第13話 大人のエスカレーター
行列を成して那古野城へ帰る途中。信長の心は充実していた。
父信秀が死に、織田家中に味方は父親代わりの政秀ひとり。政秀にはずいぶんと苦労をかけている。でも今日、味方が増えた。
織田家中ではないが、美濃国国主斎藤道三だ。道三は信長のことを理解し、強く支持してくれた。それに道三は、信長の妻である帰蝶の父親。つまり信長にとっては義理の父だ。
政秀とはべつに、もうひとり父親ができたようで、信長は嬉しかった。
大国美濃からの援護を受けられるようになったことで、尾張統一はきっとうまくいく。政秀の負担も軽くなる。信長はそう信じ切っていた。
早くこの朗報を政秀に報せたい。那古野城が見えてくると、信長ははやる気持ちを抑えきれず、馬の腹を蹴って行列から飛びだした。
那古野城の門をくぐると馬から飛び降り、信長は政秀の執務室へと駆けこんだ。
「聞いてくれ政秀! 俺!」
そこからさきは、言葉が続かなかった。
政秀が腹から血をながし、仰向けに倒れている。
その光景を受け入れられず、信長は一瞬、膝から力が抜けそうになる。でも、すぐに政秀へと駆け寄った。
「政秀!」
信長が呼びかけると、政秀は力無い眼差しで見上げ、頬をほころばせる。
「……なんという幸せか。別れの挨拶はかなわないと思っていましたのに……」
「喋るな! おい! だれか医者を呼べ! 政秀、なにがあった!?」
政秀の手をにぎると、
「信長様……」
と燃え尽きそうな声で、政秀は訴える。
「おおくの味方を……おつくりください……あなたのゆめをかなえるのに、いちばんひつようなのは味方です……」
「ッ…………」
信長は声を吞みこんだ。政秀の言葉を遮れない。政秀が自分に伝えたい気持ちを、すべてうけとめたかった。
「あなたの夢をかなえてください……天下を、かならずとって、しあわせな世を……」
信長が握る政秀の手に、わずかな握力がこもった。それが最後の力だったのだろう。
握力はすぐに失われて、政秀のまぶたが落ちた。
「政秀……おい政秀! 政秀!」
どれだけ呼びかけても、手を強く握っても、政秀は反応しなかった。
信長の眼が熱を帯びる。
握りしめた政秀の手を、反射的に自身の額に押し当て、信長は目を閉じた。夢ならさめてくれ、そんな気持ちがあったのかもしれない。
けれど、シワだらけの手はうごくどころか、体温を失ういっぽうだった。
「ばかやろう……」
信長の涙腺から、政秀への想いがあふれだす。
政秀の手を強く、加減なく握りしめながら、信長は食いしばった歯をこじ開ける。
「お前がいない天下を統一して……なんの価値があるッ!」
信長は嘆きの咆哮をあげた。
昔から、政秀が自分のせいで苦労をしていることは知っていた。でも信長は、自分の生き方を変えられなかった。
他人の顔色をうかがって、周りに合わせて、みんながしているから自分もする。理由はないがこれはこういうものだと決まっているからそうする。
自分を殺して、常識や習慣、伝統にとらわれた生き方なんてできなかった。
だから、子供のころから思っていた。
早く自分が力をつけて、天下を統一しよう。そうすれば、きっと政秀のじじいも楽ができる。自分が天下の基準になれば、政秀は自分のしりぬぐいをしなくて済む。天下を統一すれば戦もなくなるから、政秀は隠居して好きに生きられる。
それが信長の考えであり、信長の夢だった。
信長は深い絶望のなかで号泣した。
道三という味方ができたと思えば、政秀を失った。
父信秀に続いて、父親代わりの政秀まで失ってしまった。
なぜ自分の愛するものはことごとく死ぬのか。そんな想いにさえ囚われた。
そして、そんな信長の嘆きを影で笑う男がいた。
「計画通り」
信長の弟信行は、愉悦にくちもとを歪めながら那古野城から遠ざかった。
唯一と言ってもよい重臣を失った信長勢力は、求心力を大きく減じるだろう。
信長に心から従っているのは、重臣たちの息子や孫など、年若い連中ばかり。
それも嫡男ではなく、二男や三男など、将来家督を継ぐこともできない雑魚たちだ。信行はそんな優越感と計画成功の達成感を味わっていた。
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