第8話 真田幸村「あれ? 俺って強いの?」
「敵は一〇万、と言っても大半は信長への仇打ちや死に場所を求める老将や牢人、私的な欲望で動いているだけの連中だ」
織田軍本陣で、甲斐の虎、武田信玄は笑う。
武田信玄、肩幅が広く、腕が太い、指が太い、脚が太い。加えて鬼の角のような額当てが彼の内なる熱気を象徴するようだ。
戦においては信長に負けた長篠の戦いという例外を除き、生涯無敗という猛者だ。
「誠にこの日の本の行く末を憂い、安土幕府の為に戦おうなどという者は半分いればいいほうであろう。なぁ、千代女よ」
信玄の隣、一瞬前まで誰もいなかった筈の場所に、一人の女武者が立っていた。
女武者といっても鎧は驚くほど軽装で、とにかく動きやすさを追求した作りになっている。露出した胸の谷間は敵兵の視線誘導が目的だ。
「だろうな、特に信長に恨みのある奴は鉄砲玉みたいに飛び出して片っ端から死んでるぜ」
武田忍者隊頭領、望月千代女はキセルに火を付けずくわえる。彼女にタバコを吸う趣味はない、キセルはただのお洒落、カッコをつけるためにくわえている。
高い背に豊かな胸と臀部、顔付きも凛とした強さを感じさせる麗人だ。思わず『姐さん』と呼びたくなる気風の良さを感じさせる。
「あーそうだ、さっき前線見て来たけど幸村凄いぜ、もう一〇〇人以上殺してら。まぁ本人が一番驚いてたけどな」
キセルをくわえながら器用に喋る千代女。信玄は昔をなつかしむようにほくそ笑む。
「自分では気付かないだけで、あやつはあれでなかなかの猛者だからな」
「あたしらに一度も勝てなくて悔しがってたけど、逆に一〇と少しのガキにあたしらが負ける方がおかしいってんだよ。そんで幸村が強くなった分だけあたしらが手を抜くのをやめる。だからあいつには自分が強くなって無いように感じるってわけだ。まぁあいつが織田家に行く頃には、四天王連中、先輩の威厳を保つ為に死に物狂いで勝ち拾ってから余裕の演技してて笑えたぜ」
千代女は愉快そうに苦笑する。
「周りが一騎当千の猛将揃いで一騎当千の猛将としか戦った事が無い幸村にとって、雑兵はさぞ、弱く見えるだろうな」
信玄は薄く笑って、戦の終焉を待った。
◆
幸村の前に、雑兵とは一味違った男が立ちふさがる。
立派な作りの鎧に兜の前立て、だがその鎧にはいくつもの刀傷が刻まれている。足軽ではなく、名のある家に生まれた一角の武将であろう。
それでも、
「はぁ!」
突きの一撃で鎧を貫通。男は血を噴いて倒れた。
幸村は縦横無尽に十文字槍を操り、全身に鋭利な瞬速の斬撃をまといながら敵陣を突破。
甲斐に追い付き追い越し、宗茂達の背中を捉えた。
織田信忠の屋敷までは、およそ二町(二〇〇メートル)。そこで、作りも大きさもバラバラの刀や槍を持った集団が待っていた。
鎧も、人によって小手をつけてなかったり、脛当てがなかったりする。
ようするに少し貧乏臭い。
今までの敵は信長への恨み事を呟いたり、怒りや憎しみに狩られた顔をしていたが、逆に目の前の男達は死ぬ覚悟をしたような面構えだ。
そんな男達が千人はいる。
「なるほどねぇ、お前さんら牢人か」
口を開いたのは前田慶次だ。
朱槍を肩に担ぎ、男達の面を眺める。
「日本を守る為の大戦で一花咲かせてから死にたいってわけかい? 粋だねぇ。でもよ」
朱槍を天に掲げ、慶次は言い放つ。
「そんなに花を咲かせたいなら信長についたほうが得だぜ! なんせあの野郎は世界を相手に戦をする男だからな。それぐらいお前らだって知ってるだろ?」
男達は息を吞んで、しかし折れない。
「黙れ黙れぇ。ようやく治まった世を乱す不埒者が!」
「この日の本の平和を守る為、我らは戦うのだ!」
激昂する男達。慶次は頬をかいて息をつく。
「そうかい、そいつは残念だねぇ」
「慶次! 何故貴様は信長なんぞに協力する!」
「そうだ! お前は戦馬鹿だが花鳥風月を愛する風流人と聞いている!」
「これ以上無駄な血で世を汚してなんとする!」
慶次は鼻で笑う。
「無駄な血だぁ? 無駄なんかじゃないさ」
慶次は少年のように目を輝かせ、希望に溢れた声で語る。
「俺はな、あいつの夢に魅せられちまってんのさ!」
慶次の話を聞いて、幸村は呟く。
「……夢?」
「お、なんだ幸村、お前らも追い付いて来たのか? それじゃ、一緒に行くかね」
「あ、話もう終わった?」
「では生かせてもらおう」
甲斐と誾千代が同時に飛び出し、敵軍に突っ込んだ。
屋敷の前は一瞬で血の海で満たされ、男達の阿鼻叫喚が渦巻く地獄絵図と化した。
「男のくせになっさけないわねぇ。こんなかよわい女の子一人殺せないの?」
「ふん、貴様らは最高の死に場所を求めているのだろう? ならば立花道雪の嫡子、この立花誾千代が用意してくれるわ!」
最高の華々しい死に場所を求めて、女に殺されたなど冥土の土産ならぬ冥土の恥だと、男達は慌てて逃げ出し道を開ける。
結果として、幸村達は誰とも戦わず、楽に屋敷に近づけた。
「宗茂……これって」
「まぁ、終わり良ければ全て良しだろ。それより良かったな幸村」
「? 何が?」
宗茂に向き直ると、彼は歯を見せて笑ってくれた。
「お前の努力は無駄じゃなかった。一緒に行こうぜ、大将首を獲りによ」
「っ……おう!」
幸村と宗茂は駆けた。信忠がいる屋敷の正門。そこでは甲斐達が先に待っていて、幸村達が着くと慶次が朱柄の斬馬剣を構える。
「ほんじゃ、いくぜぇ!」
敵を馬ごと斬り殺す国内でも最大最重量級の槍、斬馬剣。
その剛槍を、巨漢の慶次が両の剛腕で一気に振り抜いた。
「憤破ッ‼」
本来は破城鎚を使って破壊する屋敷の門。それを得物の一振りでぶっ飛ばし、粉々に砕き散らせた慶次。その膂力はさすがと言うべきだろう。
「おっ♪」
吹っ飛んだ扉の向こうを、いの一番に目にした慶次の口から嬉しそうな声が漏れる。
その答えは、幸村達にもすぐに解った。
袖口に山形のダンダラ模様を白く染め抜いた浅葱色(水色)の羽織りを着た男達が刀を手に立ち並んでいる。
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