第51話 魔王の愛した戦女神


 千度の人生で、信長はいつも彼女を、上杉謙信を尊敬した。


 若い頃、信長は百年の乱世を終わらせ、太平の世を作り上げようとしていた。だが、それを理解してくれる大人はいなかった。


 世は戦国乱世、武将は親兄弟同士でも裏切り殺し合い、己の優位を高めようとする時代だ。信長は、それを終わらせたかった。


 そんなとき、彼女の話を聞いたのだ。


 越後の龍、上杉謙信。

 義によって軍を動かし、弱きを助け強きを挫く。そして救済活動に見返りを求めない。


 倒した敵も、降伏すれば命は助けた。そして二度三度と裏切られ、攻められ、その度ごとに倒しては許す。


 まるで、英雄譚から抜け出してきたような、本物の勇者だった。

 憧れた。それも、強烈に。


 この戦国乱世において、どうしたらそんなにも純潔であれるのか。そして期待した。

 彼女なら、自分を理解してくれるのではないかと。


  ◆


 次の日の昼過ぎ。信長は安祥城の東に陣を布き、その本陣で地図を見下ろしていた。


 信長は思い出す。京都で会ったときの謙信を。いつも無表情で玲瓏な雰囲気を湛えた彼女だが、あのとき、彼女の声音には、確かな憎しみがこもっていた。


 前世、謙信が自分を刺し貫いた泣き顔を、憎しみのこもった眼差しを思い出して、信長は焦燥感に歯噛みする。


 上杉謙信。前世で、自分を殺した女。それに、もしも彼女が前世の記憶を持っているのだとしたら、謙信は再度殺しに来ていることになる。


 ――謙信、そんなにも俺が憎いのか?


 信長は不安な気持ちが溢れて、息が乱れるのを押さえられなかった。


 本音を言えば、この戦で謙信を打ち負かし、謙信を捕え、自分を恨む理由を教えて欲しかった。けれど、それはあまりにも難しい。


 なぜなら、信長は千度の人生において、ただの一度も謙信に勝ったことがなかった。


 信長の知る限り、千度の人生は四種類に分けられた。


 謙信と同盟を結び、謙信と協力して天下を統一する途中で、家臣に裏切られて死ぬ場合。


 だいぶ年上として産まれた謙信が病死して、その跡継ぎである上杉景勝に勝つ場合。


 上杉家とは決着がつかないまま、家臣に裏切られて死ぬ場合。


 そして、謙信自身に殺される場合だ。


 千度にもわたる天下取りで、織田信長は、ただの一度として、上杉謙信という武将に戦で勝ったことがない。


 戦国時代において、軍神の名を冠する謙信の戦上手ぶりは伊達ではない。


 まして、いまの信長はようやく尾張一国を統一したばかりだ。前世の、近畿地方全土を手にしたときの国力でも謙信には勝てるかわからない。


 状況は、あまりにも絶望的だった。それでも、


「何がなんでも、なんとかするしかねぇよな。俺だって、前世の知識があって今日まで遊んでいたわけじゃないんだ」


 自分にそう言い聞かせて、信長は立ち上がる。


「見せてやるよ謙信。俺の全力をな。そんで、お前の真意を確かめてやる」


 危機は好機。これは、前世、謙信が信長を恨む理由を知る絶好の機会だ。そう思えば、むしろ信長は、謙信に前世の記憶があって欲しいとすら願った。


 そこへ、秀吉が状況報告に現れた。


「信長様。謙信はここより東に半里の地で兵を休ませたのち、進軍を開始。半刻ほどでこちらへ到着するようですみゃ」

「そうか」


 短い返答に、秀吉はやや不安そうな声で訪ねる。


「あのぅ、本当にウチらだけで戦うので? ここは三河なんだから、三河兵にも協力させたほうが」


「駄目だ。俺らは昨日、圧倒的な力で今川軍を壊滅させて、その強さを三河兵たちに見せつけたばかりだ。そのおかげで三河兵は俺らへの評価をあらため、同盟を結ぶことに肯定的になっている。ここで弱味は見せられない。謙信は俺らだけで倒す必要がある!」


 ――とは言っても、俺らの強みである火薬兵器は今川軍相手に消耗しちまった。残り少ない弾薬と、長槍隊の集団戦法だけでどこまでやれるか……。


 信長が力強く断言するも、秀吉はいまいち得心のいった顔をしない。


「ところで、前から気になっていたんですけど、どうして信長様は上杉殿のことを謙信と名前で呼ぶので?」


 秀吉に問われて、信長は言葉に詰まった。


 繰り返すが、信長には前世の記憶がある。


 前世。信長と謙信は盟友だった。友だった。


 幾度となく酒を酌み交わし、ふたりで天下統一を目指した。当然、下の名前で呼び合う仲だった。


「何言ってんだよ。上杉じゃ上杉家の誰のことかわからないだろ? ていうか俺は前々から義輝公とか、人のことは下の名前で呼ぶ派だろ? 忘れたか?」


「そうでしたっけ?」


 それでも秀吉が納得しないので、信長は話を逸らす。


「それよりサル、みんなの様子が落ち着かないな」

「にゃ~、それは仕方ないですよ、だって、相手はあの上杉軍ですよ」


 眉を八の字にして、秀吉は唸った。


 この一〇〇一度目の人生でも、謙信は軍神としての才覚を如何なく発揮していた。いや、むしろ、千度の人生のどれよりも彼女の活躍は目覚ましかった。


 白銀の髪と真紅の瞳を持つことから、生まれたときから神の化身として崇められ、十三歳で家督を継ぐと、周辺諸国の争いへ武力介入を続け、そのすべてで勝利を収めた。


 常に弱者の味方をし、強気を挫き弱気を助け、を実行し続ける謙信の名は、日本中に知れ渡っている。


 そして、常に強者と戦い続け勝利し、ただの一度の敗走もないことから、戦った数だけ異名があるとも言われていた。


 軍神・毘沙門天の化身・越後の龍・神の子・常勝不敗・戦女神・神力無双・東の覇者。数え上げればキリがない。


 謙信の軍は、神の兵団として、強さと恐怖の象徴となっている。


 信長軍の半分以上は緊張で体が重く、戦う前から軽くお通夜ムードだった。


 元気なのは、信長の舎弟たちだけだった。


「ねぇねぇ魔王様ぁー! 今日の戦に勝ったらあたし! 神殺しの慶次って名乗ってもいいですよね♪」


「俺が勝ったときのキメ台詞だけど、この恒興様の槍には軍神も敵わねぇようだな、でいいかな?」


「もっと凝れよ。それより毘沙門天とか言われている謙信に勝ったらその上の帝釈天とか名乗っていいのか?」


「帝釈天って仏側ですよね? それよりもっと堕悪(だあく)な感じがいいと思うなぁ。阿修羅とか閻魔とか」


 他の連中も、似たようなことを言ったり考えている。なので信長も、それに乗っかることにした。

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