第37話 最効率の最適解を最高速で


「姉さん……また、呉の城が焼け落ちたらしいよ」

「そうらしいわね……」


 ベトナムの首都、ハノイの城の廊下を歩くチュン姉妹の顔は暗かった。


「確かに中華はずっと私達を弾圧してきたし、呉とはずっと戦争続きだった……だからこんな事をいうのはおかしいって、自分でもわかってるんだけど……」

「…………」


 妹、チュン・ニへ返答できない姉のチュン・チャック。

 視線を落とそうとした時、廊下の曲がり角から明智光秀が姿を現した。


「あ、光秀殿」

「チャック殿、何かお困りでしょうか?」


 二人は信長の重臣である光秀に駆け寄り、その涼やかな顔を見上げた。


「あの……光秀殿は信長殿に仕えて長いのですよね?」

「ええ、これでも信長様の天下取りを初期の頃から支えて来た自負はあります」

「で、では教えてください……信長殿はどういう人なのですか!」


 気圧される光秀に、チャックは胸の内を吐露する。


「私は始め、信長殿は仏様のような方だと思っていました。長年呉の弾圧に苦しむ私達の前に颯爽と現れ助けてくれて、私では思いつかないような革新的な政策を次々打ち出し、この三カ月でベトナムは信じられない程進んだ国になりました。私にとって信長殿は救世主、天の国から遣わされた天人のように思っていました、ですが」


 チャックの視線が一度落ちて、弱々しく光秀を見つめ直す。


「信長様は人を殺しすぎます……捕虜を取らず野戦では鉄砲隊で皆殺し、攻城戦は初めからいきなり焼き討ちで皆殺し、あまりにも簡単に、そして多くの人を殺します。この三カ月で東南アジア、呉国合わせて一〇万人以上の人が死んだと推定されています……それに敵の死体を硝石丘に……あんな……私にはあの人のお心が読めません!」


 本気で悩み、苦しむチャック。姉を心配して、チュン・ニも表情を曇らせチャックの袖を握る。


 チャックは信長に光を見た。信長の器の大きさに心酔した。この人は神だと思った。


 その器に惚れ込み、他の東南アジア諸国も次々統治下に入り、東南アジア連合を築き皆で自分達を弾圧してきた中華から完全独立を果たすと、そう思っていた。


 中には信長の統治を受けつけぬ者もいるかもしれない、でも信長ならきっと自分が及びもつかないような方法で上手く説き伏せ、懐柔するとチャックは思っていた。


 だが現実は違った。


 信長の放った軍は、逆らう者全てを容赦なく殺戮し、焼き尽くしていく。休戦講和、降伏要求などせず、全てを一気に滅ぼすのだ。まるで魔王のように。


「あの人は……もっとも人々が苦しまない方法を選べる人なのです」

「苦しまない……方法?」


 光秀の声は優しく、おちついていた。


「かつて、信長様は織田家の当主の座を狙う弟信勝様に謀反を起こされた事がありました。ですが血を分けた弟のした事、信長様は反省しただろうからと許してしまいました。結果、信勝様は二度目の謀反を起こし、信長様は弟信勝様を殺されました」


 光秀の声に僅かな力がこもる。


「二度目の謀反で少なからず信長様の家臣も死ぬことになりました。信長様が最初の謀反で信勝様を殺していれば彼らは死なずに済みました。一見すると信長様の行為は弟を許す優しい兄ですが、その実は争いの種を放置し家臣を危険にさらしただけだったのです。それからも信長様は多くの家臣に裏切られました。松永殿、荒木殿、波多野殿、別所殿……謀反が起きれば人が死ぬ、ならば最初から全ての争いの種、反乱分子を根絶やしにしてしまえば最小限の犠牲で平和を成せる。信長様はそうお考えなのです」


「で、でも……城を焼き落とすなんて」


「焼き討ちが一番早く、そして苦しまず戦が終わるのですよ。普通の城門突破や水攻めは戦いが長引き、戦いが長引けば敵も味方も領民も疲弊します。兵糧攻めは多くの敵を何日もの間、飢えで苦しませる事になります。ですが火攻めなら一日二日で終わりますし、焼けた城を捨て城門から出て来た敵を討ち取り苦しまずに殺してあげられます。なのに多くの人々は弱く、小事と大事を履き違えて多くの人を苦しませてしまうのです、私も……」


「光秀殿も?」

「はい」


 光秀はやや悲しそうな笑みを浮かべて頷いた。


「誰もがそうです。謀反人を許せばいずれまた裏切り、戦が起きると分かっていながら殺せず、そして戦でまた多くの人を殺し、城に火を放てば争いはすぐに終わり敵も楽に殺せると分かっていながらそんな残酷な事はできない、と兵糧攻めにして敵を飢餓で苦しめて多くの餓死者を出してしまいます……多くの人が目の前の小事に囚われ、大事を見落としてしまう。なのに信長様は常に最も合理的で効率の良い方法を行ってしまうのです。その結果、どれほど自分が魔王と罵られ罪を被ろうと構いません、むしろ残忍な男と噂が広まれば戦わずして敵が降伏してくれると、自身の悪評すら利用して流れる血を少なくします。それが我が主君……織田信長様なのです」


 乱世が続く理由、それは人間の甘さにある。


 戦争相手と講和したり、倒した敵を許したり、命を助けたり、その結果、力を盛り返した敵やその残党が再び争いを起こし、乱世は治まらない。


 民百姓は乱世に怯え生きなければならない。


 だがもしも向かう敵全てを皆殺しにして、倒した敵の一族郎党幹部に至るまで殺し尽くせばどうなるか。


 敵も残党もこの世から消滅し再戦は無い。そして誰も刃向かう気が起きなくなるような圧倒的な軍事力を誇示させれば反対勢力を作ろうとする者もいない。


 敵の改心や厚生、それはとても耳当たりの良い素敵な言葉だが、そんな理想論の犠牲になるのは罪も無い民草だ。


 だが争いの種になる悪を滅してしまえば、そこに残るのは民草の平和な暮らしだ。


 信長は、ただそれをこの世の誰よりも理解し、そして実行できる人間なのだ。


「あの人はただ優しいだけでも、ただ残酷なわけでもない。優しいが故に残酷な事を行えるのです。信長様が以前私に言いました『正しい選択ではない。効率のいい選択だ』と」


 光秀の悲しそうな笑みに、ぬくもりが宿っていた。


 チャックとチュン・ニはあらためて信長を知り、チャックは呟いた。


「本当に……信長殿には敵いません」


 チャックの優しい表情に、チュン・ニは嬉しくなった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る