第9話 カノジョのパパがコッチを見てきます
帰蝶の実家、美濃の国主斎藤道三と信長の会見の場所が決まった。富田町の正徳寺だ。ちょうど、両者が住む城の中間地点である。
織田家当主信長と斎藤家当主道三の会見。
この一大イベントに町の人々は不安を隠しきれなかった。斎藤道三といえば、蝮として恐れられる謀略家だ。その悪評は庶民にも知れ渡っている。
会見と称して信長様を暗殺するつもりでは。この会見で信長様に難癖をつけ尾張に攻め込むつもりでは。そんな噂が町にはびこっている。
当の道三はと言うと、予定よりもかなり早くから富田の町に入っていた。信長一行の行列を見てやろうという腹だ。
午前九時。とある空き家に、道三はいた。
あごひげを蓄えた、初老の男性だ。数人の家臣とともに町人の変装をしているが、感の鋭い者ならば彼が並の人間でないことはすぐにわかる。
斎藤道三。彼こそは油売りの身から、謀略ひとつで大国美濃を奪い取った稀代の策士だ。主人を殺して美濃を手にしたことから、蝮の道三と呼ばれている。当時、蝮は親の腹を喰い破り生まれると信じられていた。その蝮に例えられるほど、道三は悪名高い。
空き家のなかで、道三はあやしく口元を歪めた。
「準備にぬかりはないな?」
家臣のひとりが応える。
「はい。此度の会見のために連れてきた八〇〇人の家臣は、寺へと続く道に左右四〇〇人ずつ並べ、信長一行を待っております」
「屈強な我ら美濃武士たちに包囲された道で、信長一行は生きた心地がしないでしょう」
これは道三の国力誇示、信長への示威行為だ。
道三は満足げに頷いた。
「ふっ、ここで信長を牽制し、信長を意のままに操れるようになれば、尾張はわしのものになったも同然だ。内陸国である我が美濃には港がない。わしは港が欲しいのだ。尾張の知多半島、あそこは義元にはやらん、知多半島の利権はこの道三のものよ」
尾張の敵は東の今川だけではない。北の斎藤もまた、虎視眈眈と尾張を狙う牙を研いでいる。そのとき、空き家にひとりの家臣が駆けこんできた。
「きき、来ました! 信長一行があらわれました!」
家臣の慌てた様子に、道三は眉根を寄せた。
「何をそんなに慌てて……ん? ……なに!?」
馬蹄の音に道三が振り返ると、彼は絶句した。
軍勢。そう言ってしかるべき人数だった。
まず先頭。異様に長い、三間半柄(六・三メートル)の長槍を手にした兵が三〇〇人は列を成している。あれほど長い槍をどう使うのかは策士道三にもすぐにはわからなかった。しかし、インパクトだけは絶大だった。
それに続くのは騎兵隊。一目で名馬とわかる愛騎にまたがる男たちは、誰もが背に火縄銃を担いでいた。騎兵隊の大行列は続く。続く。まだ続く。その数およそ五〇〇騎。
大国美濃にすら、まだ火縄銃は一〇〇挺しかない。なのに信長は、その五倍もの火縄銃を所有しているのだ。道三の胸中は想像するに難くない。
そして、その騎兵隊に守られるようにして信長はいた。
なぜ信長とわかったかというと、信長の格好が噂通り過ぎたからだ。
うつけの信長は子供の頃からバカげた格好をして、まるで傾奇者だと道三は聞いている。果たして、信長のこのときの格好はと言うと、それはうつけたものだった。
マゲはてきとうにヒモで縛っただけ。
着ているのは正装ではなく湯帷子で、しかも片方の袖を脱いでいる。
湯帷子を止めるのは帯ではなく荒縄だ。
腰には大小の刀を挿して、ヒョウタンをいくつもぶら下げている。
そして袴はなんと虎革と豹革の半袴。左半分は虎革で右半分が豹革のツートンカラーだ。
騎兵隊の後ろには五〇〇人の弓隊、最後に二〇〇人の長槍隊。
ざっと見ただけでも、その数じつに一五〇〇人。義理の父へ会見に来た、というよりも、まるでこれから戦をするようだ。
こうなると、道三の策は裏目にでる。
正徳寺へ続く道の両脇には、道三の家臣を四〇〇人ずつ配置している。しかし、これでは信長たちに威光を見せつけるどころではない。むしろ、道三の家臣たちが信長の威光を見せつけられてしまうではないか。
このままでは家臣の士気にかかわる。だがどうする。いまから馬を飛ばして家臣たちに散るよう言うのか? なんと理由をつけて? どのみち信長の大軍が寺につけば、道三の家臣たちはいやでも信長の大軍と火縄銃を目にする。
国力のアピール合戦では、完全に道三の負けだった。
しかし道三は自身に言い聞かせる。いかに軍が立派でも、肝心の信長はあの身なり。信長はうつけに違いない。尾張を征服するのは容易い。
そう思えば、道三はすぐに普段の怜悧な頭脳を取り戻した。
「よし、では正徳寺に戻るぞ」
家臣を引き連れ、道三は空き家から出ると馬にまたがった。
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