第11話 利家にソロバンあげる



「ああ。俺は、たとえどんな手を使ってもこの知多半島を守るぜ」


 信長が視線を回した先では、商いに従事する人々が生き生きとして働いている。


 父信秀が死に、織田家中では味方がいない信長。だが、領民たちは信長を好いてくれる。


 そして好かれるからこそ、信長は笑顔の下、胸の奥で心を痛めていた。


 いまの信長には、領民を守る力がないから……。


 千回分の人生経験や知識、未来を知っているという利点は大きいが、それを利用した計画はまだ準備段階だ。今世の信長はまだ十代の青年で、父親から家督を継いだばかりだ。


「親父は、五千人以上の兵を動員できた。でも親父が死んで親戚連中はみんな離反して、俺は千人と数百がやっとだ」


 それも、幼い頃から舎弟を増やしたからこその数字だ。悔しさを噛み殺し、拳を作る。


「今川や斎藤から尾張を守るためには、織田一門が一丸とならなきゃならねぇ。なのに親戚連中の頭のなかは、親父が死んだ混乱に乗じて自分の領地を増やすことばかりだ。恥ずかしくて涙がでてくるぜ」


 信長は一度顔を伏せ、息を吞んだ。でも、すぐに闘志を滾らせた表情を利家に見せる。


「ワンコ。俺は年内に尾張を統一する。あいつらは、尾張の領民たちはこんな俺に期待してくれている。そんな連中を守れなくて何が武士だ!」


 瞳の奥に輝く決意を感じ取ったのだろう。利家は、ポッと頬を染めると、普段の凛とした表情を失い、乙女のように繊細な仕草で、信長の手を取った。


「ノブ、あたしらでこの国を守りましょう」

「我のこともお忘れなく」


 利家に続いて、慶次が自分の存在を主張するように、信長の腕に抱きついた。可愛い幼馴染の頼もしい声に、信長はふたりをぎゅっと抱き寄せる。


「当たり前だろ。頼りにしているぜ」


 ――実際、ふたりとも未来じゃ大英雄だしな。いまはただの美少女だけど、将来は、戦国随一の女傑だもんなぁこいつら。


 などと信長が思い出に浸っていると、秀吉が肩身を狭そうにすくめる。


「うぅ、ふたりは強くていいにゃ~。ウチにゃんて草履取りや馬の世話とか雑用ぐらいでしか役に立たにゃいのみゃ……」


 すると、秀吉をフォローするように、利家がまくしたてる。


「そんなことないわよ。それ言ったらあたしらは逆に戦場でしか役に立たないし、ガサツで不器用で、戦のないときは結構肩身狭いんだからっ」


 語気を強める利家に、信長は顔の前で手を振った。


「いや、そんなことないぞ。ていうかワンコ、お前明日から俺の仕事手伝ってくれよ」

「え? 手伝うって……」


 利家が目をぱちくりさせると、信長は秀吉に持たせてあった荷物――今日買った品々――のなかから、小さな桐箱を取り出し、利家の前で開封した。


 なかにはソロバンが入っている。


 それも、ただのソロバンではない。木枠は紫檀製、銀の装飾をあしらい、珠は柘でできている。素人目にもわかる、最高級の逸品だ。値段も、いくらするのかわからない。


 中流武家と農民出身の利家、慶次、秀吉は、その高級品に圧倒されて目を丸くするが、


「ワンコ、この前の戦の恩賞で、清州城に一部屋あげたけど、結局慶次にも清州城に一部屋あげたし、武功一番のワンコにはこれもやるよ」


 信長はそう言って、桐箱を利家に押し付けた。


「えっ!? いやでも、あたしこんなの貰っても、こういうのは長秀とかに……」


 丹羽長秀は、信長の舎弟の三馬鹿トリオの頭脳労働担当で、傾奇者集団のなかにあっては数少ない常識人で、事務や政務方面で信長を支えることが多い眼鏡男子だ。


「長秀と俺だけじゃ手が足りないんだよ。信友を倒して、尾張半国が俺の領地になったからな。これからはお前らも手伝ってくれ。利家がこういうの苦手なのは知っているけど、俺からの贈り物なら頑張って使いこなしてくれるかなって」


 ちなみに、当時ソロバンは日本に伝来したばかりの最新算術道具であり、使いこなせる者は限られていた。


「……ノ、ノブがそう言うなら、頑張ってみる……」


 恥ずかしそうに視線を逸らしながら、利家は桐箱を抱きしめた。そうすると、たわわなおっぱいに桐箱が埋もれてしまい、信長の視線も吸い寄せられた。


 ――眼福だなぁ。まぁそれは置いといて……。


 慶次や秀吉は、利家にソロバンなんて宝の持ち腐れだとからかいはじめる。その様子を、信長は微笑ましいものを見る目で見守った。


 ――こいつらは知らないんだろうなぁ。利家に希代の財政管理能力があるだなんて。


 事実、利家は前田家の経理を自ら担当し、金貸し業までやっていたソロバン大名である。


 前世の思い出に浸りながら、信長は三人の言い合いを仲裁した。

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