第39話 征夷大将軍への謁見


 将軍の御所へ到着した信長たちは、すぐに将軍義輝との謁見が叶った。


 偉い人は使者を待たせるものだが、上洛した数少ない大名だけに、義輝も嬉しかったのかもしれない。


 信長たちは、義輝の家来の案内で、謁見の間を目指して廊下を歩かせてもらう。


 御所のなかは清掃こそ行き届いているが、塗装が剥げたり、壁や天井にシミが残っていたりと、街と同じで荒れていた。


 いくら落ちぶれたとはいえ、将軍の住む館ならもう少し煌びやかだと思っていた利家たちは、失礼だとは思いつつもキョロキョロと観察してしまった。


「こちらが謁見の間です」


 家来の人に戸を開けてもらうと、そこは閑散とした部屋だった。


 部屋の奥、一段高くなった上座には、それなりに立派な装いをした男性が座っているものの、従者の数は少ない。


 将軍ならば、それこそこの謁見の間の左右にずらりと従者が並んでいてもおかしくない。


 ――将軍家の凋落ぶりは、噂以上だな。


 これなら、父信秀のほうがはるかに贅沢な暮らしをしていた。


 謁見は、まず儀礼的に行われた。


 信長は利家たちと共にひれ伏し『表を上げよ』と言われてから顔を上げる。もちろん、いまの信長は眼帯を身に着け、真紅の瞳は隠している。


 義輝は、精悍な顔立ちの青年だった。事実、ふたりの年齢はほぼ同じである。


 それでも、義輝の眼差しには年齢上の苦労を感じさせる力があった。


 これが、若くして将軍職に就き、将軍家復権のために尽力する男か、と信長は感心した。


 弟信勝や、つい先日勝利した信賢よりも、義輝のほうが遥かに品格がある。


「そちが、織田信長か?」

「はい。尾張国主、織田信秀が嫡男、織田(おだ)弾正忠(だんじょうのじょう)信長(のぶなが)にございます。本日は、義輝様に献上の品をお持ちしました」


 それから、簡単な挨拶を済ませると、信長は可成と勝家に運ばせた荷物を広げた。


 尾張産の陶器、瀬戸焼と常滑焼だ。それも、最高級品ばかりをそろえた。


 見ただけでわかる品質の良さに、受け取った従者たちの顔色が変わった。


 義輝でさえも、感嘆の息を漏らす。


 椀や皿、湯呑といった食器なら、他人をもてなすときに使えるし、贈答品にも良い。


 そうすれば相手は『凋落したと聞いたが、随分と羽振りがいいな』と将軍家を見直すし、そのときに『尾張の織田殿からの献上品だ』と一言添えれば、相手は『将軍家に取り入ろうとする国主がいるのか? もしや、復権しつつあるのか?』と思うかもれしない。


「心よりの品、余は嬉しく思うぞ。ついては、何か褒美を取らせたい。信長、何か望むものはあるか?」

 ――来た!


 待っていましたと、信長は心のなかで握り拳を作った。


 義輝の目的は足利将軍家の復権だ。だからこそ腐っても鯛、一応は将軍、という地位を最大限に使い、戦の調停役を買って出ている。


 地方の大名から献上品を受け取り、褒美を取らせる、という事実も、権威付けには重要だ。だから、信長は献上品を送れば、義輝が上から目線で褒美を申し出るのを読んでいた。


「ではお言葉に甘えまして、私を尾張国主として、正式に任命して頂きたく思います」


 信長がそう言うと、勝家が書類の束を従者に差し出した。


 それは、信長が反信長勢力を倒し、尾張の事実上の支配者であることを示す書類だった。


 なかには、信長の名のもとに行った、各地の検地結果を記した差出帳も含んでいる。


「ふむ、なるほどな……」


 従者から受け取った書類に目を通すと、義輝は快く微笑んだ。


「いいだろう。この書類を見る限り、尾張はそなたの支配下にあるようだ。それに、そなたの父信秀のことも知っておる。彼の者からは多くの献上品や献金を送ってもらい、随分と助けられた。誰か、硯と筆を持て」


 従者に紙と筆、硯と墨を運ばせると、義輝はその場で書類の作成に入った。


 日本列島。六十六カ国を統べる室町幕府最高責任者、征夷大将軍足利義輝の名のもと、織田信長を尾張国の国主に任命する、ということを書き記し、義輝の花押(サイン)と幕府の印も押す。これは決して、個人的な取引ではない。幕府が正式に発効した文書である。


 これで信長は、誰に批判されることもなく、堂々と尾張国主を名乗れる。


 従者の手から書状を受け取ると、信長は頭を下げる。


「ありがたき幸せ、つきましては、こちらもお受け取り下さい」


 今度は利家が、大量の銅銭が入った袋を従者に渡す。ジャラジャラという音と重みに、これまた従者の顔色が変わった。


「一〇〇〇貫文(二〇億円)包ませて頂きました。将軍家のお役に立てて頂ければと」

「そうか、それはかたじけない」


 義輝は顔色を変えないが、他の従者たちの動揺は明らかだった。いまの彼らにとっては、それほどの大金なのだ。


「つきましては、その代わりというわけではありませんが、お願いしたき儀がございます」

「うむ、申してみよ」


 義輝の了解を取ってから、信長は再び口を開く。


「現在、我が織田家は駿河の今川、美濃の斎藤、両家から幾度となく侵攻を受けております。これは何かを奪い合う尋常な勝負ではなく、一方的な侵略行為です。つきましては、私の斎藤征伐、今川征伐のさい、劣勢になった両家が将軍様のお力にすがり、仲裁を願い出ても、受け入れず、中立を保って頂きたいのです」


 信長が真摯に頼み込むと、義輝は立ち上がり、自ら信長に歩み寄ってきた。周囲の従者たちが戸惑うなか、義輝は温かく笑う。


「いいだろう。余は信長、そなたを支持する。そなたの斎藤、今川征伐には正当性がある。国防のため、斎藤領、今川領の平定を許可しよう」

「お心使い、感謝いたします」


 これは想像以上の成果だった。これで信長は、斎藤領や今川領へ攻め込む大義名分を得たことになる。信長が心のなかで作戦の成功を喜んでいると、不意に、


「なぁ信長よ。ふたりで話せぬか?」


 それは、誰も予想だにしない申し出だった。

  

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