第5話 武田騎馬隊を滅ぼした魔王は戦象部隊も無双する!
しばらくすると、味方の兵が、荷車で干し草のようなものを次々戦場に運び込んでくるのが見えた。
味方の兵がそれらに火をつけると黒煙が上がりはじめる。風向きは東、コボルト軍側だ。
黒煙は薄く、煙幕としての効果は期待できない。だが黒煙は広範囲に広がっていく。
そうだ、それでいい。
煙の目的は目くらましじゃあない。臭いだ。
戦象の群れは、景気よく人間の騎士達を蹂躙している。戦象達は人間を鼻で突き飛ばし、足で踏みつぶし、牙で刺し貫いていた。
だが、俺が用意させた黒煙が近づくと戦象の動きが止まる。
戦象の背に乗るコボルト達も、眉間にしわをよせた。衝撃は一秒後に起きた。
戦象は、地の底からすすりあがるような重低音の悲鳴を上げた。苦しそうに前足を上げ、鼻先を空に向ける。
狼並の嗅覚をもつコボルト達も、むせこみながら空いている手で口と鼻を押さえる。
戦象とコボルト達の様子を前に、人間の騎士達は戸惑う。そして、戸惑いながらも騎士達は弓による射撃を再開する。
騎士達が狙うのは戦象の御者だ。
盾兵が御者を守ろうとするがうまくいかない。盾兵達は苦しみながら咳をして、御者に何かを訴えている。
しかし、御者が何かする前に、戦象達はその場で自ら反転。戦象達は身を揺すりながら反対方向へ遁走する。
結果、戦象の上に乗ったコボルト兵達は、その背中から振り落とされてしまう。そしてコボルト兵達は、地面に叩きつけられてから戦象に踏みつぶされるのがほとんどだった。
戦象達も無事ではない。戦象同士がぶつかり合い、互いの牙が刺さり、転んだ仲間の戦象を踏みつけまた転倒するという悪循環が起こっている。
動物の中でも嗅覚の発達したものは、おどろくほど異臭に弱い。俺ら人間が真夏の太陽を直接見ると、目に激痛が走るのと同じだ。
きっと連中にとっての異臭は、鼻に激痛を与えるのだろう。
俺は象の嗅覚の善し悪しなんざ知らない。でもあれだけ鼻が長いんだ。あれだけ鼻が発達した動物なんだ。嗅覚が発達していないはずがねぇ。きっと象は、あの長い鼻で色々な場所や方角の匂いを嗅いで危険を察知するに違いない。
しっぽを巻いて逃げるコボルト軍の光景を見て、人間の騎士達はただ呆然としていた。もう、弓を射るものもいない。
人間の騎士達はみな、何が起こったのかわからない。どうしたらいいのかわからない。そんな感じだった。
好機!
俺はやぐらの上から声を張り上げた。
「呆けてんじゃねぇぞ! コボルト軍は俺様、勇者信長の策で撤退した! 俺らの勝ちだろうが! 勝鬨を上げやがれぇえええ!」
俺の口上を聞いて、味方の騎士達が一斉に得物を突き上げた。勢いよく湧き上がる歓声が、俺の胸に心地よく染みわたる。
いいねぇ。
勝利の美酒とはよく言ったもの。
これが、この時こそが、どんな至高の銘酒をも超える甘美を味わわせてくれる。
歯を見せていやらしく笑うと、俺は口の中で歯を舌舐めずりした。
俺は騎馬武者を駆逐させれば地球で一等賞だ。でも、同じ騎兵でも戦象を相手にするのはこれがはじめてだ。それでもなお勝ってしまうのが俺様よ。
「あん?」
俺がソフィアの様子に気がついたのは、ひとしきり歓声に浸ってからだった。
ソフィアは両手で耳を押さえ、目を回していた。
「ゆ、勇者様……声が、おおきすぎますぅ……」
ソフィアの体が傾く。ソフィアがやぐらのてすりにぶつかりそうになったので、俺はソフィアの腕をつかんで体を支えてやる。俺は超がつくほど優しいのだ。
しかし、大変なのはこれからだ。
俺は勝利の美酒を味わったが、酔いしれることはできなかった。
理由は単純。チャンドラグプタ二世の表情だ。
俺は視線を、戦場の奥へ投げた。そして、かの天竺王と対峙する。
◆
信長の策で、コボルト軍の戦象部隊は総崩れとなっていた。
その混乱はコボルト軍本陣にも伝わっていた。
総大将であるチャンドラグプタの側近達は動揺し、冷静さを欠いてしまう。
その中でただ一人、チャンドラグプタだけが冷たい微笑を崩さなかった。
「戦象への対応が早過ぎる……あの男、戦象の弱点を知っているのか? いや、あの顔色は、はじめて戦象を見た時のソレだ。つまり、この短時間で攻略法に至ったということだ」
チャンドラグプタの様子に、近衛兵の一人が息を吞んだ。
「ゆ、勇者様……?」
チャンドラグプタの美しい顔に、笑いジワが広がった。
「みつけたぞ。我が道化」
前線の状況を見て、近衛隊長は悔しそうに、
「くっ、これまでは連戦連勝であったのに。人間共も勇者を召喚したか……」
近衛隊長の悔恨を聞き、チャンドラグプタは冷笑を浮かべ、
「連戦連勝? 笑いを取ろうとするでない。いつ、余が開戦した?」
近衛兵の誰もが、目を丸くした。
「今、この時をもって、あの男が余に宣戦布告をしたのだ」
勇者チャンドラグプタが強敵と認めた。人間国の勇者を。近衛兵達がそう思った時、
「奴となら練習ではなく、真剣にゲームをしてやってもよい」
国家存亡を賭けた戦を、インド王はゲームと言ってはばからない。近衛兵達は、自分達が召喚した勇者のありかたに言葉がでなかった。
「このままでは前線の象に巻き込まれて被害が拡大する。全軍撤退せよ。逃げ遅れた兵と象はあとで捜索するのだ」
チャンドラグプタの命が下る。近衛兵達はハッとして、すぐに撤退命令を全軍に伝えはじめた。チャンドラグプタは愉悦の表情のまま、視線の遥か先、信長とにらみ合う。
信長の王気を肌で感じる。感じながら、チャンドラグプタは高らかに告げた。
「皆の者! 残る三名の勇者! ルーク! ナイト! ポーンを召喚するぞ!」
浮かない顔の近衛兵達は、瞳に希望の光を宿す。
『はは! 仰せのままに!』
インド統一の太陽王チャンドラグプタ二世。インドを制覇した王が次に狙うのは、戦国日本の魔王、その首だった。
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