第47話 十兵衛は可愛いなぁ……
「この女、めっちゃイイ女だ」
勝家、家康、半蔵が口をぽかんと開けて、十兵衛は眉間のしわを深くした。
「貴様、それはなんの冗談だ?」
「いやだってさ、私情とか個人的怨恨とか利益じゃなくって友達と家臣のためなんだろ? 他人のためなんだろ? ここで俺の同盟を受けて会談をまとめたほうが主君家康のご機嫌も取れるし絶対お前のためになるのにそれをかなぐり捨ててでも仲間の想いに報いたいなんて、美人で恵体で強くて情に厚くて仲間想いとか完璧過ぎるだろ」
「ッ」
十兵衛は不機嫌そうな顔つきのまま、頬が桜色に染まり、そうになったがギリギリのところで踏み止まったようだ。イラついた様子で口を返してきた。
「そのような安い言葉でほだされるほど、私は安く見えたか?」
「いや、お前をほだす気はねぇよ」
「?」
十兵衛がいぶかしむなか、机の下では、頬をふくらませた家康の足が、信長のスネを蹴っていた。あまりに家康が可愛いので、信長はほっこりした気分になる。
――ふふ、ポン太は可愛いなぁ。
「しかしながら、我が殿、信長様の言うことを返せば、貴女は義を重んじるあまり、冷静な判断力を失っている、とも取れるのでは?」
勝家の指摘に、十兵衛はやや苦しそうな顔になる。そこへ信長が畳みかける。
「わかった、じゃあ同盟の話はなしにしよう」
十兵衛の目が丸くなるのを確認してから、信長は続けた。
「そちらの要求通り、同盟の話はなしだ。その代わり、織田と今川の戦には中立でいてくれ。それも、いつ破棄しても構わないという条件付きで」
「ま、まて、貴様何を言っている!?」
話についてこられない十兵衛を置き去りにして、信長はなおも舌を転がした。
「今川軍はこの安祥城の南から攻めてくるだろう。だから松平軍はこの安祥城の南に布陣して、俺らはさらにその南に布陣する。つまり松平と今川に挟まれた状態だな。今川も挟み撃ちを狙ってくるだろう。でも、松平は手を出さないで、俺らと今川の戦いを傍観していて欲しいんだ。ただし、今川が優勢だと判断した段階で俺らの背後をついていい。俺らが今川に勝ったら、そのあとであらためて同盟を結ぼう。あと援助額も増やそうか? 倍額の、銭二千貫文(四〇億円)やるよ」
急に譲歩されると、相手の要求をのみやすくなってしまう。これは単純な交渉術だ。
それに前述の通り、ここ三河は今川の属国として辛酸をなめさせられている。
つまり、松平家からすれば、織田が勝てば自分たちを縛る今川から解放されるし、今川が勝ちそうならそこに助太刀して織田を滅ぼし手柄を立てられる、というわけだ。
どちらに転んでも、松平家には利しかない。
そして、それがわからないほど、十兵衛は愚鈍ではない。
「ぐっ……それは……」
「いやぁ♪ すっごく思い切ったこと言うねぇ、ノブさん♪」
「は、半蔵?」
十兵衛に喋らせず、半蔵はまくし立てる。
「でもさでもさ、それってうちにはめちゃくちゃお得な話だけどぉ、ノブさんたちにはなんの得があるの? 今川と戦って勝てる算段があるなら、それこそうちを潰して三河を乗っ取ったほうがいいんじゃない? 土地と城を返して資金と食料援助して、今川に勝ったらうちと同盟って、なんでそこまで至れり尽くせりなの?」
半蔵の問いに、信長は自信たっぷりに胸を張る。
「ふふん、決まっているだろう。妹のポン太に、立派な主になって欲しいからだ」
家康と半蔵の顔が、同時にポッと染まる。
「にぃにぃってば……」
「ノブノブってば……」
――おぉっと、半蔵も可愛いなおい。
下半身に由来する妄想を膨らませていると、十兵衛が口を挟んでくる。
「貴様の戯言はもういい。そもそもだ、織田軍が今川軍に勝てるわけがないだろう。わかっているのか? 今川は我が三河を含め、駿遠三の三国を統べる統一王にして三万の大軍勢を動かせる、日本最大の軍勢だ。我が三河軍とて、今川の意思ひとつで一夜にして一兵残らず殲滅されるだろう……」
言葉尻には、かすかな悲痛さえ感じ取れるような十兵衛に、信長は余裕を崩さない。
「俺らは倍の兵数を誇る、弟信勝軍にも大勝している。それに籠城しないで、こうして三河まで出張ってきたのも、算段あってのことだ。俺らの戦いを見るだけの価値はあると思うぞ? それに、俺らが劣勢だと判断すれば攻めていいんだぜ」
それでも十兵衛が反論を探しているようなので、信長は息をついた。
「まったく、十兵衛は欲しがりだなぁ、じゃあこうしよう。もしも俺らが負けたら……サルが脱ぐ!」
「みゃっ!?」
信長に肩をわしづかまれて、秀吉が驚愕の悲鳴を上げる。すると半蔵も、対抗して前のめりになる。
「へー、じゃあこっちは、もしも織田が今川に勝ったら十兵衛が脱いじゃうよ!」
「は!?」
今度は十兵衛が驚愕の声を上げるがふたりは止まらない。
「じゃあこっちが負けたらサルがフンドシも脱いで全裸になる!」
「じゃあじゃあこっちも十兵衛がフンドシまで脱いで全裸になる!」
「じゃあこっちが負けたらサルは十日間着衣禁止にする!」
「じゃあじゃあこっちが負けたら十兵衛の初めてをノブノブにあげちゃう♪」
「いや信長様! ウチの貧相な体にそんにゃ価値ありませんよ!」
「安心しろサル! お前の残念なくらいつるぺたな体が好きなおじさんお兄さんや大きいお友達だって世の中にはたくさんいるんだ! 見ごたえ抜群だぞ!」
「嬉しくありませんのみゃぁああああ!」
「そんならうちの十兵衛も凄いんだから♪ 無駄に爆乳安産型なのにいつも仏頂面で無愛想でかと思えばそれ誰に見せんのってくらいエグいフンドシはいてて胸帯もつけてる意味あるのかわかんないくらい細くて乳輪しか隠せてないムッツリスケベなんだよ!」
コンマ一秒後、ゆでだこのように顔を赤くした十兵衛の剣が、半蔵のクナイと鍔迫り合いをしていた。家康が小さな悲鳴をあげて縮こまる。
「半蔵、貴様ッ……」
羞恥で憤死しそうな勢いの十兵衛に、半蔵はコロコロと笑って答える。
「まぁまぁ、そんなに怒らないの♪ それに十兵衛だって、もうわかっているんじゃない? 信長の提案を受け入れたほうがいいって」
半蔵の弁に、十兵衛は力抜いて刀を納めた。
「……いいだろう。信長、貴様の提案を吞んでやる。ただし忘れるなよ。ほんの少しでも今川が優勢だと思ったなら、私は松平軍四千で貴様らの背後を攻める!」
「いいぜ。その代わりちゃんと観戦しろ。長年争ってきた織田家と同盟を結んでもいいってみんなが思えるように、家臣たち全員に観戦させろ」
信長がニヤリと笑うと、ようやく松平軍総大将の家康が話し合いに参加する。
「えーっと、じゃあその条件で、いいんだね十兵衛、半蔵」
ふたりが頷くと、家康は安堵の息をついた。
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