第14話 カノジョからの励まし

 政秀が死んだ次の日の朝。帰蝶はひとり黄昏る信長をみつけた。自分の部屋で柱に体重を預けて座り、焦点の合わない目で虚空をみつめている。


 自分の夫の情けない姿に、帰蝶は腹が立った。戦国の世ならば、戦のたびに多くの家臣が死ぬ。一家臣が死んだだけでこうも落ち込むなど、武門の名折れだ。


 帰蝶が信長の目の前に立つと、信長はふと顔をあげた。


 パシンと音を立てて、帰蝶は信長の顔を叩いた。


 痛みと衝撃で、信長の目が正気を取り戻す。見上げれば、帰蝶が怖い顔をしてこちらを見下ろしていた。


「き、帰蝶……」


 ついでに言うと、帰蝶の肌に触れるのはこれがはじめてだ。


 そのとき、ちょうど生駒屋敷から駆けつけた吉乃が、信長の部屋についた。吉乃は襖の陰から、帰蝶と信長の様子を見守った。


「たかが家臣のひとりが死んだていどで情けない! それが武門の棟梁ですの!」

「たかがって……ッ」


 これには、流石の信長も怒りに火がついた。


「政秀はただの家臣なんかじゃない! 俺にとって政秀は――」

「ただの家臣ですわ!」


 信長の言葉を遮り、帰蝶は、まるで母親が出来の悪い子供にするように鋭く叱った。


「貴方はこのわたくし、美濃斎藤道三の娘、帰蝶の夫ですのよ! 父上は、貴方のようなたわけ者に娘を嫁がせたわけではなくてよ!」


 道三の名前を出されて、信長は押し黙る。

 たしかに、いまの自分を見れば、道三は失望するかもしれない。

 続けて、帰蝶は詰め寄る。


「嫁いだときから貴方という人は……家臣からは馬鹿にされ、父親が死ねば国はバラバラ、平民なんかと遊びまわってわたくしのことはほったらかし」


 喋るほどに、帰蝶の声音には怒りが上乗せされていく。


「戦に勝った? まず国内統一のための戦をやっている時点で情けなくて情けなくて」


 肩を震わせ、何かが爆発しそうな帰蝶の気配に信長は気押される。


「あの……帰蝶?」

「ッ! 父上に認められてようやく面目が立つかと思えば老いぼれひとりが死んだていどでふぬけるなど大うつけにもほどがありますわ!」


 再び、強烈な平手が信長を襲う。畳に倒れ伏す信長に、帰蝶は雷声を叩き落とした。


「それともその政秀とかいう老いぼれは貴方がふぬけることを望んでいましたのッ!?」


 帰蝶はふところから硬い扇子を取り出すと、信長の頭に投げつけた。ゴッ、という不安な音を鳴らしてから、跳ね返った扇子は畳の上に転がる。


 信長は動かなくなり、帰蝶は青ざめる。やりすぎたか、と帰蝶が一歩あとずさると、


「そうだよな!」


 がばり、と信長は勢いよく立ち上がった。

 その目には強い意志と光が宿っている。


「え、あの……信長、さん?」


 信長は帰蝶へと素早く振り向き、彼女に詰め寄る。


「政秀は俺に言った! 味方をたくさん作れ! 天下を取れ! 幸せな世を作れ! そうだよ! それが政秀の願いなんだ!」


 帰蝶の両手を取り胸元で握りしめる信長。帰蝶は頬を引きつらせながら、ややのけぞる。


「どうして政秀が切腹したのかはわからない! でもわかることもある! 政秀は俺が天下人になることを望んでいた! なら、俺は政秀のためにも天下を統一するべきなんだ! 帰蝶が言っているのはそういうことだろ?」


「ヴェ!? え……ええ、そうです……わ?」


「ありがとう帰蝶! こんな大事なことに気づかせてくれて! 愛しているぞ!」


 帰蝶を強引に抱き寄せ、ちからいっぱい抱きしめながら体を揺する信長。


 結婚以来はじめての、あまりに熱烈なアプローチに帰蝶も表情を失う。


 そのとき帰蝶と、襖から顔を出す吉乃の視線がかちあった。


 吉乃は笑顔で、グッと親指を立てた。


 帰蝶は視線を逸らしながらも、


 ――まぁ、終わりよければすべてよしですわ。


 と納得した。


 信長は両拳を突き上げ叫ぶ。


「うぉおおおおお! 俺はやるぞ政秀ぇ! 天下人になるんだぁああああ!」

「弟ちゃん」

「あ、吉姉」


 信長が襖のほうを振り返ると、吉乃がいつものように、包容力あふれるやさしい声で提案した。


「さっき、味方をたくさん作るって言っていたよね? お姉ちゃんね、ちょっと弟ちゃんに紹介したい人がいるの」

「紹介したい人?」


 吉乃の提案に、信長は首をかしげた。

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