第49話 新・桶狭間の蹂躙


 時間は一刻前に遡る。戦の準備を済ませた信長軍八千は、予定通り安祥城の南に布陣した。表向きは、家康の守る安祥城と睨み合っているように見えるが、実際は南から攻めてくるであろう今川軍を迎え撃つことになっている。


 そして、昼前に今川軍三万は南に姿を現し、布陣した。今川が動いたのは昼過ぎのことだ。三万人。街の全人口にすら匹敵し、信長たちの視界を、イナゴの群れのように埋め尽くす人だかりの海だ。


 このすべてが、自分たちを殺しにかかってくると思えば、並の人間ならば、生きた心地がしないだろう。


 なのに、それでも、本陣から出て最前線で指揮を執る信長は余裕を崩さず、まるで楽しむように魔王然とした笑みを浮かべる。


 その頃、今川軍本陣では、総大将今川義元が豪奢な扇子で自身を扇ぎながら、ひとこと呟いた。


「行け、下賤な尾張の虫ケラ共を蹂躙せよ」


 義元が扇子を閉じると、三万の軍勢が鬨の声を上げた。


 三万人の雄叫びは大気を震わせ、信長の肌を震わせる。今川軍最前衛までの距離は、およそ一町(一〇九メートル)。今川軍の先頭部隊は長槍隊。穂先を前に構え、一目散に駆けてくる。対する信長軍の先頭部隊は鉄砲隊。千人の鉄砲兵が横一列に並び、その後ろに予備の弾薬を背負った兵が控えている。


 その中央で、信長は、鷹揚に右手を挙げた。


 今川軍までの距離、残り半町。鉄砲の舎弟に入ったが、まだ信長は合図を送らない。


 そして、ついに今川軍が四分の一町まで迫ったとき、それは起こった。


 轟音。


 大地が爆ぜ、そこら一帯の地面から爆炎が噴きあがり、今川軍先頭部隊を一飲みにした。


 爆発の連鎖は止まらない。今川軍の先頭部隊は、あるラインを越えると同時に爆炎に喰われ、熱と爆音と痛みのなかで絶叫しのたうち回った。


 だが集団移動の運動エネルギーは止まらない。


 後ろの兵士たちは地面を転がる味方を踏み殺し、転び、またうしろの兵に踏み潰される。


 負の連鎖は止まらず、まるで平成の玉突き事故、否、イベント終了後に起こる、帰宅客の将棋倒しか。


 だが悲劇は終わらない。前方の爆音と爆炎に驚き、ようやくうしろの兵士が歩みを止めると、信長は死刑判決とともに右手を下ろした。


「放て! この時代の人類に! 火薬というものを教えてやれぇ‼」


 その瞬間、魔王が誇る鋼の獣千匹が咆哮をあげる。


 千本の稲妻を束ねたような轟音と共に吐き出された一千発の弾丸は、弓矢のように生温い弓なり軌道など描かない。水平に戦場を突き抜け、浮足立った今川兵の命を貫いた。


 今川軍は銃を持たない。銃を意識しない。未だ防刃防矢の、革と木でできた、中世時代然とした武具を身に着けていた。


 だが、十六世紀の中世日本で、中世甲冑を身に着けていたことが、彼らの死因だった。


 音速で滑空する小さな死神たちは動物の革や木、薄い鉄など易々と食い尽くす。彼らを食い止めるには鍛えられた、分厚い鋼の鎧が必要なのだ。


 何が起こったのか理解が追い付かない今川兵はその場に立ち止まり、呆然とする。


 視線の先で、信長兵たちが見慣れない鉄の筒の先端に何かを入れ、棒で奥へ押し込む。それからその先端をこちらに構えて――轟音、味方たちが血飛沫に溺れて崩れ落ちる。


 自身の視界も空に覆われ、自分が倒れていることに気づきながら思う。


 知らない、こんな戦争は知らない。こんなのはただの理不尽でしかない。神罰や呪いの類だ。


 やがて、未だ自分の足で立つことができている今川兵は気づいた。アレが、あの轟音が鳴ったら人が死ぬ。あの鉄筒の先にいる人間は死ぬ。それも大量に、理不尽に、抵抗の余地もなく。


 そしてはじまるのは戦争ではない。ただの集団パニック、否、集団ヒステリーだ。


 恐慌状態に陥った先方隊は、災害から逃げるネズミのようにして我先にと走り、ことごとく背中を撃ち抜かれた。


 五秒ごとに訪れる死の災厄は、だが練度には個人差があり、四秒で撃てる者がいれば、六秒かかる者もいて、発砲にバラつきが生まれる。


 五秒ごとに轟音と共に訪れる災厄は、秩序を失い戦場で常に、そこらじゅうでやたらめったらにまき散らされ、それがまた今川軍の混乱を煽った。


「続けて棒火矢一式! 放てぇ!」


 鉄砲隊が弾幕を維持するなか、棒火矢一式(グレネードランチャー)部隊が、ロケット花火をスケールアップしたような筒の導火線に、次々点火していく。


 三〇〇メートル以上の飛距離を誇るそれは、怪鳥のような奇声を発しながら空を駆け、今川軍のなかへ飛び込むと同時に炸裂。周囲に鉄粒を飛び散らせ、将兵の肉体をズタズタに引き裂いていく。


 もう、今川軍の前衛は総崩れだった。


 それでも、信長の愛しい兵器たちは、未だ手ぐすねを引いていた。


 信長は魔眼の力を発動。今川軍全体の後光を鑑定する。


 平成では、軟弱な公家大名としての印象が強い今川義元だが、事実は異なる。


 彼こそは、名家今川家の男子に相応しい一流の英才教育を受け、苛烈な跡目争いに勝利し、今川家を牛耳り、三国統一を成し遂げ東海一の弓取りと呼ばれた名将だ。


 信長史上最大級の危機はいくつかあるが、一番を挙げろと言われれば、間違いなく、今川義元との決戦、桶狭間の戦いだろう。


 ――あぁ、そこにいるんだな。義元。


 地平線の果てまで続くような大軍勢の奥中央に、ひと際大きく、真っすぐ噴きあがる光の渦があった。


 信長は、長距離用の棒火矢一式と、二式の部隊へ、正確な距離と方角を指示した。


「いいか。俺がやめろと言うまで、何千発でも撃ち続けろ」


 そう言って、信長は人類史上初の『爆撃』を慣行。


 二種類の棒火矢が無数に打ち上がり、天を駆けていく。怪鳥の鳴き声は、まるで黄泉の国から参じた使者のソレだった。


   ◆


 その頃、今川本陣もまた、混迷を極めていた。


 前方から、聞き慣れない炸裂音が起き、何事かと思えば、前衛が総崩れだと言うではないか。本陣に構える義元と、その重臣たちは、未体験の事態に対応できず、とにかく詳細を確認するよう、伝令兵を飛ばす。


 そこへ、ヒュゥウウウウウウウウッ、という、怪鳥の鳴き声のような音が聞こえる。


 なんの音かと思い、義元たちは空を見上げた。そして、空を飛ぶ無数の影を視認した数秒後、数百発の爆弾が今川本陣に降り注いだ。


 名将今川義元に生き残る希望は、一片として残ってはいなかった。

  

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