第4話 夢と現実

 同じ頃、幸村は大阪城の練兵室である道場で、一人十文字槍を振るっていた。


 大阪城には必要な予定の兵数が集まり、明日は京へ向けて進軍を始める。


 今夜は早めに寝てゆっくりと休むのが良しとされるが、幸村は汗を滴らせながら槍を振るう。


 不安を振り払うように、そうしていないと落ち着かないように、幸村は強く、鋭く、巧みに槍を操り空を貫き斬る。


「こんな時間に一人稽古か?」


 窓から差し込む月明かりが、静寂に佇む宗茂の顔を優しく照らす。


「…………」


 幸村は槍を下ろすが答えない。宗茂は幸村の心を見透かすように目を細めた。


「不安なのか?」


 幸村の肩が震えた。


「お前は一度初陣に失敗してるからな。明日も活躍できなかったらどうしよう。役に立てなかったらどうしよう。不安で不安でそうやって槍を振るわずにはいられない、か?」


 幸村は黙って下唇を一度噛み、それから宗茂に向き直った。


「宗茂、お前の初陣てどんなだったんだ?」


 宗茂は昔を思い出しながら、静かに語る。


「一四歳の時な、裏切り者の秋月氏との戦に誾千代と一緒に出たのが初めてだ。誾千代と二人で一〇〇人ずつ、ちょうど二〇〇人殺したから誾千代とどっちの勝ちか大喧嘩したな。まぁ、勇将・堀江備前を討ちとったから俺の勝ちって事になったけどな」


 はは、と笑い、宗茂は柔らかい表情で幸村と向かい合う。


「でもさ、お前、小田原攻めの時はやる気満々で突っ込んで行ったんだろ? じゃあ今度も失敗するかも、じゃなくて、次こそは活躍してやるって、また同じノリで行っちまえよ」

「……気付いたんだ」


 力無くうなだれて、幸村は月明かりの下で口を開く。


「あの時は何も考えていなかった、ただ初陣だって張り切って、でも甲斐と対峙して、女の子を斬るなんてできなくて逃げて、その時父さんに言われたんだ『相手が女じゃ、勝っても自慢にならないし、負ければ大恥だ』って」


 幸村の握る槍の穂先が震える。


「その時に気付いたんだよ、負けたらどうなるんだろうって!」


 幸村は再び槍を構えて、鋭い突きを放つ。


「負けたら死ぬとか、死ぬのが怖いなんて話じゃない! 俺は小田原攻めの時、敵将相手に活躍する自分の姿しか考えていなかった、でも、もしかしたら何でも無い小物にも負けるかもしれない!」


 次々槍を振り回して、操り、空を斬る音が練兵室の静寂をかき破る。


「子供の頃からずっと鍛えて、戦場で活躍するのを夢見て、武田四天王や父さんに兄さん、武田忍者隊頭領の望月千代女さんがさんざん稽古してくれたんだ! ずっとずっと辛い訓練に耐えて、みんなの期待に応えようって」


 幸村の額から飛び散る汗が練兵室の床を濡らす。足下に滴る汗が床に溜まる。


 床の汗が、どれほど幸村が長く、そして真剣に槍を振るって来たかを物語っていた。


「でも、あれだけ頑張って、あれだけ耐えて、あれだけ一生懸命やって、もしも全然成長していなかったら、もしも全然弱っちかったらどうしようって思うんだ!」


 ひと際鋭い突きが虚空を貫いて、幸村の槍が固まる。


「大人はみんなやるだけやって駄目なら悔いは無いって言うけどそれは違う。たいして鍛えてなくて負けるなら、鍛えてないから仕方ないって思える。でも子供の頃から散々鍛えて三流ならもう言い訳はできない、それは俺が正真正銘の出来損ないだって証明になる。だから怖いんだ」


 槍を下ろして、幸村は告白する。


「今までの努力が全部無駄だったって、自分にバレるんじゃないかって」


 幸村の声には力が無く、なのに槍を握る手には痛い程の力が込められる。宗茂は言う。


「じゃあ納得できるまで振るえよ」


 宗茂と幸村の視線が交わる。


「意外か? でもな、俺はきっと大丈夫とか、お前なら勝てるさとか、そんな安くて無責任な事は言わないし言えないよ。逆に言う。ああ、そうかもしれないな、って」


 幸村の表情が固くなる。でも宗茂はほほ笑む。


「だから幸村、お前が納得できるまで振るえばいいんだよ。逆に悶々したまま戦場に出たってろくな事ないからな、悶々した気持ちを払しょくして戦に臨むのが今お前にできる最良の策だ。違うか?」


 宗茂にピッと指を差されて、幸村は一瞬硬直してから、ゆっくりと頬を緩めて。


「ありがとうな、宗茂」

「おう」


 ニカリと笑う宗茂。幸村はこの若武者が自分と同じ一〇代にして西日本最強となった理由が解った気がした。


「ところで宗茂はこんな時間にどうしたんだ?」


「ん、俺か? 俺はいつも通り誾千代と夫婦布団で寝てたらあいつの胸に悶々してきたから悶々したまま戦場に出ないよう悶々を解消しようとギュッとしようとしたら雷で感電させられたから逃げてきた」


「戦前に何やってんだよ……って、感電?」


「ああ、あいつ父親の道雪と同じ電気体質でさ、電気ウナギみたいに体に電気流せるんだよ、可愛いだろ?」


――それって可愛いのか?


 と、思いながら、幸村は笑う宗茂を眺めた。

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