第19話 兄弟対決

「よし、敵軍は総崩れだ。ワンコは中央を攻めてくれ、俺は右翼から敵本陣を目指す」


 言って、信長は馬の腹を蹴り、単騎で本陣から飛び出した。だが誰も止めず、利家は五〇〇人の舎弟たちを引き連れて走り出す。


 鉄砲隊が射撃をやめ、利家たちは心の折れた敵兵を蹴散らしながら中央突破を慣行。

 みるみる信勝の本陣へ迫るが、その手前一町(一〇九メートル)で、信勝軍唯一の騎馬と出会った。

 射撃訓練で鉄砲の音に慣れている信長軍の馬以外で、なおパニックを起こさない豪胆な気性は主譲りか。

 鼻息を荒くする筋骨隆々の馬にまたがる女武者は、全身から燃える闘志を香り立たせ、殺意に双眸をギラつかせる。


 利家は並の男子より背が高く、そのことを気にしている可愛い女の子だが、目の前の相手はさらに背が高く、可愛らしさとか、そういった類の要素は微塵もない。


 柴田勝家。織田家最強の呼び声もある、信勝軍最強の猛将だ。その荒々しい戦いぶりと巌のような圧力から、鬼柴田と呼ばれ国内外から恐れられている。


「利家……あんた、本気でこのあたしとやる気かい?」


 背後に舎弟たちを待たせ、利家は凛とした態度で前へ進み出る。


「久しぶりね勝姉。いまは信勝の筆頭家老にして武断派筆頭だっけ? 一度、本気でやってみたかったわ」

「テメェ……」


 二頭のメスが殺意で火花を散らし合い、必殺の予感に互いの家臣たちは一歩引いた。


「囀るな!」

「どっちが!」


 利家と勝家の槍が激突。織田家最強決定戦の火蓋は、切って落とされた。

 一方、猛将柴田勝家に邪魔されることのない信長は……。


「信勝てめぇえええ! よくも一〇〇一回も裏切りやがったな‼」


 魔王の形相で愛馬、連銭葦毛を駆り立てた。


 葦毛は灰色の馬を指し、それに黒灰の模様が入る場合もある。信長お気に入りの寵愛馬、連銭葦毛は、全身に黒炎の模様を浮かび上がらせ、轟雷のように嘶き、その巨大な馬蹄で戦場を抉りながら疾走した。


 平成では、戦国時代の馬は小さくポニー並で、人が走るより遅かったと言われるが、それは真っ赤な嘘だ。実際の日本在来馬、木曽馬は、人を乗せるのには十分な大きさがあるし、とあるテレビ番組の検証では、アメリカの馬とほぼ同じ速度で走ってみせた。


 また、首と足が短く不格好と言われるが、これはむしろメリットだ。足が短いために小回りが利き、俊敏に踵を返し、素早い方向転換が可能であり、短い首は、武将が武器を振るうのに邪魔にならない。


 お上品な駆け比べなら、なるほど、平成競走馬の、スラリと首と足の長いモデル体型のサラブレッド様が上だろう。

 だが、戦国時代が誇る日本馬はルールに縛られたスポーツマンではない。剣林矢雨入り乱れる戦場を生き延び、背中を預けた主君に勝利をもたらす、ソルジャーなのだ。


「雑魚はどけぇええええええええ‼」


 信長と連銭葦毛の雷轟に、信勝軍の雑兵たちは足がすくみ、道を開けることもできず、跳ね飛ばされた。


 その様子を見た奥の敵兵は、蜘蛛の子のように散っていく。


 残ったのは、本陣を守る信勝の、しいては織田家の重臣たちだけだ。


 長年、織田家に仕えてきた重臣たち二十数名が、伝統的な鎧甲冑に身を包み、抜刀する。


 その奥で、信勝は悠々と床机椅子に腰を下ろしている。

 余裕の表情を崩さず、信勝は邪悪に頬を歪める。


「何お前、家臣も連れずに一騎駆けとかしてんのか? 源平物語の読みすぎだろ?」


 偉そうに軍配を振ると、信勝は重臣たちへ檄を飛ばした。


「やれぇ! 織田家に仇名す魔王を討ち取った勇者には那古野城をくれてやる!」


 二十数名の男たちは、いかつい声をあげながら信長に向かってきた。だがそれも最初だけ。次の瞬間には、血飛沫の上がる水音が勇ましい声を飲み込んだ。


 白銀の閃きで五人の首が飛び、誰もが呆気に取られた。そのあいだに六人の首が飛んで、肝を冷やすあいだに七人の首が落ち、背中を向けるあいだに八人の首が胴と別れた。


 最後に残ったひとりは走って逃げだすことに成功するが、信長が死体からもぎ取った刀を投擲。鋭利な切っ先は、寸毫の狂いもなく首のうしろを捕え、頸椎の隙間に滑り込んで命を奪った。この間、わずか五秒の出来事である。


 つまらなさそうに、信長は毒づく。


「ちっ、いつも本陣でふんぞり返っているだけの野郎は歯ごたえがねぇな。あん?」


 床机椅子の上で青ざめている信勝にガンを飛ばすと、信勝はハッとして立ち上がる。


「ふ、ふんっ。少しはやるようだな。流石は腐っても尾張の虎と呼ばれた親父の息子だ。でもなぁ、お前の喧嘩殺法と違って、オレは幼いころから、正式な剣術を学んでいるんだ!」


 叫んで、信勝は意気込みながら刀を振り上げ、斬り込んできた。


 そのまま、信長と信勝は凄烈な斬り合いをはじめた。


 信勝は強かった。大名の子に生まれなくても、一角の剣客として名を残しただろう。信長が魔眼で信勝を査定すると、後光の大きさは父信秀と同じ。力量も、武力、知力ともにCだった。これほどの人材は、信長軍にもいない。だが、


「なんで、テメェはいつもいつも一度の例外もなく俺を裏切るんだよ!」

「いつもって何の話だよこの天魔が!」


 前世のことなど、まして千度の人生など信勝が知るはずもない。それでも、信長は感情を吐き出さずにはいられなかった。


「前世で統一に二年かかった尾張半国を一か月で統一すれば考え直すかと思ったけど、これだけ俺の力を見せつけても、領民の支持を得ても変わらねぇ。よーくわかったよ。テメェは織田家のことも領民のことも何も考えてねぇ。ただ自分が支配者になりたいだけだ!」


「んなのお前だって同じだろ! オレより劣るくせに、当主の椅子にしがみついて――」


 怒りの表情を崩さず、信勝の首は宙を舞った。自分が死んだことも知らないまま、一方の信勝は地面に倒れ、一方の信勝は地面を転がった。


 ためらいなく肉親を殺し、その生首を見下しながら、信長はウジ虫を見るときでさえまだ優しげだと思えるような表情で吐き捨てた。否、かける言葉すらなく、心のなかで思う。


 ――汚物未満だな……。


 これ以上、愛刀長谷部国重が穢れることを嫌い、信長は地面に転がる、名もなき安物の打刀――雑兵が捨てたものだろう――を拾うと、それで信勝の生首を串刺しにして掲げた。


 この瞬間。すべての決着はついた。

  

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