第44話 動く今川
「殿、今川軍が動いたでござる」
誰にも気配を気づかせず、いつのまにか信長の背後を取っていたのは、中途採用組のひとり、滝川一益だった。
「おう一益か。相変わらず忍者みたいに現れるな」
他のみんなは小さな悲鳴をあげるが、信長はもう慣れていた。
「はっはっはっ、地元でもよく言われたでござるよ、ニンニン。それで今川軍の動きなのですが」
そのとき、信長たちは全員『いまこいつニンニンって言った』と思った。
「駿河の今川屋敷を偵察してきましたが、今朝、今川義元率いる今川軍本隊が出陣。五日後にはこの尾張へ攻め込むようでござる」
「そうか、思ったより早かったな」
信長たちは優しいので『行軍に五日かかる距離を半日で戻ってきたお前はなんなの?』とは聞かないであげた。
――にしても、前世より十年も早いな。まぁ、前世と違うのは俺も同じだけどな。
腹の中で怪しく笑い、信長は気を引き締める。
――いままでの人生じゃ、俺は尾張統一に数年かかっている。それが今世じゃ、たった三か月で済んでいる。想定外の快進撃に、今川も焦っているんだろう。俺がこれ以上の力をつける前に潰そうって腹か。
それに、五右衛門の話では、北の斎藤家はすぐには動けない。今川も、その情報をつかんでいるのかもしれない。
――いまうちに攻め込めば、尾張を独り占めできる、そんな狙いもあるんだろうな。
「それで、敵の数は?」
「はい、およそ三万」
その数に、秀吉たちは息を呑んだ。
「三万て、それどこの大都市の人口だみゃ……」
ゴリゴリブルーカラーの勝家と可成も、動揺を隠せなかった。
「あたしらは八〇〇〇、信長様の火薬兵器は強力ですが……兵力が違いすぎます……」
「殿! いますぐ籠城の準備を致しましょう!」
「お姉さま! 松と一緒に逃げましょう! ふたりだけで‼」
「なーにバカ言ってんのよあんたは……」
「魔王様! ここは打って出ましょう!」
勝家のチョップが、慶次の頭に入った。
「四倍の敵に野戦しかけてどうすんだい!」
「いや、野戦で行こう」
『へ?』
まさかの決定に皆が唖然とするなか、信長は淡々と一益に尋ねる。
「それで一益、三河国の軍はどうなっている?」
「属国三河の軍は四千。その総大将として、今川家の人質となっている松平兄妹が派遣されるようです。両名はすでに安祥城(あんしょうじょう)へ入り、今川本隊が到着し次第、先方として尾張へ攻め込む作戦のようでござる」
――よし、そこは前世と同じ、ていうよりも、それが最善だからな。義元が名将である以上、その判断は変わらない。
「お前ら、明日今川軍潰しに行くから、全員戦支度するように」
『へ?』
また、全員の声が重なると、信長は淡々とした口調で説明する。
「明日俺らは全軍で三河の安祥城へ進軍して、そこで三河軍を懐柔する。幼馴染のポン太なら聞いてくれるだろう」
――あいつ甘えん坊やだし前世もそのまた前も俺のこと好き過ぎるからな。
信長の提案に、利家は声を濁らせる。
「う~ん、確かにポン太なら、でもポン太だっていまや領民の命を預かる身でしょ? いくら幼馴染だからって、お友達感覚で味方になってくれるかしら?」
「幼馴染?」
「ポン太?」
秀吉と、中途採用の可成が話についていけていないので、見かねた利家は解説する。
「えーっとそうね、まず国の並びだけど、西から尾張、三河、遠江、駿河の順に並んでいるでしょ? だから三河は、織田の治める尾張と、今川の治める駿河遠江に挟まれているのよ。ここまではいーい?」
脳筋の可成が頷いたのを確認してから、利家は解説を再開する。
「それで三河を治める松平家は、昔から織田と今川の両方から、自分の味方になれって迫られていたの。それで国主は生き残るために、双子の子供のうち、上の子を今川に、下の子を織田に人質として送り付けて、ご機嫌取りをしたの」
利家の言う子供とは、無論、のちの徳川家康のことだ。史料によれば、家康の人質時代には、あり得ない速度で移動していたり、同時期に二か所にいたことになっていたりするため、家康には双子説がある。
「でも今川は逆に、息子の命が惜しかったら今川の先兵として尾張侵略に協力しろって要求したわ。以来、うちと三河は長年にわたって戦争状態よ」
がっくりと肩を落としながら、利家は解説をしめくくる。
「それであたしたちが幼い頃はその人質、竹千代とよく遊んでいたんだけど、ノブの兄弟が今川に捕まったとき、人質交換で今川家に連れていかれちゃったのよ。子供をふたりとも今川に取られて、そのあとすぐ国主が死んでからは、三河は今川の属国。収穫、資源、税金は搾取されて戦争では最前線で戦わされて酷い扱いを受けているわ。貧しすぎて、武士たちも畑を耕して食いつないでいるみたい……敵ながら同情するわ……」
「むむ、そんな事情があったとは、今川家は酷いでござるな」
可成は腕を組み、真剣な顔を作るが、秀吉はジト目で信長を見上げた。
――なんだよサル。隣国の国主の子(王子様)にポン太って仇名つけちゃ駄目なのか?
「とにかくそんなわけで、俺とポン太は友達で、向こうも今川のことは嫌いなはずだ。交渉の余地はある。ただし懐柔できても、中立が限度かもしれない。その場合は今川軍三万に俺らだけで当たることになる。万軍の常備兵は無理だったけど、足りない分は火薬兵器で埋めよう。俺が改造した火縄銃の威力は、みんなも知っているはずだ」
三か月前、信長は倍の数を誇る信勝軍を、五〇〇挺の鉄砲隊で壊滅させたばかりだ。
その威力は皆知っているし、そのときは信勝の家臣だった勝家は、身に染みている。
それでも、勝家は複雑な表情で進言する。
「ですが信長様。今度の敵は四倍です。まして三河で迎え撃つとなると、地の利も得られません。ここはやはり、籠城したほうが良いのでは?」
「そう心配するなよ勝姉。火縄銃は新しく買い付けたり作ったりして倍の一千挺にまで増えているし、他の火薬兵器もある。だろ?」
信長に水を向けられて、秀吉は背筋を伸ばす。
「はい、焙烙玉、地雷、棒火矢一式二式、いずれも倉庫を満たさんばかりの量を用意していますのみゃ」
「よし、それらの火薬兵器は生産量の九割九分を運びだせ。鉄砲の弾薬は一〇〇万発、鉄砲兵ひとりにつき一千発撃てるようにしろ」
「一〇〇万発!? そうなると、今日までに量産した弾薬の大半を持っていくことににゃりますが……」
「わかっている。いいかみんな、小国尾張が大国今川を倒す。これに成功すれば、俺らの名前は全国に轟く。ここが正念場だと思え。わかったら戦支度を急げ。あと一益は先に安祥城へ行ってポン太、いや、家康に俺が同盟を望んでいることを伝えてくれ」
『はいっ!』
皆の返事を聞くと、信長は返して、兵器工房へ向かった。
――さてと、問題は、アレの完成度と持っていくかどうかだな。
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