第3話 国の収入源は年貢米? いいえ、商工業区からの税収です。
尾張国の南、知多半島。その常滑町に、信長と吉乃は馬を飛ばして来ていた。
旅籠に馬を預け、二人は町で逢引、平成風に言うならばデートをして楽しむ。
常滑町は人が溢れ、活気のある町だった。
戦国時代の尾張は、全国でも有数の焼物の産地だ。
まずは瀬戸焼。平成では陶器を瀬戸物というが、これは本来、陶器のブランド名だ。あまりに有名なため、いつしか瀬戸はブランド名ではなく陶器そのものを指す単語になった。
だが、その瀬戸と並ぶ超有名ブランドがある。それが知多半島で製造される常滑焼だ。
瀬戸焼と常滑焼。二大ブランドを押さえる尾張の陶器生産量は、全国でも一、二を争う。そのため、知多半島は尾張国内でも最大の商工業区だった。
信長と吉乃は、店で買った干し柿を食べながら町を歩いた。平成の人々が知る和菓子の多くは江戸時代にできたものだ。戦国時代にはお菓子の種類が少ない。柿などの果物は水菓子と呼ばれ、それこそお菓子感覚だった。だがいまは春。柿は売っていないので、干し柿だ。ただし、干し柿こそ戦国時代では一般的なお菓子である。
歩きながら食べるのはマナー違反だが、信長は気にしない。吉乃も、信長と一緒のとき以外は歩き食いなどしない。
「おっ、このかんざし良くね?」
「え、弟ちゃん?」
信長は、店頭に並ぶかんざしに目を止めた。一本手に取り、吉乃の髪に重ねてみる。
「やっぱいいな。おい姉ちゃん、これくれ」
「いらっしゃいませ信長様。いつもありがとうございますね」
幼い頃から悪ガキたちと町で遊び回っていた信長は、庶民にも広く顔を知られている。
信長が笑顔の可愛い看板娘にお金を払おうとすると、吉乃が眉をひそめる。
「弟ちゃん、先月も買ってもらったし、悪いよ」
「かたいこと言うなよ。かんざし一本の値段なんて刀や鎧に比べたらたいしたことないって。どうせ城のやつにも土産買うんだし、むしろ吉姉にもなにか買うのがスジだろ?」
「う~ん、弟ちゃんがいいならいいんだけど……」
吉乃の実家である生駒家は、油と灰を売る商家だ。灰は当時、染料の材料になった。吉乃は商家の娘として経済観念がしっかりしていて、無駄遣いは良くないと思っている。その反面、使うべき局面では使うべきとも思っている。まったくもって、素晴らしい金銭感覚だ。信長は、吉乃のそんなところも好きだった。
信長は釣銭をもらうと、すぐにかんざしを吉乃に手渡す。
「お、松風じゃん。おい姉ちゃん、松風ふたりぶん頼むぜ」
隣の店では、小麦粉を原料にした焼き菓子が売っていた。
信長は、財布からそのまま銅銭を取り出して売り子の女性に支払った。
吉乃と一緒に松風を食べながら、今度は陶器の店を見て回る。
信長が茶器マニアでコレクターだったことは、後世でもよく知られている。全国有数の陶器の産地、尾張の若様として育てば、当然のことなのかもしれない。
信長は常滑焼製品を眺めながら、目を子供のように輝かせる。
そんな信長を見て、吉乃も嬉しそうに笑う。
信長は気に入った小さな湯呑を三つほど購入した。
一見すると、信長は羽振りがいいように思える。とはいえ御大名様という身分を考えれば大した贅沢でもない。しかし、信長が大名のなかでも裕福というのも事実だ。
織田信長といえば、田舎の小国尾張からなりあがったイメージが強い。だが、どん底からなりあがったわけではない。
率直に言うと、織田家はとてもリッチな家なのだ。
まず戦国大名の主な収入源は年貢米だ。小国尾張の一年に獲れる米の量、石高は全国六六カ国のなかで大国美濃を押さえての第四位。五七万石という堂々たる石高だ。
尾張は面積こそ狭いが温暖な気候と肥沃な大地を持つため、作物がよく育つ。
加えて、この知多半島からの莫大な関税と冥加銭、平成でいうところの売上税もあった。
まだ商業が未発達なこの時代。よその大名は収入源を年貢米に頼っていたが、織田家には発達した超商工業区、知多半島がある。
農民からの大量の年貢米と、商人からの莫大な関税と売上税。この二輪走行で、織田家は全国有数のセレブ大名だった。その証拠に。
織田家は氷室を持っていて、信長は子供時代から冬のあいだに貯蔵した氷を夏に削り、果物の汁をかけて食べる『かき氷』で涼んでいた。
信長は十五歳の頃、最高級兵器火縄銃(一千万円以上)を近江の国友衆に五〇〇挺注文した。というエピソードが残っている。
他にも信長の父親である織田信秀は、神社には七〇〇貫文、朝廷には四〇〇〇貫文をポンと寄付している。これは平成ならば、数十億円もの大金だ。
もちろん、父信秀が死に、尾張がバラバラになったいま、信長には信秀ほどの経済力はない。と言っても、元が元だけにお金に不自由はなかった。
町でのデートを楽しんでから、信長と吉乃は港へと足を運ぶ。
港は町以上に活気があった。
大きな船舶がいくつも発着し、フンドシ姿の男たちは重そうな木箱を停泊中の船に積んでいく。少し身なりのいい男たちは商人だろう。
商品の確認をしたり、互いに何かを交渉したり、台帳に数字を書き込んでいる。
信長の父信秀は、多くの港を持っていた。
木曽川に面する勝幡、津島、二ノ江、鯏浦(うぐいうら)。この知多半島の港もそうだ。
船と陸とを往来する積荷の量に、信長は目を光らせる。
「ふふん。今期も関税収入に期待できそうだな」
「ふふ、弟ちゃんたら。でも、そうみたいね」
吉乃も信長のまねをして、あごに指を添え、キランと目を光らせる。
この時代、船の積荷には関税を課している。その関税収入は前述のとおり莫大だ。
記録によれば、かの上杉謙信は二つの港から、小国の国家予算規模の関税収入を得ていたという。しかし知多半島から得られる関税収入は、謙信の港を遥かに凌駕する。
吉乃は商人の娘なので、こうした話もすぐ通じる。吉乃のそんなところも、信長は大好きだった。帰蝶ならば経済の話をしても、喰いつきが悪い。お姫様である帰蝶にとって、お金や高級品は周囲がかってに貢いでくれるものなのだ。
「お前ら、よい商いをしているか!」
信長の声に、商人たちが顔をあげる。
「これはこれは信長様」
「おかげさまで、儲けさせていただいております」
信長の登場に、商人たちは破顔して挨拶をする。
織田家中で信長は人気がない。人望がない。信頼がない。だからこそ、父信秀が死ぬと親戚の誰もが手の平を返し、多くの家臣は親戚たちについてしまった。
信用できる味方はおらず、周りは敵ばかり。
いかにもな不幸主人公然とした信長だが、領民には好かれた。農民や商人や職人たちからすれば、威張ってばかりで乱暴な他の武士とは違い、気さくで庶民派の信長は親しみやすい。それに、商家の娘である吉乃との恋愛結婚は有名だ。
幼い頃から、町で子供たちのガキ大将として遊び、庶民の娘を見初めた信長は、領民たちにとっては期待の新当主なのだ。
そして好かれるからこそ、信長は笑顔の下、胸の奥で心を痛めていた……
しばらくして、信長と吉乃は、常滑焼を積んだ船が港から離れていく様を眺めた。
「ここはいい町だよなぁ、吉姉」
「ええ。行商人たちも、知多半島ほど栄えた商工業区は珍しいって言っているわ」
吉乃の実家は、行商人や旅芸人、浪人や旅の僧侶たちの宿屋も兼ねている。だから吉乃は、彼らから尾張国外の話をよく聞くのだ。
「でも、この知多半島を今川義元が狙っている」
「……ええ、その通りよ」
今川義元。この尾張の西に位置する、駿河、遠江、三河の三国を統べる大大名だ。その強さは、この時点ではまさしく戦国最強。
後世に名を残す武田信玄と上杉謙信も、この頃はまだ若造。それにひきかえ義元は、三万という大軍勢を動かせる一大勢力だった。
そんな掛け値なしの戦国最強がこの知多半島を狙っている。どういうことなのか。
信長は潮風に頬をなでられながら、表情を引き締めた。
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