第22話 軍神の蹂躙パレード


 十六世紀の戦国時代。武田信玄と並び、最強と称される武将がいた。生涯無敗の彼女を、人は讃えた。毘沙門天の化身。越後の龍。そして戦国時代において――軍神――と。


 越後の隣国、信濃にとある合戦場があった。信濃の国主、諏訪氏の圧政から信濃国民を救うべく、越後の国主、上杉謙信が軍を率いて攻め込んだのだ。


 謙信は信濃北部を切り取り、自らの領土とすると善政を布き、民の支持を得ながら南下。諏訪氏を追い詰めていた。


 上杉軍と諏訪軍は互いに睨み合い、どちらも動こうとしない。すると、上杉軍から一騎の騎馬が進み出ると、馬から降りて敵陣へと歩みはじめた。


 それは白銀の髪に、真紅の瞳、平成でいうところのアルビノ体質をした少女だった。


 その少女は、美女と言う言葉では足りない美しさを持っていた。


 天女の衣のようにやわらかく輝く髪は神々しく、彼女の歩みに合わせて揺らめく。透明感のある真紅の瞳は神秘的な魅力を放ち、ひとたび視界に納めたなら、吸い込まれそうになってしまう。


 刀こそ挿しているものの、彼女は鎧を身に着けていなかった。


 それでも、彼女は将だった。そしてその威容は隣国中に轟いている。


「謙信がきたぞぉおおおおおお! 討ち取れぇええええええ!」


 指揮官の指示に従って、前衛の弓兵部隊が一斉に矢をつがえ放つ。


 自身へと降り注ぐ矢の雨。その数は千や二千ではきかない。


 なのに、謙信は一顧だにせず、腕で頭をかばおうともせず、歩みも止めなかった。


 敵兵は誰もが目を見開き、次の瞬間には驚愕で魂を凍りつかせる。


「矢が……当たらない?」


 謙信は、矢の雨のなかを歩いていた。まるで晴れの日に神社へお参りをしにいくような気易さで、彼女はただただ歩いていた。


 矢が謙信を避けている。そうとしか思えない光景だ。


「ふ、ふざけるな! 直接狙え!」


 謙信が矢の直線射程範囲まで近づくと、弓兵たちは矢の先端を水平に保ち、直接謙信を狙い矢を放った。矢の雨の次は、矢の風だ。それでもなお、謙信は歩みを止めない。矢も、相変わらず謙信を避けて飛んでいた。


 とうとう謙信は五〇メートル、もはや矢を外すのが難しい距離にまで近づいてきた。


 指揮官は、この時代ではまだ数が少ない、最新鋭の武器である火縄銃を手に取ると、自ら謙信を銃殺しようとする。だが矢だけではなく、鉛弾すら謙信には当たらなかった。


 近距離から矢弾を放つ。当たらない。謙信が歩み寄る。謙信の真紅の瞳が、敵軍を見据える。彼女の放つ人間ならざる脅威に怯え、敵軍は敗走をはじめた。


 指揮官が戻るよう怒鳴っても誰も聞かない。やむをえず、指揮官はわずかな弓兵と並び、次弾を装填し、撃ち続けた。


 謙信までの距離はあと八メートル、七メートル、六メートル。そして、外すことが不可能な五メートルの距離に近づいて、敵兵は青ざめた。


 逃げずに、わずかに残った弓兵たちの手が空をつかんだ。矢籠が空なのだ。


 さらに、引き金を引いた指揮官の火縄銃の火縄が落ちない。初期の火縄銃は動作不良が多く、確かにこのような事故が起きることもあった。


 とはいえ、とはいえだ。矢が尽きるのと銃の不発。このふたつが、このタイミングで同時に起こるものだろうか?


 軍神・毘沙門天の化身。


 その通り名の意味を、指揮官は理解してしまう。


 誇張でもなんでもない。こいつは、この女は紛れもない『神』なのだ。


 神が、人ならざる美貌を崩さず、無感動に言葉を告げる。


「……つまらんな」


 一瞬の閃きが、指揮官と弓兵の首を一息に刎ね飛ばした。

 敵の血に濡れた刀を天へ掲げると、謙信は指揮棒のように下ろす。


「全軍…………ッ突撃せよっ‼‼‼‼」

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼‼‼』


 それは、神の軍勢が彩る一方的な蹂躙だった。

 神の兵団は、一気呵成に敵軍を飲み込み薙ぎ払い、討ち滅ぼしていく。

 敵が取れる道は、降伏ただひとつだった。


   ◆


  信濃を落とした謙信は、居城である春日山城へ戻った。それから謁見の間で、信濃の民に善政を布くべく家臣に支持を出し、それから青苧(衣類、紙の原料となる繊維が取れる植物)の貿易利益と、関税収入について報告を受けていた。


 謙信が治める越後の国は、青苧の産地だ。毎年大量の青苧を、港から船で京の都まで卸している。

 この青苧商人たちが加入している座が青苧座であり、その責任者は京都三条西家だった。

 だが謙信は、京都での権力闘争や内乱に乗じて、青苧座を乗っ取り、越後京都間におけるこの青苧貿易の支配するようになっていた。


 信長は座を廃止する楽市楽座で税収を上げたことで知られるが、謙信は座そのものを牛耳ることで莫大な利益を手にしていた。


 また、この青苧を輸出する港は謙信の直轄であり、その関税収入は四万貫文、十万石の土地からの年貢収入に匹敵した。


「今期も上々のようだな。ときに、今川の動きはどうなっている?」


 無感動ながら、妙な威圧感のある声に耐えながら、家臣は答える。


「はい。尾張国へ侵攻すべく、大規模遠征の準備をしていることがわかりました。これで、織田家は滅亡ですな」

「いや、勝つのは信長だ」


 主の言に、家臣は当惑した。


「お、お言葉ながら殿。今川の兵力は最大三万。対する織田はどう見積もっても五千がせいぜいです。これでは――」

「それでも、勝つのは信長なのだよ。下がるがよい」


 家臣の言葉を遮り、謙信は自身の予想、というよりも、まるで結果を知っているような口ぶりで家臣を下がらせた。それから窓の外へと視線を投げると、謙信はつぶやく。


「信長……一〇〇一度目の正直だ。次はこそは、必ず……」


 謙信の無感動な声には、人らしい執着心がこもっていた。

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