第55話 魔王と戦乙女の想い


 ――よしっ、これで。


「謙信との戦いに集中できるぜ!」


 信長の剣撃が苛烈さを増せば、謙信の斬撃はその鋭さを冴えさせる。


 信長と謙信。魔王と軍神の戦いはその熱量をどこまでも上げ続け、人間程度では一歩も踏み入れない、前人未到の領域を作り出す。


 けれど、信長の心中では、まだ迷いが生じていた。


 いまの謙信が、あまりにも必死だったから。


 今世では、まだ面識がないのに。謙信は明らかに自分へ強い憎しみを持っていた。


 もう、言い訳はできない。信長は、確信を以って尋ねる。


「謙信、お前も、前世の記憶があるのか?」


 彼女の顔が、一瞬驚きに強張る。だがすぐに怒りの形相を取り戻す。


「だったら……どうなんだ! この魔王がぁああああ!」


 上段からの斬撃を、信長は受け止め、鍔迫り合いながら謙信と向き合う。


「教えてくれ! どうして俺を憎むんだ! 俺は、前世お前に何をしちまったんだ!?」

「ッッ」


 だが、謙信は辛そうな顔をするばかりで、答えてはくれなかった。

 そのとき、謙信の陣営から、重臣直江兼続が走り込んでくる。


「謙信様! お味方劣勢! 指揮を執って下さい!」

「なんだと!? まさかッ」


 謙信が信長から距離を取り、首を巡らせる。その様子に、信長は右口角を上げた。


「どうやら、うちの焙烙玉(手榴弾)がキマッたらしいな」

「焙烙玉だと?」


 東日本で暮らす謙信には馴染みがないが、戦国時代、西日本にはすでに手榴弾があった。


 効果はグレネードランチャー式の棒火矢と同じだが、腕力で投げられる焙烙玉は大きさ、火薬の量が違う。したがって、その威力は絶大だ。


 次々に手榴弾を投げつけられ、爆発に巻き込まれなくとも、その巨大な爆音に謙信の軍は足並みを乱されていた。無理もない、どれほど精強な兵だろうと、彼らにとって、火薬はほとんど未知の武器なのだ。


「これ以上の戦は、得策ではないか」


 謙信は悔しげに顔を歪めると、愛馬を呼びよせ、その背中に飛び乗り踵を返した。

 その背中に、信長は手を伸ばす。


「待ってくれ謙信! 教えてくれ! どうして俺を憎むんだ! どうしてお前は!」


 あのとき、涙を流したんだ、と尋ねようとして、その前に謙信が振り向く。


 謙信の目には、涙が浮かんでいた。その姿に、信長は言葉を失ってしまう。


 遠ざかる謙信を追うことができず、信長はその場に立ち尽くした。やがて、謙信軍は撤退を開始して、信長軍からは勝利に沸く声が上がった。


 だが、信長だけは、胸に消えない痛みが残る形になってしまった。

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