第56話 魔王の槍


 信長が本陣に戻ると、かつての舎弟たちが勝利に酔うこともせず、辛そうな顔で待っていた。


 舎弟で、幼馴染のひとりである丹羽長秀が、今回の戦で死んだ味方の名前を読み上げた。多くは兵農分離で雇ったもと農民や町人だが、なかには信長の幼馴染である、舎弟も数人まぎれていた。


 幼い頃、まだガキ大将に過ぎなかった信長のうしろについてきて、一緒に野山を駆けまわり、釣りをして、城下町で遊んだ日のことを思い出しながら、冷え切った心で思う。


 ――そうか……もう、あいつとは遊べないのか……。


 一度歯を食いしばって耐えようとしたがやめた。家臣にどう思われようと、信長は、死んだ仲間のために涙を流したくなった。


 総大将である信長の涙を見て、他の舎弟たちも静かに涙を流しはじめる。


 信長研究における第一級の資料である信長公記によれば、若き日の信長は味方の死者の名を聞くたび『あいつも死んだのか』と言って涙を流し悲しんだとされている。


 子供の頃から同年代の少年たちみんなのガキ大将で、大人の縦の社会ではなく、男子中高生のような横社会で生きてきた信長にとって、家臣の死は、そのひとりひとりが旧友の死に等しかったのかもしれない。


 観測者は言った。愛する者を救えるかは、お前次第だと。いまは戦国乱世。これは戦争。味方にひとりの死者も出さないなどというのは不可能だ。


 覚悟はしていたが、それでも、二度と会うことの叶わない舎弟との思い出を脳裏に浮かべ『一〇〇〇度やり直した、この一〇〇一度目の世でも、あいつは救えなかったのか』と哀愁の情念に駆られてしまう。けれど、悲しんでばかりもいられなかった。


 ここにいるほとんどの者は十代の少年たちで、平成なら中学や高校に通っているような年齢だ。だがいまは戦国乱世で、十五で成人。まして信長はもう尾張一国を束ねる一国の王様であり、その舎弟たちは全員、国を守る軍人や武家の当主だ。


 誰から言うでもなく、誰もがその場で一分間の黙とうを捧げた。


 全員が目を開けたとき、信長たちはもう切り替えを済ませていた。


「よし! 戦後処理に移るぞ。と、その前にだ。ワンコ」


 信長の呼びかけに、利家はなんだろうと思いながら前に進み出た。すると信長は、


「今回の武功一番はワンコ、お前だ。よって、俺から朱槍を送るぞ」

「しゅ、朱槍? あたしが……?」


 朱槍とは、文字通り柄を朱色に染めた槍のことだ。当時、朱槍は家中でも最強に数えられる勇者しか持つことが許されなかった。その使用には、主の許可がいる。


「で、でもあたし、ノブのほうが強いし……」


 怯えるように視線を伏せる利家に、信長は優しく微笑む。


「ふっ、まぁ俺様は魔王だからな。眷属であるお前らに負けるわけがないだろ? だからいいんだよ。ワンコ、お前は俺の、魔王の槍だ。胸を張れよ」

「で、でも……その……」


 煮え切らない利家を後押しすべく、信長は恐ろしく邪なことを思いついてしまった。


 信長は頬を緩めると、利家を抱き寄せ、耳打ちをした。


「受け取らないなら主に逆らった罰としてこれから一か月間毎日」

「!? ッッッ~~~~!?」


 信長の要求を聞いて、利家はあの熱い晩の記憶を基にしながら、時代を先取りしまくった斬新で大胆過ぎる行為の想像をした。


「ノ、ノブの馬鹿! スケベ! しょしょ、しょんなこと……」

「じゃあ受け取ってくれるよな?」


 取り乱す利家に、信長は清清しいまでに強気だった。その両目は濁り切り、ただひたすらに性欲を滾らせている。その熱視線に、利家は折れた。


「わ、わかったわよ。受け取るわよ」

「ありがとな、じゃあ受け取ってくれたお礼に一か月毎日さっき言ったことするからな♪」


 頭から蒸気が出そうなほど利家は赤面して、小刻みに震えながら呪文のように何かを呟きはじめた。それから、急に肩を縮めてもじもじしはじめると上目遣いに一言。


「うぅ……や、やさしく……ね❤」


 ――ヤヴァイ可愛い!


 最後は、ちょっと嬉しそうにはにかむ利家に、信長は完全にハートを打ち抜かれていた。

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