第10話 関既得権益知多半島

 町で遊んでから、信長たちは港へと足を運ぶ。


 港は町以上に活気があった。


 大きな船舶がいくつも発着し、フンドシ姿の男たちは重そうな木箱を停泊中の船に積んでいく。少し身なりのいい男たちは商人だろう。


 商品の確認をしたり、互いに何かを交渉したり、台帳に数字を書き込んでいる。

 信長の父信秀は、多くの港を持っていた。


 木曽川に面する勝幡、津島、二ノ江、鯏浦(うぐいうら)。この知多半島の港もそうだ。

 船と陸とを往来する積荷の量に、信長は目を光らせる。


「ふふん。今期も関税収入に期待できそうだな」

「ふふ、そのようですにゃあ」


 秀吉も信長のまねをして、あごに指を添え、キランと目を光らせる。


 この時代、船の積荷には関税を課している。その関税収入は前述のとおり莫大だ。記録によれば、かの上杉謙信はふたつの港から、小国の国家予算規模の関税収入を得ていたという。しかし知多半島から得られる関税収入は、謙信の港を遥かに凌駕する。


「お前ら、よい商いをしているか!」


 信長の声に、商人たちは顔をあげる。


「これはこれは信長様」

「おかげさまで、儲けさせていただいております」


 信長の登場に、商人たちは破顔して挨拶をする。


 織田家中で信長は人気がない。人望がない。信頼がない。だからこそ、父信秀が死ぬと親戚の誰もが手の平を返し、多くの家臣は親戚たちについてしまった。


 信用できる味方はおらず、周りは敵ばかり。


 いかにもな不幸主人公然とした信長だが、領民には好かれていた。子供からの信長を知る農民や商人や職人たちからすれば、威張ってばかりで乱暴な他の武士とは違い、気さくで庶民派の信長は親しみやすい、期待の新当主なのだ。


 そして好かれるからこそ、信長は笑顔の下、胸の奥で心を痛めていた……。


 しばらくして、信長たちは、常滑焼を積んだ船が港から離れていく様を眺めた。


「サル、ここはいい町だよな」


 同意を求める声に、秀吉は大きく頷く。


「はい。行商人たちも、知多半島ほど栄えた商工業区は珍しいと言っていたのみゃ」

 農民出身の秀吉は、信長に仕える前は、行商人として全国を旅して回っていた。そのため諸国の事情に明るく、尾張国と知多半島を客観的に評価することができた。

「でも、この知多半島を今川義元と斎藤義龍が狙っている」


 信長の言に、利家は神妙な顔になる。


「……ええ、その通りよ」


 今川義元。この尾張の東に位置する、三河、遠江、駿河の三国を統べる大大名だ。その国力は、この時点ではまさしく戦国最強。


 この頃に三万という大軍勢を動かせる勢力は他にない。


 そして斎藤義龍は、尾張の北に位置する、美濃国の大名だ。尾張の四倍の国土に、二万の軍勢を保有する軍事大国である。


 そんな掛け値なしの戦国最強の二国がこの知多半島を狙っている。どういうことなのか。

 信長は潮風に頬をなでられながら、表情を引き締めた。


「この知多半島は尾張織田家の大収入源。この商工業区からの冥加銭(売上税)と関税の収入はあまりに魅力的だ。大名なら誰だって手中に収めたい」


「それに木曽川に面している四つの港は知多半島の根元。知多半島を手に入れれば、尾張すべての港をかんたんに支配できるわ。だから義元公は、あたしたちが子供の頃から、何度もこの国に攻め込んできた……」


 利家の声は、悲しみを隠し切れていなかった。


 知多半島という『金のなる木』を欲して、今川義元と斎藤義龍は幾度となく尾張に侵攻してきた。信長の父信秀は、そのたびに両者を退けてきた。そして多くの人が死んだ。


 戦国乱世に生まれたとはいえ、若い利家は静かには受け止められない。それは、慶次や秀吉も同じだ。


 けれど、信長には悲しむ暇などない。


 父信秀が死んだいま。家督とともに、今川や斎藤との戦いも信長に受け継がれたのだ。


 遠い日を思いながら、信長は水平線を見つめる。


 そして思い出す。勇ましく、けれど父としての優しさを忘れない信秀を。


 千度の人生で、真面目な弟信勝のほうが当主にふさわしいと誰もが口にした。母親でさえ、信勝に家督を継がせようとした。けれど信秀だけは『跡継ぎは信長だ』と言い続けた。


「ノブ」


 利家は、信長の横顔に呼びかける。信長も、利家と視線を交えた。


「守るわよ。おじさんが残してくれた贈り物を。この、知多半島を」


 利家の真摯な眼差しに、信長は大きく頷いた。


 戦国乱世のこの時代。税収の多さはそのまま軍事費、しいては防衛費に繋がる。莫大な税収入を得ることができるこの知多半島は信秀最大の遺産だ。敵だらけで味方のいない信長が、尾張国内を統一し、そして国外勢力から尾張を守る防衛費をねん出する遺産だ。


 でも、父親の形見であることと同じくらい、


「ああ。俺は、たとえどんな手を使ってもこの知多半島を守るぜ」

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