第3話 新選組を率いる織田信忠
地面に転がる幸村を指差す甲斐。宗茂はアゴに手を当て不思議がる。
「え? だって馬乗りで殴ってたから嫁なのかなって?」
「あんた頭おかしいでしょ!」
「いや夫婦喧嘩ってそういうもんだろ? 例えばほらこうやって」
宗茂の唇が誾千代の額に当てられる。途端に誾千代の凛とした顔がリンゴのように赤くなる。
「何をするか!」
誾千代のヒジ鉄が宗茂のみぞおちにブチ込まれる。宙に浮いた宗茂の腕をつかみ、一本背負いで地面に叩きつけ、そのまま馬乗りになって宗茂の顔に拳を向ける。今にも殴りかからんばかりの勢いだ。
「貴様、いきなり額に接吻とは何を考えている!」
視線で『死ぬ覚悟はできてるか?』と尋ねる誾千代。顔はますます赤くなって戦場で返り血を浴びたよりも赤く感じられる。
「だって俺お前の夫だし」
「公衆の面前でする馬鹿者がいるか!」
「解ったよ、じゃあ布団の中でするよ」
誾千代が鼻血を流して固まった。
宗茂は銅像と化した誾千代を抱き起こして、甲斐に一言。
「ところでお前さ、確か幸村と再戦したがってるって聞いてるんだけど」
「ええ、このバカとはまだ決着がついてないしね。逃げられっぱなしは趣味じゃないのよ」
「お前かっこいいな。でも幸村もういないぞ」
「え?」
振り向けば、十文字を持った人影が豆粒のように小さくなっていく最中だった。
甲斐はあんぐりと口を開けたまま震えて、
「ま、また逃げられたぁっ!」
頭を抱えて空に叫んだ。
その様子を、屋根の上から一人の大男が愉快そうに見下ろしていた。
赤い着物の上に虎の毛皮を羽織った派手ないでたちで、着物越しにも解るほど筋肉が発達した筋骨隆々の肉体ながら機能美を感じさせる洗練された体型をしている。
「ふーん。今回の戦は、おもしろそうな奴が揃ってるねぇ」
前田慶次、天下御免の傾奇者で織田信長からいつどこでも傾(かぶ)いてよしと言われた男だ。
その実力は生涯無敗にしてほぼ無傷、戦国最強と言われる本多忠勝や立花宗茂にも並ぶと言われ、日の本最強の三傑を選ぶならば忠勝、宗茂、慶次の三人というのが一般的な認識である。
「まっ、今回も愉しませてもらうか」
◆
月が支配する夜。京都の信忠邸で血濡れた男が門をくぐった
彼を染める赤は全て返り血で、彼自身の血は一滴も流れていない。
「あ、斎藤さんお帰り、またいっぱい斬ってきたの? 刀腐ってない?」
沖田総司の少年のような笑顔に出迎えられて、死神のような男、斎藤一は僅かに唇を動かす。
「血で刀が腐ろうと替えればいい……命令あれば殺す、敵は殺す、俺の敵は攘夷派だ……」
「まったくもう、ぼく達って新撰組最強の二枚看板とか言われているけど、殺した人数じゃ斎藤さんに叶わないよ。まっ、ぼくは量より質を重視してるんだけどね♪ はい手拭い」
沖田から受け取った手拭で顔の血を拭いて、斎藤は問う。
「局長と副長はどうしている?」
「ああ、二人なら奥の座敷で信忠様と話してるよ」
◆
信忠邸の座敷。障子を締め切った部屋で灯台に灯った油の火に顔を照らしながら、三人は顔を合わせていた。
「土方、京都内の攘夷派はどうだい?」
十代前半の少年、織田信忠に問われ、新撰組副長の土方歳三はニヤリと笑う。
「安心してください信忠様。京都内の攘夷派はほとんど逃げたか俺らが斬り殺しましたんで、当然身を潜めている奴もいると思いますが、京都に集まった一〇万の佐幕派に恐れを成して動けやしませんよ」
「そうか、近藤、三日後には父さんの軍が攻めて来るだろう。兵士達の士気は?」
新撰組局長、近藤勇は礼儀正しく座したまま、若き征夷大将軍に小さく頭を下げる。
「はっ、士気は高く、この国の未来を憂い、皆信忠様の為に命を投げ出す所存。ですが良いのですか信忠様?」
近藤は心配そうに顔を曇らせる。
「何がだい近藤?」
「ですから、信長様は実のお父上。親子が戦など……」
「この戦国乱世じゃ珍しくないよ。あの武田信玄だって父親を追放して甲斐の王になったんだ」
信忠は視線を落とし、二人から顔を背けた。
「攘夷派の人達は大陸が統一されたら今度は日本が攻め込まれるから、日本も大陸の争いに参加するべきだって言うけど」
部屋の隅においてある地球儀を見て、信忠は呟く。
「この小さな島国がまとるまるのに何年かかったと思う? 大陸一つがまとまるのには何百年かかる? まとまるわけがない、まとまる途中で王が死んで、内部分裂して、別の勢力が力を付けて台頭して、乱世はそれの繰り返しだ。上手くすれば大陸は一生争いを続けて日本に攻め込む余裕なんてないよ、だから」
信忠は視線を近藤と土方に戻して、精一杯の意志を込める。
「僕は父さんを倒す……そして父さんの天下布武や富国強兵とは違う、国家安康と君臣豊楽を成し遂げる!」
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