第35話 一休さん


 その頃、チュン姉妹は城の中で異様な男を見つけた。


 僧服である袈裟を着てはいるが着崩していて、髪を伸ばし歩き方も雑だ。一言で言えば僧侶特有の高貴さが無い。


 何よりも異常なのは、腰に朱鞘の刀を挿している事だった。


 僧侶が殺生の道具を持つとはこれいかに。


「あ、あの」


 躊躇いがちにチュン・チャックが声をかける。


「なんだい嬢ちゃん」


 ベトナムの女王に対して『嬢ちゃん』。チャックは言葉が出無かった。


「ちょっと貴方! お姉ちゃんに対して何て呼び方するの!」

「だってお嬢ちゃんはお嬢ちゃんだろ? じゃあ嬢ちゃんでいいじゃないか」


 悪びれる様子も無く飄々と言ってのける男。人を食ったようとはこのことか、異様の風体もあって、無礼過ぎる発言だがすぐ罰を与えようとは思えない。


 チャックはまず、男の素性が知りたくなった。


「貴方は?」

「俺は一休宗純。信長の雇われ坊主さ」

「坊主? 世界のどこに髪を生やした僧侶がいますか!」

「持戒はロバとなり破戒は人となる」

「は?」


 チュン姉妹が呆気に取られる。一休はニヤリと笑った。


「ただ戒律に縛られて思考を止めた奴は家畜と同じだ。戒律を理解した上で自分で考え、戒律を破った時、人は家畜から人間になれる。髪が生えているのがなんだ? 髪が生えていると何がどうなる? 髪が生えているかどうかで説法のありがたみが変わるか? 心血注いで死者の魂を憂いお経を読んでも髪が生えてるだけで意味がないのか? じゃあ世間の連中の先祖供養や墓参りなんてぜーんぶ無意味だな、だって世間の連中はみんな髪が生えているんだからな」


「へ、屁理屈を言わないでください、それに僧侶が帯刀なんて」

「あーこれ? これは木刀だよ、ほれ」


 目の前で一休が立派な朱鞘を抜いて見せると、木目の刃が顔を出す。

 チャックの顔がぱっと赤くなる。


「ま、紛らわしいことをしないでください」

「紛らわしいって?」

「だ、だから、そんな立派な鞘を挿していれば誰だって本物の刀だと思うではありませんか!」

「その通り、人間は外見ばかりで中身を見ようとしない。だからこうして見た目に騙されるのさ」


 一休は歯を見せながらベロンと舌を出して、意地悪く笑った。


「世の中の偉そうな顔した坊さんもみんな同じだ。どいつこいつも立派な袈裟着て中身は役立たず、飾るしか無い連中ばかりだ」


 あまりにも人をバカにした態度に、チャックの額に血管が浮かぶ。


「あ、あのですね一休。貴方は仏の教えを何だと思っているのですか! 僧侶とは戒律を守り高僧を敬うもの。それを貴方は仏教を否定してばかり、あなたのような偽物生臭坊主がこの城に一体何の――」

「経典ばかり読んで世間を見ない奴はみんなそう言う」


 一休は目を細め、静かな声でそう呟いた。


「宗教ってなんだ? 富を集めて作った成金趣味の贅沢な寺院で高価な袈裟着たジジイが偉そうに説教垂れて、戒律で人を縛って、政治に口出して自分を崇めさせて、民衆を洗脳して神や仏の為だと戦争で人殺しさせるのが宗教か? 違うね、宗教は人を救う為にあるんだ。人を救うのに立派な寺院も袈裟も剃髪も礼儀作法もいらない。俺はそう思う」


 チャックは戸惑い、何も言えない。それでも何か言わなくてはと迷っていると、


「そうそう、それと俺がこの城にいる理由だけどな、東南アジアでの供養が終わったんでね、一足先に戻って来たんだよ」

「そ、そうですよね、日本軍だって被害は」

「あー、いやいや、そうじゃなくて敵さんの供養だよ」

「「え?」」


 チュン姉妹はわが耳を疑った。

 この男は今なんと言った? 敵の供養? 自分で殺した敵の供養をする。異常の度合いがあまりに過ぎて、チュン姉妹の思考が一瞬停止した。


「て、敵の供養って、何故!」

「ん? なんで敵の供養しちゃいけないんだよ? 俺らが殺したんだから俺らが供養するのが筋だろ?」

「だって敵ですよ! 憎み合って戦争して殺し合って殺した敵対勢力ですよ! それを!」

「死人に敵も味方もねぇよ」


 一休の顔があまりに優しく、チュン姉妹は言葉を失った。


「人間死んで仏さんになったら善人も悪人もねぇ、敵も味方もねぇ、人が死んだんだ。じゃあ誰かが供養してあげなきゃだめだろ? 悪い事した奴は地獄に落ちて苦しむんだ。じゃあ、見送りぐらい優しくしてあげたいだろ? 人間だもんよ」


 大陸には無い思想に、チュン姉妹は驚かされた。


 死ねば敵も味方も無い、平等に供養する。なんと優しい考えだろうか。


 だがその温かさは次の瞬間には消え失せた。


「だから頭は首塚作って俺が供養。首から下は草土糞尿と一緒に硝石丘にってわけだ」

「糞尿と一緒!?」


 チャックは叫び、チュン・ニは口に手を当てて驚いた。


「なんという死者への冒涜、貴方はやはり僧侶などでは」

「信長の命令だ」

「の、信長様がそんな酷事を命令するはずが、あの人は心根優しい世界の救世主で」


「酷い? 何が酷い? 死体を放置して狼とウジに喰わせて腐らせるのが上等で硝石を作るのに再利用するのが下等か? 糞尿なら死体の腹の中にもあるし草土の上に死体は放置される。同じ腐らせるなら硝石にして天下太平の役に立てた方がいいだろ?」


「それは……それは…………」


 チャックとチュン・ニは、何も言えなかった……

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