第40話 魔王ミーツ軍神


 信長が案内されたのは、館の外にある物見櫓だった。


 将軍がこんなところで何の話だろうかと不思議に思いながら階段をのぼり、頂上へ着くと、義輝は京の街を指す。


「見てくれ、これが京の都だ」


 信長は言葉を失った。沈みかけた夕日に照らされた京には、在りし日の美しさが、おぼろげながら残っている。


「荒れ果てた京も、夕日に染めて遠くから見れば美しいものだ」


 途端に、義輝の表情が崩れる。精悍な表情が一転、そこには思い悩む青年の顔があった。


「信長、そなたのことは聞いている。父信秀が亡くなったあとは、大変だったな」

「……はい」


 父が死んでから織田家は分裂し、尾張は内戦状態に入った。この戦国乱世で、国内すらまとまらず、親戚同士で殺し合う。なんと馬鹿げたことだろうと、信長は悲しくなる。


「余も同じだ。幼い頃、すでに室町幕府は力を失っており、誰も我が足利将軍家の言葉など聞かぬ。元服するまでは何もできない自分が嫌いでな、その鬱憤を晴らすように剣術に打ち込んだものだ」


 足利義輝は、剣豪将軍として知られている。戦国最強の剣士として有名な塚原卜伝の直弟子となり、一説には奥義を授かり、免許皆伝の腕前だったとされる。


 実戦経験はないが、一対一の決闘ならば、彼は戦国最強のひとりに数えられるだろう。


「散り散りになったこの日の本をまとめようと、余は必死だったよ。だからな信長、尾張を守り、侵略を繰り返す斎藤と今川を討て。そのあいだに、余は京を取り巻く天下を統一し、足利家を復権させたのちにこの乱世を終わらせてみせる」


 そう言って、義輝の表情に力が漲る。


 義輝の言う天下とは、信長の言う天下、日本列島のことではない。


 この場合、天下とは京都周辺の畿内五カ国(山城・大和・河内・和泉・摂津)を指す。


 そもそも当時の天下とは、首都である京都周辺を指す言葉で、全国の意味で使う人は少ない。事実、畿内を統一した三好氏を天下人と称した資料が残っている。


 だからもしかすると当時、信長の言う天下統一を、畿内統一という意味だと思っていた人は、信長が中国地方や四国にまで攻め入ろうとしたときに驚いたかもしれない。


「義輝様……」


 自分と似た境遇にある義輝に、信長は深く共感し理解した。この人も、乱世を終わらせたいのだと。


 けれど信長は知っている。義輝はこののち、足利将軍家と室町幕府を復権することなく、三好氏や松永氏に滅ぼされ、殺されてしまうことを。


 義輝が復権のため、どれほど尽力しようと物理的な軍事力、暴力の前には敵わないのだ。


 ――観測者の言うように、歴史は不安定で、人生をやり直すたびごとに歴史は少し変わる。けれど、千度の人生において、義輝が天下を統一したことは、一度もない。


 義輝とは、特別親しいわけではないが、彼が死ぬ必要のない、善なる人間であることはわかる。近い将来訪れるであろう、義輝の死を悼み、信長は暗澹たる想いにかられる。


 すると、義輝は静かに手を差し出し、握手を求めてきた。


「信長……そなたの上洛を、心から感謝する」

「……私も、将軍様にお会い出来て、嬉しく思います」


 束の間の幻ではあるが、信長は彼の幸福を願った。


   ◆


 義輝との謁見を済ませた信長は、玄関まで家臣の人に案内される。だが、その途中、廊下の曲がり角から、思わぬ人物が姿を見せた。


 輝く白銀の髪に、透き通るような真紅の瞳。それはまるで、


 ――観測者!? いや、違う。こいつは……。


 姿こそ前世とは違うものの、その顔立ちは変わらない。


 彼女こそは、前世で信長を殺した張本人、上杉謙信だった。


 十数年間忘れていた痛みが、彼女に刺し貫かれたときの苦痛が、幻痛として胸に走った。


 向こうもこちらに気づいたのか、足を止める。


 ――落ち着け。ここは前世じゃない。今世の謙信と俺は、これが初対面なんだ。

 ただ、謙信の髪と瞳の色が気になる。


 両目はまるで、信長の右目、観測者の目だ。


 だとすると謙信も魔眼の持ち主で、前世の記憶を引き継いでいるのでは、と思う反面、髪まで観測者と同じなのが気になる。


 白蛇のように、人間にも時折、生まれながらに白い髪の人が生まれると聞いたことがある。もしもそうなら、信長はとんだ道化だ。


 義輝の家来が、仲介をはじめてくれる。


「上杉様、こちらは、尾張の織田信長様でございます。本日は将軍様より、尾張国主の任を与えられました」


 家来の紹介に続いて、信長自身も謙信に頭を下げる。


「お初にお目にかかる、上杉殿。関東管領就任、お祝い申し上げる。貴方の武名を聞き、一度お会いしたいと思っていました」


 だが、謙信は眉一つ動かさず、無機質な声を返す。


「私も、貴君には会いたかったぞ、天魔殿」


 謙信の物言いに、信長はやや戸惑う。


 領民のあいだでは、信長は欲望を叶えてくれる神、第六天魔王として親しまれている。だが外国の、越後国の人間である謙信がその名を口にするのは、蔑称の意味だろう。


 信長は表情を崩して、かしこまった態度をやめた。


「それは酷いな。確かに俺の右目は赤いけど、それならそっちも同じだし。しかも両目」


 それでも、謙信の表情は小動もしない。けれど、声音にはわずかな重みが込められる。


「瞳は関係ない。だが私は知っている。貴君は、この日の本を乱す魔王だ。貴君は、いずれ私が討ち果たす」


 ――ッ、やっぱり、こいつ。


 胸が苦しくなるほどの動悸が信長を襲う。同時に、突然の宣戦布告に、利家たちは臨戦態勢に入る。すると、謙信はやはり無表情のまま、前へ進み出る。


「退け。関東管領に任ぜられた者として、義輝様と北条征伐の相談がある」

「関東管領?」


 勝家が、やや動揺した声で呟く。関東管領とは、関東地方全体の管理を任された重職だ。どうやら、信長が尾張国主に任ぜられたように、謙信は、関東管領に任ぜられたようだ。


 謙信の神々しいまでの威圧感に圧されて、利家たちが左右に分かれると、謙信は信長から遠ざかる。その背中に、信長は声をかけられなかった。

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