第11話 クロスボウ


 今日は初めて城下街にやってきた。

 きれいに整備された大通りの両脇には、たくさんのお店が並んでいる。

 美味しそうな匂いが漂う食べ物の店が立ち並ぶ区域を理性を総動員して通り過ぎ、職人街と呼ばれているという区域に入った。

 宝飾店、靴屋、時計店、シルドラン伯爵領にはなかった貴族向けではないブティック。

 大きなガラスの向こうに様々なものがディスプレイされている様は以前に一度だけ行ったことがある王都のようで、ここガーランド辺境伯領がいかに栄えているのかがわかった。


「奥様、あの店です」


 若い護衛の騎士が指す先に「武器」と書かれた看板を掲げる店があった。


「ありがとう。入ってみましょう」


 ラナと騎士を伴って店内に入ると、店主がいらっしゃいませ~と愛想よく声をかけてきた。

 魔獣出没する地だけあって、立派な武器が所狭しと並んでいる。


「どのようなものをお探しで?」


「クロスボウはありますか?」


「はい、もちろんです。こちらになります」


「まあ。すごいわ」


 クロスボウだけでもこんなに種類がたくさん。

 色々と手に取ってみる。


「あの……お嬢様……いえ、奥様がお使いになるのですか?」


 店主が左手の指輪を見ながら遠慮がちに聞いてくる。騎士が買いに来たと思っていたのね。


「ええ。扱いやすいものと威力が大きいものが欲しいのだけれど」


 森の小屋でも、ロンおじいさまの形見である二種類を使い分けていたのよね。


「威力が大きいものをお求めでしたら、こちらはいかがでしょう」


 店主がハンドルのついた歯車とクロスボウを出してくる。

 これは以前使っていたものと同じタイプだわ。質はこちらのほうがよさそうだけれど。


「このハンドル付き歯車をクロスボウに装着し、鉤爪を弦に引っ掛けてハンドルを回して歯車の力で弦をかけます。射つときには歯車を外さなければなりませんし、射てるようになるまでかなり時間がかかってしまうのが難点ですが」


 ぐるぐるとハンドルを回してみると、きついながらもなんとか回せて弦をかけることができた。


「手慣れていらっしゃいますね」


「ありがとう。一つはこれにするわ。もう一つは、威力が落ちても装填にあまり時間のかからないのがいいわ。以前はあぶみに足をかけて手で弦をかけるものを使っていたのだけれど」


 梃子や歯車といった道具を使わず手で弦かけるものは、手軽だけど威力が落ちる。ましてや私の筋力では強い弦をかけることができないから、弦の張りが弱いものを威嚇用か小動物用に使っていた。


「こちらの小型のクロスボウはいかがでしょう。最新式でございます。後部についたレバーを下に曲げますとこの鉤爪付きの金属の棒がレールを滑りながら弦を引っ張り、弦をかけることができます」


「レバーは真っすぐじゃなくてグリップの中に隠れている部分が曲がっていたのね」


「はい。梃子の原理で女性でも弦をかけることが可能です。レバーをいちいち外す必要がないのも便利です。飛距離と威力はあまり出ませんが、護身用としてはちょうどいいかと。距離が離れていなければ小動物と生身の人間くらいなら相手にできるでしょう」


「じゃあこれにするわ」


「お買い上げありがとうございます」


 ふたつのクロスボウを買ってご機嫌な私を、ラナが不思議そうに見ていた。

 魔獣が出るこの地域でも、女性がクロスボウというのはやっぱり珍しいのかしら。


「まだ時間があるわね。もう少し街を見て行ってもいい?」


「もちろんです、奥様」


「我らに遠慮なさらず、お好きなところを見て回ってください。ここはいい街ですし、奥様に好きになっていただけたら幸いです」


「二人ともありがとう」


 大通りを、あてもなくぶらぶらと歩く。

 通りを行く人は多く、皆いきいきとした表情をしていて、活気のある街だと思った。

 店の数も多く、シルドラン伯爵領にはなかったような店もたくさんある。

 そして食べ物がどれもこれも美味しそう。

 そろそろ城に帰ろうと思いつつも、ちょうど焼きあがったばかりの牛串から漂う美味しそうな匂いには勝てず、三人分を買ってラナとともにベンチに座って食べた。

 騎士にも座ることを勧めたけれど護衛中なのでと立って食べていた。本当は何かを食べること自体がダメらしいけれど、もし咎められたら奥様に無理に勧められたと言っていいというと笑って牛串を受け取ってくれた。

 塩と胡椒を振っただけのそれは、シンプルな味付けがかえって牛肉の旨味を引き立てていて美味しかった。城で食べるものよりも歯ごたえがあるけれど、これはこれで肉を食べているという感じが強くて好きだわ。


「美味しいわね」


「はい、美味しいです」


「うまい……じゃなくて美味しいです。僕の分まで買っていただいてすみません」


「どういたしまして。美味しいものをみんなで食べるのは楽しいわ。こちらこそ付き合わせてしまってごめんなさい」


「いえ滅相もない。なんというか、いい思い出になります」


「ふふ、それならよかったわ」


 ラナが食べ終わった三人分の串を屋台に戻しに行く。

 ここの牛串は人気なようで、何人かが焼きあがるのを待っていた。

 伯爵領では領民が牛の肉を食べるのを見たことがなかったけれど、ここでは貴族ではない人でも普通に買って食べられるものなのね。

 値段もそう高いものではないとはいえ、気軽に屋台の牛肉を買って食べられる人が多くいるということは金銭的に余裕がある人も多いということかしら。

 きっと領地経営がうまく行っているのね。

 伯爵領はどうなのだろう。お母様が亡くなって以降、街に行くことは許されなかったから今の様子がわからない。

 行動を制限されることのなかった頃に見た町は、ここほど大きくはなかったけれど、寂れているわけでもなかった。

 お母様亡き後、領内に変化はあったのかしら。イレーネ夫人とライラが屋敷に来てからは、家の中に贅沢品が増えたようだけれど、そんなに財政に余裕があったのかどうか……。


「奥様?」


 ラナに呼びかけられてはっとする。


「どうかなさいましたか」


「いいえ、なんでもないわ。ここは素敵な街ね。活気があって豊かで、そして人々が魔獣におびえている様子もないわ」


 ベンチから立ち上がり、再び歩き出す。


「ご主人様と騎士団が守ってくださると信じているのだと思います」


「そう思われるだけの実績を、代々の辺境伯と騎士団が残してきたのね。心から尊敬するわ」


 振り返ると、ラナの隣の護衛騎士がうれしそうな顔をしていた。


「そのように言っていただけて騎士団に所属する者としてうれしい限りです。奥様のような方にお仕えできることはこの上ない幸運です」


「……ありがとう」


 騎士の言葉に、うれしさと同時に騙しているような罪悪感がわき上がった。

 私は、一年でここから去る契約上の妻だから。

 その事実は変わらないけれど、一年間だけでも使用人や騎士たちにとっていい辺境伯夫人でいるよう努力しよう。



 馬車で城に戻り、クロスボウをしまうために地下の武器庫に行くと、剣の手入れをしていたアルフレッド様がいた。

 奇遇だわ。

 背後でラナが小さくクスッと笑った……気がした。


「ごきげんよう、アルフレッド様」


「ああ」


「クロスボウの購入許可をいただきありがとうございます。部屋には持ち込まずここに置きますのでご安心ください」


「それは構わないが。狩りをするために買ったのか?」


「機会があればしたいと思います」


「女性で狩りを嗜むのは珍しい。君は病弱だと聞いていたが、狩りを好む病弱な令嬢? ちぐはぐな印象だな」


 アルフレッド様が、さぐるように私をじっと見る。

 暗殺者だと疑われたりしているとか……? でも堂々とクロスボウを買う暗殺者なんていないでしょうし、そう思っているならアルフレッド様も許可を出さないはず。

 屋敷を追い出されて生きるために狩りをしていましたと言うわけにもいかないし、どう言ったらいいのかしら。


「……健康のために狩りを覚えました。あとは護身のために」


 一部は嘘じゃないわ。

 小屋では一度貞操の危機に直面した。あのときクロスボウという身を守る術を持っていなかったらどうなっていたことか。


「それはまた極端な話だ。それに護身といっても伯爵令嬢なら護衛騎士もつくだろうに」


 私の話に納得がいかなかったのか、アルフレッド様はまだ私をじっと見ている。

 鋭い視線が、少し怖い。


「いつどのようなことが起こるかわかりませんから、女性とて身を守る手段があるに越したことはありません。例えば魔獣がこの城に攻めてきたときに、このクロスボウで一体くらいは撃退できるかもしれませんし」


 ふ、とアルフレッド様が笑う。

 馬鹿にしたような笑いとは違う、自然にこぼれたような笑みにドキッとしてしまう。


「それはずいぶんと勇ましい話だ。だが、そうならないために我々は北の砦で魔獣の動向を常に見張り、何かあればすぐに駆け付けて魔獣を討つ。万が一北の砦が突破されても、この城の騎士団が対応する。だから君が勇ましくもクロスボウを使う機会は訪れないだろう」


「そうですか。それは残念です」


「残念……。やはり君は変わった女性だ」


 そんなことを言われ、少し恥ずかしくなってしまう。

 そうよね、貴族の令嬢は狩りなどしないしクロスボウで魔獣を倒そうとしたりもしない。


「だが勇ましいのは嫌いじゃない。城の屋上から北の砦と大防壁が見えるが、見てみるか?」


「はい、是非!」


 私がそう返事をすると、アルフレッド様がはっとしたような顔をした。

 私がはいと言ったことが意外だったのかしら?


「まあいい、行こう」


 アルフレッド様が背を向けて武器庫の扉を開ける。

 そういえばアルフレッド様が私に何かしようと誘ってくださったのは、これが初めてよね。

 なんだかうれしい。

 ラナは部屋でお茶の準備をして待つということだったので、その場で別れた。


 お城の屋上は、思っていたよりもずっと広かった。

 いざというときにここから弓兵が魔獣を攻撃するのだという。

 端には据え置き式の大型のクロスボウも設置してあって、鋸壁の狭間から狙いをつけられるようになっている。

 きょろきょろと見回していると、アルフレッド様が隣に来た。

 間に五人くらいは入れそうなほど距離があいているのが気になるけれど。


「あれを」


 アルフレッド様が城の北側を指さす。


「わあ……」


 そこには高く丈夫そうな防壁が、東西に延びていた。端がよく見えないほど先まで続いていて、これが魔獣の侵入防止に大きな役割を果たしているのだとわかった。


「百年以上かけて築き上げた防壁だ。これに関しては領民だけで作ったわけではなく国の援助もあったがな。防壁は北側にゆるやかに曲がり山脈の端に接している」


「壁を乗り越えてくる魔獣はいないのですか?」


「そうならないよう魔獣の動きを見張るのが北の砦に駐在する騎士たちの役目だ。二週間ごとに駐在する騎士は変えている。長期間の駐在になると騎士たちの気力が保てないしな。現れた魔獣が少なければそこの騎士たちで対応し、多ければ狼煙を上げて城から出動した騎士とともに倒す」


「へんな話ですが、防壁の端のほうから侵入してくる魔獣はいないのでしょうか」


「可能性がないとは言えないが、基本的に魔獣は人のいる方へと向かってくる習性がある。そのためにも砦に人を置いている」


 魔獣があちこちに散らないよう、おとりの役割も果たしているということね。

 その役割は、この城も担っているのでしょうけれど。


「では壁が関係ない、鳥のように飛ぶ魔獣は?」


「かなり珍しいがいることはいる。数年に一度程度だが、ワイバーンという魔獣が現れることがある。五十年前にはそのワイバーンの変異種が現れて大きな被害を出したが、それは当時の辺境伯だった曽祖父と騎士団によって討ち取られたということになっている」


「ということになっている、とは?」


「体中に矢がささって瀕死のまま逃げたという話だ。だからその魔石は得られなかったが、その後五十年も現れていないので死んだものとされている」


「そうだったのですね」


「何が現れたとしても、私と騎士団が倒す。君は何も心配しなくていい」


「わかりました。心配してくださってありがとうございます」


「! 別に……君の心配をしたわけじゃない」


「ふふ、そうですか」


 ため息をつきながら、アルフレッド様が前髪を後ろになでつける。

 調子が狂うな、とぼそりと言った。

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