第37話 かわいいタヌキちゃん

「にぃにぃ、まってぇ」


 信長と利家が幼く、まだ幼名で吉方師、犬千代と呼ばれていた頃の話だ。織田家には、三河国からの人質として、のちの徳川家康である、竹千代という幼児が住んでいた。


 庭先で利家たち幼馴染と鬼ごっこをしていると、竹千代が小さな足でちょこちょこ歩いてくる。そんな竹千代の姿に、信長はその場で立ち止まってあげた。


 竹千代は信長の腰にぎゅっと抱きつくと『つかまえたぁ♪』とはしゃぐ。


 その姿がべらぼうに可愛くて、信長はつい竹千代の頭をなでてしまう。


「竹千代は丸くて可愛いなぁ。狸みたいだぞ」

「わぁい、たぬきさんだぁー♪ ぽんぽこりん♪」


 自分のお腹をぽこぽこ叩く竹千代の姿に、信長たちは笑った。すると、そこへ信長の父、信秀の声がする。自分を呼ぶ声に、信長はみんなに断りを入れてからその場を後にした。


「たけちよもいくぅ」


 竹千代は、幼い足でよちよち歩きながら、信長を追う。


 その様子を見て、利家は竹千代を肩車で運んでやった。


 信長たちが信秀の部屋へ行くと、そこにはいま巷で噂の火縄銃を手にした信秀が胡坐をかいていた。火縄銃の縄には、もう火が点っている。


「来たなガキ共。見ろ、これが火縄銃だ。ここから火薬と鉛弾をいれ、火の点いた縄を挟んで引き金を引くと」


 説明しながら信秀は火縄銃を構え、銃口を庭先へ向ける。次の瞬間、雷鳴のような音が鳴ると同時に、庭から聞いたこともない鋭い音があがった。


 信長たちが振り返ると、いつの間にか飾られていた鎧に穴が空いている。いまのは、鉛弾が鎧を貫通した音だ。


 その威力と音に利家は言葉を失い、竹千代はぷるぷると震えて、信長は、


「すっげー! おい親父、それ俺にもやらせてくれ!」

「後でな。しかし吉方師よ、わしがこれをどうやって手にしたかわかるか?」

「ん? 港で輸入したんだろ?」


 信長の返答に、信秀は口角を上げる。


「その通りだ。そして鉄砲の代金は、その港からの関税で賄った。わしの言いたいことがわかるか?」

「当然だろ。港は国力を支える大事な規範だ。他の大名たちは米の収穫量、年貢にばかり気を取られているみたいだけどな」


 信長が大人びた口調になると、信秀は満足げに頷いた。


「やはり、わしの跡継ぎはお前だな。よいかお前ら、確かに尾張は土地が豊かで作物の収穫量は多い。小国ながら五七万石を誇る恵まれた土地だ。しかし、その利点に胡坐をかくな。歩みを止めるな。国も人も怠れば鈍り、鈍れば凋落するものと知れ」

「わかってるぜ親父。何せ俺は、天下を取る男だからな、っと、こいつらと一緒にな」


 信長が利家と竹千代を抱き寄せると、利家は頬を赤らめ、竹千代は、


「ぼくもてんかとゆのぉ」


 とはしゃいだ。その直後、廊下のほうから女の人の声が聞こえてくる。


「若様ー。ぜんざいができましたよー」

「あ、ぜんざいたべゆぅ♪」


 竹千代は、利家の肩から下ろしてもらうと、ぽてぽて歩きながら部屋を出て行った。幼い竹千代は、天下餅よりもぜんざいが食べたいらしい。


 信秀に礼を言うと、信長と利家は、竹千代に歩幅を合わせて歩いた。


織田信長が、常人を遥かに超えた先見性や発想力、柔軟な価値観を持っていたことは疑いない事実である。だがその一方で、その基礎となる教育を施したのは、父信秀であった。


 戦国の三英傑筆頭織田信長は、トンビが産んだ鷹ではない。鷹の親は、やはり鷹なのだ。


 そして信秀の影響はこの頃、竹千代にも及んでいたのかもしれない。


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 次回、信長が京都に行きます。

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