第38話 大切なのは政治、経済、そして外交?
尾張を出発すること十日。信長は利家、秀吉、可成、勝家の四人を連れて京の都を目指していた。つまりは、上洛である。
ただし、軍を引き連れての上洛ではなく、五人ぽっちでの来訪なので、平成の人が考えているような、大層なものではない。
本来、京都へ行くには敵国美濃を通り、そこから琵琶湖で有名な近江を通る必要がある。
しかし少数であることを利用して、信長は海路を使った。
尾張の知多半島から出ている船に乗り、伊勢湾を渡り伊勢に入る、そこから近畿を通り京都を目指すのだ。
近畿には反信長勢力はないので、征夷大将軍、足利義輝公からの手紙を見せれば、どの関所も国境も簡単に越えられた。
「しかし殿。足利公からの召喚状があったとは、やはり殿は大物でござるな」
重たい荷物を背負う可成がそう言ったのは、京都に入る少し手前だった。実は信長は、将軍様、足利義輝から挨拶をしに京都へ来るよう手紙をもらっているのだ。でも信長は、街道を歩きながら笑う。
「あはは、んなわけねーだろ。義輝公はな、日本中の大名に同じ手紙を送っているんだよ」
「む? そうなのでござるか?」
「ああ、つっても応じる大名はいないけどな」
「な!? そそ、そうなのでござるか!? しかし殿、相手は征夷大将軍、足利義輝公なのですぞ! 将軍様の命令に背くなど……」
ガチガチの肉体派である可成は、驚愕に目を白黒させた。
「あのなぁ可成、そもそもなんでいまが百年も続く乱世になっていると思っているんだよ? 足利将軍家の権威が衰退して、将軍職が形だけのお飾りになったからだろ?」
信長が眉根を寄せてため息をつくと、可成は申し訳なさそうに肩を落とす。
「むむ、そういえば、そうでござったな」
日本史に、戦国時代、という区分はない。全国で戦争が頻発するようになった、室町時代後半から安土桃山時代の乱世期を、便宜上そう呼んでいるだけだ。
ではなぜ乱世になったか、それは室町幕府の最高責任者、足利将軍家がお家騒動で衰退し、権威を失ったからだ。
全国の大名、国主たちを管理する力を失った落ち目の将軍家を『武士階級の頭領』と敬う忠勤者はいない。
「だからこそ、いまの将軍、足利義輝は将軍家の権威を取り戻すために色々頑張っているんだけどな。形ばかりとはいえ、一応肩書は将軍で、書類上の権限を駆使して、日本中の戦の仲裁をしたり、官位や性を授けたり、こうして日本中の大名に、挨拶をしにくるよう書状を出したりな。でも、なぁ」
勝家が溜息をついて、信長の説明を引き継いた。
「衰退した将軍家に従う義理はないし。京都まで行くのは旅費がかかるし。この乱世に国を留守にしたくないしで、義輝公へ挨拶に行く国主なんざいないわ」
「では、殿は何故?」
不思議そうな可成に、信長はニカリと笑った。
「何って、権威を利用するんだよ?」
いままでの説明とは矛盾したことを言う信長に、可成はますます首を傾げた。
「実はな、将軍家の権威は、ないようで実はあるんだよ。確かに、足利将軍家は衰退したさ。でも、将軍職を辞したわけじゃない。肩書上はしっかり将軍なんだよ。だから俺は、この上洛で義輝公に謁見して、正式に尾張国主として任命してもらうんだ」
「そのようなことをせずとも、殿はもう尾張の国主では?」
「まぁな。信賢のおっさんらを全滅させたから、もう尾張に俺の敵対勢力はなくなった。だからこそこうして尾張を留守にしているんだしな。でもそれは表向きだ。弟の信勝や信賢みたいに、堂々と挙兵する奴はいないだけで、実際には反抗的な公家、豪族とかの小勢力がまだくすぶっている。でも武士の頭領であらせられる征夷大将軍、足利義輝公様が、正式に俺を尾張国主に任命したらどうなる?」
「……はっ、その反抗的な連中は……逆賊に?」
その通り、とばかりに信長は頷いた。
戦国時代には、正式な国主などほぼいない。皆、武力で土地を強引に分捕っただけだ。
その国を治める、正当性がない。
でも幕府から正式に国主に任命して貰えれば、信長は尾張国内の全勢力に言えるのだ。
『俺は将軍様から直々にこの尾張国国主を任されているんだよね。だから俺に逆らうっていうことは宣戦布告じゃなくて、ただの逆賊、犯罪者になるんだけどそれでもいーい?』
と。いままでは尾張の地域Aを治める信長と地域Bを治める権力者の対等な闘争だった。
でも、もう権力者同士の争いではない。尾張国内の公家も豪族も、全員が尾張国民であり信長の臣民になるのだ。信長の決定に逆らうということは、平成にたとえるならば、新法案が気に食わないからと国会議事堂に爆破テロを行うようなものだ。
公家や豪族も、逆賊の汚名は着たくないし、逮捕なんてまっぴらだ。
「つまり、義輝公のお墨付きをもらうことで、俺は本当の意味で尾張を理想の国にできるし、そうすれば今川や義龍に対抗することもできるってわけだ、っと、そろそろ京だな」
信長の話を聞いていた一行が前を向くと、いままで屏風絵や絵巻物でしか知らない京の街が広がっていた。
「おお、これがあの京の街……なの?」
利家が秀吉に聞くと、元行商人の秀吉は肩を落とした。
「残念ながら、ね」
女子ふたりが肩を落とすのは当然だ。
一言でいうと、京都は寂れていた。
道や建物は荒れ放題で、浮浪者も見かける。
宮廷を目指して大通りを通るが、軒を連ねる商店に並ぶ商品も少なく感じる。
何より、道ゆく人々に活気と笑顔がない。
大きな荷物を背負っている勝家は荷物を背負い直しながら、難しい顔をした。
「話には聞いていたから予想はしていたけど、想像以上だな……」
当時、首都である京は荒れ果て、治安も悪化していた。
足利将軍家の凋落に伴い、そのおひざ元である京も荒れ果て、しかし修繕する予算もない。それが現在の将軍家だった。
「ん?」
そのとき、信長は誰かの視線に気づき、視線だけでその方向を見た。魔眼を発動させると、待ち合わせをしているように見える住民のなかに、
おそらく、今川か斎藤の手の者だろう。
「……ふーん、護衛に、忍びの一益とかも連れてきたほうがよかったかな?」
信長がそう言うと、秀吉が唸った。
「にゃ~、無理ですよぉ。だって恒興と一益は利家が四つ折りにして絞ってタンスにしまっちゃって全治二か月の重体なんですよ」
恥じるように赤面する利家に、信長が嘆息をついた。
「ワンコ、お前もっと加減しろよ」
「だ、だってぇ……」
妙にしおらしい利家の様子に、秀吉が下品な笑みを浮かべすり寄った。
「利家、信長様と何があったのか、今度詳しく」
「はうぅ……」
逃げるように、利家は信長の背後に隠れた。
それだけですべてを察した、妻子持ちの可成は自身の胸を叩き、
「利家殿、子供は可愛いですぞ」
と教えてあげた。利家は自分と信長の子供を妄想して、ますます赤くなった。
そんな利家の反応に、信長は心のなかで、
――幼馴染は最高だぜ。
と、ほっこりした気持ちになった。
「ったく、あの利家が色気づいたもんだな。まっ、武に生きるあたしには関係ないけどな」
勝家の反応に、信長は心のなかで、
――勝姉……その判断が後悔のもとになるんだぜ……。
と、どんよりした気持ちになった。
電撃オンラインでインタビューを載せてもらいました。
https://dengekionline.com/articles/127533/
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