第12話 ハプニング
昨日アルフレッド様と屋上で防壁を見たことで、魔獣のことを詳しく知りたいと思うようになった。
だからラナにお願いして、魔獣に関する本をいくつか用意してもらった。
ベッドに入り、その本を読み始める。
魔獣は北のバルドラ山脈から南下してくるが、はっきりとした発生源は知られていない。
魔界とつながる扉がそこにあるのではないかと言われているが、定かではない。
形は動物に近く、同種同士で繁殖する。ただし動物のように繁殖力は強くなく、一度に産まれる個体も一~二体と少ない。
魔獣を斃すとその死骸は青い炎に包まれ燃え尽きる。骨までも灰になった後、魔石だけを残して完全に消滅する。
知能は基本的に高くないが、長く生きている個体は知能が高まる傾向にあると推測される。
人間のいるところに向かってくる習性があり、多くの魔獣が人間を襲う。
稀に人間を襲うことに積極的ではない種類もいるが、そういったものは山脈やその付近に住み、そこから離れることは稀である。
魔獣が何を食して命をつないでいるかは定かではないが、空中の魔素を取り込んで生きているのではないかというのが有力な説である。
魔獣は人間を襲うが、それは食べることが目的ではない。他の動物も食さない。だがごく稀に人間を生きたまま食す魔獣もいる。
最後の一文にぞっとして本を閉じる。
こんな危険な魔獣といつも戦ってくださっているアルフレッド様と騎士団は本当に尊敬するわ。
私がここに来てからは大きな襲撃はないようだけど、いざそうなったらアルフレッド様も北の砦に向かうのよね。心配だわ……。
恐ろしい話を見てしまったせいか、灯りを落として目をつむってもなかなか眠くはならなかった。
右を向いたり左を向いたり枕の下に手を入れたりして体勢を変えるけれど、とにかく眠気がやってこない。困ったわ。
眠らなければと思うとよけいに眠くならないものだし、もう仕方がない。自然と眠くなるまで待つしかないわね。
そういえば、昨日はアルフレッド様といろいろお話ができて楽しかったわ。
今日は執務室にこもりきりとのことでお会いできずに残念だったけれど。
夕食のあの美味しいハンバーグ、アルフレッド様も召し上がったのかしら。ナイフを入れると、中からじゅわっと肉汁があふれてきて……ああダメだわ、すぐに頭の中が食べ物に支配されてしまう。我ながら食い意地が張っているわ。
無駄に食べ物のことを考えてしまったので、お腹がぐぅぅと鳴る。夕食はちゃんと食べたのに。
そういえば、森の小屋では空腹で眠れないことが何度かあったわね。
特にマリアンが熱病で倒れたときは、運悪く獲物がとれない日が続いていて、しかも冬だったから木の実も手にはいりづらくて、わずかな野草だけを食べて数日をしのいんだんだったわ。
餓死しなくてよかった。
それ以降、干し肉と保存のきくパンは切り詰めて食べるようになった。
そんな生活をしていたのに、お腹一杯夕食を食べてもまだ夜にお腹が鳴るなんて。
人は心地よい環境には慣れるのが早いのよね。その一方で、つらい環境に慣れるのは時間がかかる。
まだほんの数日だけど、ここでの生活は居心地が良すぎるわ。
私につらく当たる人はおらず、皆親切にしてくれる。身の回りのことをやってもらえ、身を飾る品を与えられ。そして何より食事が美味しすぎる。
こんな生活をしていて、一年後に以前のように狩りをしながら一人で生きてなんていけるのかしら。
とりあえず、クロスボウの腕が鈍らないよう、一度狩りに出なければ。
そんなことを考えながら、もう一度目をつむる。
だめ、やっぱり眠れないわ。
……そういえば、温泉はいつでも入れると言っていたわね。今から入ってこようかしら? それって究極の贅沢よね。
もう細かいことは気にせず贅沢を楽しんじゃおうかしら。どのみちここにいられる期限は決まっているのだから。
幸せな思い出は、きっと私のこれからの人生を支えてくれるわ。
ナイトドレスから簡素なワンピースに着替えてショールを羽織り、魔道具のランプを持って廊下に出た。
このお城、アルフレッド様が女性嫌いなせいか女性使用人が極端に少なく男性が多いのよね。そんな中でいくらガウンを羽織っているとはいえナイトドレス姿でウロウロするわけにはいかない。
「奥様、どうかなさいましたか」
部屋から少し離れた廊下に立っている警護の騎士が、声をかけてくる。
「お風呂に入ってきたいのだけど、いいかしら」
「はい、それはもちろんです。侍女はお連れでないのですか?」
「夜中ですから、起こすには忍びなくて。浴場の鍵は持っていますし、一人で入れるから大丈夫です」
「かしこまりました。浴場までお送りしますか?」
「いいえ、大丈夫です。夜中まで警護お疲れ様です」
「お気遣いありがとうございます」
騎士がすっと頭を下げる。
昨日護衛についてくれた若い騎士といい、ここの騎士は感じのいい人ばかりよね。騎士だけでなく使用人もそうなのだけれど。
一階に下りて脱衣所に続く扉の鍵をあけ、中から鍵を閉める。
手早く服を脱いで、自分の体を見下ろした。
少し太ったわね。胸は相変わらず控えめだけど、少しふっくらしてきたわ。手足もなんとなく太くなった気がする。特に太もも。たった数日だというのに、三食おやつ付きの生活って恐ろしいわ。
でも見た目の不健康さが少し軽減されたのは素直にうれしい。髪もパサパサだったのが、ラナのお手入れのおかげで少しずつ艶を取り戻しつつある。肌も、この温泉のおかげかしっとり感が出てきたわ。
思わず笑みがこぼれる。
きれいでありたいと思う気持ちが、私の中にもちゃんとあったのね。生きるためだけに必死な環境では、そんな気持ちも生まれてこなかった。
ふわふわといい気分のまま浴室に入ってかけ湯をし、体をゆっくりと湯に沈める。今日二度目のお風呂だわ。
「ああ……気持ちいい」
二度目のお風呂は格別ね。
ランプのわずかな明かりがゆらゆらと揺れる湯気を照らす様を見ながら、湯が浴槽に流れる音を聞く。
とても気持ちが落ち着くわ。体も温まって、本当にいい気持ち。
しばらく動かずにお湯に浸かっていたけれど、さすがに熱くなってきた。
そろそろ上がろうかな、と思って立ち上がりかけたそのとき、後ろからガチャリという音が聞こえた。
おそるおそる後ろを見ると。
裸のアルフレッド様が立っていた。
その瞳は驚愕に見開かれている。
「……」
「……」
私は再びそっと湯船に身を沈めた。
「……あの。アルフレッド様」
「……っ!!」
アルフレッド様が蒼白な顔で体を震わせ、慌てて出て行った。
えっと。なぜアルフレッド様のほうがショックを受けているの?
その後放心状態で着替えて部屋に戻った。途中で騎士に声をかけられた気がするのだけど、よく覚えていない。
ふらふらと足を進めて、ソファに体を投げ出す。
薄暗い中ではあったけど、見られてしまった。見てしまった。
ううん、私はほとんどお湯の中だったしあの暗さだったから、アルフレッド様側からはよく見えなかったはず。
でも私はかなり夜目がきくから……いろいろとしっかり見えてしまった。
男性の体ってあんなふうなのね。胸やお腹は堅そうにでこぼこしていて、体のあちこちに傷があったわ。それに……ううっ、これ以上は思い出さないようにしなければ。
大事なのは、アルフレッド様の裸じゃなくてあの表情よ。よけいなところを思い出してしまったわ。
あの方は、もしかして……。
とそこで、アルフレッド様のお部屋側の扉からノックの音が響いて、驚いて飛び上がる。
「は、はい」
「起きているか」
「はい」
「……先ほどは失礼した」
閉まったままの扉越しにアルフレッド様が話しかけてくる。目はいいけれど耳は特によくないので、扉にそっと近づいた。
「決してわざとじゃない。ようやく仕事が終わって、さっさと風呂に入って寝ようと思っていたところだった。こんな時間に君が入浴しているとはまったく思っておらず、脱衣所の服も見逃していた」
その声はどこか震えている。
やっぱり……?
「お気になさらないでください。ラナも連れずあんな時間に一人で入っていたのですから、こちらこそ失礼いたしました」
「いや……」
「それで、その。お話ししたいことがあるのですが、扉を開けてもいいでしょうか?」
返事はしばらくかえってこなかった。
やっぱりダメなのかしら?
返事の代わりに、扉がそっと開いた。
「話とはなんだ」
「あの……」
「早くしてくれ」
いつも以上にぶっきらぼう。
けれど、怒っているというよりは焦っているように見える。顔色も悪い。
「違ったら申し訳ないのですが……」
「だから何だ」
「アルフレッド様は、女性をお嫌いなだけでなく……恐ろしく感じておられるのではありませんか?」
アルフレッド様の目が、大きく見開かれた。
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