試みたが、一切聞いていないようだった。

 狂気をはらんだ笑みを浮かべながら俺にのしかかり、俺のシャツのボタンを外して聞きたくもない感想を言いながらベタベタ触ってくる。恐怖と不快感でどうにかなりそうだった。

 女が俺の胸元に舌を這わせたその瞬間、自分の中で何かがはじけた。俺は女性に暴力は振るわないという自らに課した誓いを破って女を蹴り飛ばした。

 女はベッドから転がり落ちて粗末な家具の角に頭を打った。そのまましばらく動かず、一瞬死んだのかと思った。

 だが、ムクリと起き上がった。頭から血を流しながら。

 そしてゆらりと俺に近づいてきた。

 その瞬間を思い出すと、いまだに吐き気がおさまらなくなる。

 また蹴り飛ばされたいかと言ったことで女の動きは止まり、服を拾うとふらふらと部屋から出て行った。

 女が完全に去ってから何度か声を出したり壁を蹴ったりしたが、誰も来る様子がなかった。だが使用人が少ないとはいえさすがに俺がいなくなれば一日と経たずに気づくはず。

 そう思いながら、誰かが部屋に近づいてくるのを待った。

 数時間後、足音が近づいてきた。軽い足音。きっとメイドの一人だろう……きっと。

 そう思って顔を上げると、扉についた小さな窓の鉄格子の向こうから、あの女が覗いていた。

 「抱いてくれないなんてひどい人」と、鉄格子に手をかけてニヤリと笑った。

 あの場で吐き散らさなかった俺を褒めてやりたい。

 女は扉を開け、ガウンの前を開けたままで下着すらつけていないほぼ裸の状態でまた近づいてきた。その執着と執念に寒気が止まらなかった。

 近づいてきたらもう足で首をへし折るしかないと決意したその時、バタバタという足音が響いた。

 使用人たちだった。

 取り押さえられた女の、寂しかっただけなのに、愛されたかっただけなのにという言葉に怒鳴り散らしたくなった。なぜその対象が俺なんだ。なぜこんな手段をとるんだと。

 正気を失った女に問うたところでろくな答えは返ってこないどころかより一層不快になるだけだろうから何も言わなかったが。

 次期辺境伯に対してそんなことをした女は捕らえられ、牢獄に入れられた。

 事の顛末を聞いた父は、俺に謝罪をした。父の謝罪を聞いたのはこれが最初で最後だった気がする。

 そしてどこかほっとした顔をしていた。やはり何か弱味を握られていたのか。どうせ女がらみだろうが、下手したら父も牢獄に入りかねないようなことだったのかもしれない。

 だからといって許す気もさらさらなかったが。

 そうして俺が領地に戻って約一年後、魔獣討伐の最中に父が死んだ。

 血まみれで絶命している父を見ても、女遊びばかりしているから腕が鈍るんだという思いしかわいてこず、涙の一滴すら出なかった。

 頭の中にあったのは、この領地をどう運営していくか。俺にできるのか。ただそれだけだった。


 俺の周りにいた女たちが特殊すぎただけで、女性が皆あんなではないとわかっている。

 だが、一度強烈に根付いてしまった苦手意識と恐怖感は、今まで拭うことができなかった。

 辺境伯としての矜持で、触れさえしなければ普通に対応はできるが、それでも女性に関わりたくないという思いは消えてはくれなかった。


 だが。

 フローラに対しては、最初から嫌悪感が少なかった。

 シリルらと三人で林を散歩していたときに居合わせたのは本当に偶然だったが、武器庫にいたのはクロスボウを買ったという彼女に好奇心を抱いたからだ。どんなものを買ったのか、本当に狩りができるのか、と。

 恋愛的な意味ではなくても、思春期以降初めて女性に興味を抱いた。

 そして先ほどのフローラの話。女性に対して心から申し訳ないと思ったのも初めてだったかもしれない。

 俺がそんなことを言えた立場じゃないのはわかっている。相手がどういう気持ちで嫁いでくるかも考えず、自分の都合のいいように一年限定の妻を求めたのだから。

 結婚して一年で離縁された女性が再度相手を見つけるのはかなり難しいはずだ。それが貴族の女性ならなおさら。

 それでも、俺は自分の都合を押し通した。

 だがあのフローラの涙を見たとき、罪悪感が急に押し寄せてきた。

 そして言ってしまいそうになった。「この城でずっと暮らせばいい」と。

 だが、それはフローラを縛ることになる。

 いくら生活において苦労はさせないとはいえ、俺は女性を愛せないし、夜を共にすることもできないから彼女が子を授かることもない。

 それなのに数年後には養子を迎え、後継者教育も始まり、いずれこの城はその子を中心に回っていく。待遇は良くても居心地は悪くなっていくだろう。

 そんな状況で仮初の辺境伯夫人として飼い殺すくらいなら、予定通りに彼女と別れ、若い彼女に自由で幸せな再婚でもしてもらったほうがよほど彼女のためになるだろう。

 彼女に対し、好意ではないにしろ好感は抱き始めている。ここにいてもらうのも決して嫌じゃない。

 だが、彼女の夫は俺では駄目だ。

 一年間ここに縛った上に離婚することへのせめてもの償いとして、彼女が離婚後も不幸にならないようにしよう。

 生活の保障はするし、彼女が望むなら夫候補を探してもいい。平民で良ければ俺の騎士団にも外見も中身もいい男はたくさんいる。

 もちろん双方の意思は尊重するが、彼女を妻に迎えたい男などいくらでもいるはずだ。契約結婚だったことも俺から説明する。生活費は俺が持つから彼女が生活面で苦労をすることはないだろう。


 思えば、彼女とは「父親とその妾や後妻が最悪」という共通点があるな。

 だからこそ彼女に心を動かされたのかもしれない。

 だが俺は飢えることなどなかった。彼女があの華奢な体で一人で生き抜くのは並大抵のことではなかっただろう。

 彼女は不幸ではなかったと言っていたが、あの涙から察するにつらいこともたくさんあったはずだ。

 それでもあんなに素直で優しい女性に育ったのは、きっと母君の愛情と教育のおかげだろう。

 それに比べてなんだあの伯爵は。厚顔無恥にもほどがある。

 結婚準備金を素直にあんな男に渡した俺が愚かだった。結局準備金一千万オルドをフローラにはほとんど使わず、離縁後の金もどうにかして彼女からむしり取るつもりでいたのだろう。

 そんなことはさせるか。フローラを伯爵領には戻さないし、金だって伯爵の手に渡るようにするつもりはない。二度と同じ愚をおかすものか。

 シルドラン伯爵領への援助金は、契約書がある以上どうにもならないかもしれないが。……腹が立つな。

 考えれば考えるほど不愉快な気持ちになってくる。虐待する親など許せない。あのアホ面した伯爵に思い知らせてやりたい。

 だが、俺には何もできない。虐待されていたと訴えたところで、死にでもしない限りそれを罰する法律がないのが現状だ。結婚を強制する糞法律はあるというのに、なぜ虐待は許されるのか。

 子は親のものという考えが根底にあるからだろうが、それにしてもひどすぎるだろう。

 重いため息がもれる。

 ひとまずこれに関してはすぐに解決する問題じゃない。今はフローラは安全な場所にいることだし、そちらは後で考えることにしよう。

 まずは俺の女性恐怖症を治すことを考えよう。

 彼女と過ごす時間を増やしていったとしても、それで治ると思うほど楽観的な性格ではない。

 ただ、彼女とならダメ元で試してみるのも悪くないか、と思えた。

 そう思えただけでも、一歩前に進めているのだろうか……。

 目をつむると、なぜか先ほどの彼女の笑顔が浮かんできた。愛らしい笑顔だったと、素直に思えた。

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