第9話 国の収入源は年貢米? いいえ、商工業区からの税収です。

 尾張国の南、知多半島。その常滑町に、信長たち四人は馬を飛ばして来ていた。

 旅籠に馬を預け、信長たちは表通りへ出る。

 常滑町は人が溢れ、活気のある町だった。

 戦国時代の尾張は、全国でも有数の焼物の産地だ。


 まずは瀬戸焼。平成では陶器を瀬戸物というが、これは本来、陶器のブランド名だ。あまりに有名なため、いつしか瀬戸はブランド名ではなく陶器そのものを指す単語になった。


 だが、その瀬戸と並ぶ超有名ブランドがある。それが知多半島で製造される常滑焼だ。


 瀬戸焼と常滑焼。二大ブランドを押さえる尾張の陶器生産量は、全国でも一、二を争う。そのため、知多半島は尾張国内でも最大の商工業区だった。


「おっ、この湯呑いいな」


 陶器の店を見て回ると、信長が赤い湯呑に目をつける。


 信長が茶器マニアでコレクターだったことは、後世でもよく知られている。全国有数の陶器の産地、尾張の若様として育てば、当然のことなのかもしれない。


 信長は常滑焼製品を眺めながら、目を子供のように輝かせる。


 そんな信長を見て、幼馴染の利家は嬉しそうに笑う。


 信長は気に入った小さな湯呑を三つほど購入すると、慶次が袖を引っ張ってくる。

「ノブ兄、ノブ兄♪ 約束通り松風買ってぇ♪」


 いま言ったのは慶次だ。こじらせている彼女はいつも、信長のことを『魔王様』と呼ぶのに、こうして遊んでいるときや、まったりくつろいでいるときは昔のように『ノブ兄』と呼ぶクセがある。


「いいぞいいぞ♪ おい姉ちゃん、松風八箱頼むぜ」

「わーい♪」


 隣の店で売っている松風とは、小麦粉を原料にした焼き菓子だ。和菓子の多くは江戸時代に考案されたもので、平成人の知る和菓子は、まだない。


 信長は、財布からそのまま銅銭を取り出して売り子の女性に支払った。すると、利家は不思議そうに指をくちびるに当てた。


「随分気前がいいじゃない。何かあったの?」

「ヴぇっ!? な、なにもないよー」

「そ、そうだよお姉ちゃん、なにもないよー」


 まさか、慶次の策略で利家の全裸を見ることができた褒美だとは、口が裂けても言えないふたりだった。


「慶次は本当に松風が好きだみゃあ……」

「だっておいしいんだもん♪」


 慶次は松風の入った箱を秀吉に預けると、ひと箱だけ開封して、歩きながら食べた。


 信長、利家、秀吉も箱から松風を一切れ手に取り、歩きながら食べる。


 当時、武士が歩きながらものを食べるのは行儀が悪いとされていたが、傾奇者の信長たちは気にしない。秀吉は傾奇者ではないが、農民出身なので気にしない。


 陶器屋、菓子屋とめぐり、信長が次に目をつけたのは、女性向けの装飾品、くしやかんざしを売っている店だ。


「おっ、このかんざし良くね?」

「え、ノブ?」


 信長が店頭に並ぶかんざしを手に取ると、利家はドキリとした。信長が手にしたのは、大きなぼんぼりに、揺れる玉飾りのついたかんざしだ。それを五本束ねると……自分の頭に突き刺す。


「どうだ慶次?」


 信長がドヤ顔でポーズをキメると、慶次が手を叩く。


「ノブ兄カッコイイ♪」


 派手好きだった信長は、若い頃から女性向けの柄モノの羽織を着たり、かんざしで頭を飾ったりしていたという。おそらく、日本初のヴィジュアル系男子である。


 ただ、そんな信長に、利家はちょっと不満そうに肩を落とす。


 利家がぶつぶつと自分に何かを言い聞かせはじめると、信長は胸のあたりがキュンキュンしてくる。


 ――あぁ、すねているワンコってどうしてこんなに可愛いんだろう。


 なんて思いながら、利家に似合いそうなかんざしをひとつ、彼女の髪に添えた。

 すると、利家はハッとして顔を上げて、視線がかち合った。途端に、利家の綺麗な顔に赤みが挿して硬直する。


「うん、やっぱいいな。おい姉ちゃん、これくれ」

「いつもありがとうございますね、信長様」


 幼い頃から悪ガキたちと町で遊び回っていた信長は、庶民にも広く顔を知られている。それに傾奇者は平成風に言うなら不良やヤンキーだが、信長たちは義理と筋目を通し、彼らなりの美学を持ったタイプの傾奇者なので、地元民から愛されていた。


 信長が笑顔の可愛い看板娘にお金を払おうとすると、利家は眉をひそめて慌てた。


「い、いいわよノブ。あたしにかんざしなんて」

「かたいこと言うなよ。かんざし一本の値段なんて刀や鎧に比べたらたいしたことないし」

「いや、お金の問題じゃなくて……」


 信長は釣銭をもらうと、すぐにかんざしを利家に手渡す。


 一見すると、信長は羽振りがいいように思える。とはいえ御大名様という身分を考えれば大した贅沢でもない。しかし、信長が大名のなかでも裕福というのも事実だ。


 織田信長といえば、田舎の小国尾張からなりあがったイメージが強い。だが、どん底からなりあがったわけではない。


 率直に言うと、織田家はとてもリッチな家なのだ。


 まず戦国大名の主な収入源は年貢米だ。小国尾張の一年に獲れる米の量、石高は全国六六カ国のなかで美濃を押さえての第四位。五七万石という堂々たる石高だ。


 尾張は面積こそ狭いが温暖な気候と肥沃な大地を持つため、作物がよく育つ。


 加えて、この知多半島からの莫大な関税と冥加銭、平成でいうところの売上税もあった。


 まだ商業が未発達なこの時代。よその大名は収入源を年貢米に頼っていたが、織田家には発達した超商工業区、知多半島がある。


 農民からの大量の年貢米と、商人からの莫大な関税と売上税。この二輪走行で、織田家は全国有数のセレブ大名だった。その証拠に。


 織田家は氷室を持っていて、信長は子供時代から冬のあいだに貯蔵した氷を夏に削り、果物の汁をかけて食べる『かき氷』で涼んでいた。


 信長は十五歳の頃、最高級兵器火縄銃(一千万円以上)を近江の国友衆に五〇〇挺注文した。というエピソードが残っている。


 他にも信長の父親である織田信秀は、神社には七〇〇貫文、朝廷には四〇〇〇貫文をポンと寄付している。これは平成ならば、数十億円もの大金だ。


 町で遊んでから、信長たちは港へと足を運ぶ。

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