第4話 ケーキのケーキは懐かしい味
「そういやクレア、また髪伸びたな。どこまで伸ばすんだ?」
「ふふんまあね。髪は女の命だもの。腰くらいまでは伸ばしたいわ。傷まないように日々気を使ってるのよこれでも」
赤髪を片手でさらりと流して自慢して見せるクレアを最初ブライアンは苦笑を交えて見ていたが、髪からいい香りが広がって、彼は何を考えたのか少し面白くなさそうにした。
「そういうの、兄貴とかの前でもすんの?」
「何で。しないわよ。馬鹿丸出しで恥ずかしいじゃない」
「……そっか俺の前でだけか、そっかそっかあー」
「何よ変なの。あ、そうだちょっと待ってて」
「うん?」
何だかホッとした様子の彼を置いて鏡台からある物を取って来ると、クレアは向かいの席には戻らずに彼の傍に立つ。
ふふんと自慢げに胸を張って持ってきた青い薔薇の髪飾りを付けてみせた。
「――これ、あなたからもらった髪飾り、覚えてる?」
贈ってくれた相手に得意満面で見せつける自分を正直どうよと思わなくもなかったが、ブライアンは一瞬僅かに目を瞠ってどこかむず痒いような顔になった。
「似合ってるよ。贈った甲斐があったってもんだな」
「でしょ!」
口元を綻ばせるクレアに釣られてかブライアンも微かに表情を和らげた。
「あ、そうだった。おじ様達に会いに行かないと駄目よね」
「まだいいよ。少しくらい遅くたって大丈夫だろ」
思い出して扉口へと踵を返しかけたクレアの腕を、身を乗り出したブライアンが掴んで引き留めた。
「え、そう? じゃあやっぱりお茶淹れるわね」
「いいよお茶も。こうやって普通に話してるだけで十分だって。久しぶりなんだしまったりしようぜ」
腕を引かれてクレアが大人しく体の向きを戻すとブライアンも手を離した。その際掌に目が行く。
(ブライアン手、マメが沢山……。それだけ一生懸命に鍛練してるのね)
骨ばった見た目もだし、その手の大きさに自分との差も感じた。
ブライアンはクレアの知らない場所と人の中でどんどん大人になって行く。
夢に向かって先に行ってしまう。
クレアは父親にも言い出せず、まだまだ水面下で足掻いているだけなのに。
そう思ったら急に焦りのようなものが込み上げて、チクリと微かに胸が痛んだ。
「ずるい……」
「はい?」
「何かずるいわよ。自分だけ鍛えてカッコよくなってて。あたしも鍛えてカッコよくなりたーい! あたしがマッチョになるまでそこで首を洗って待ってなさいよ」
「何だよそれ。ははっめちゃくちゃだな」
「わーらーうーなーっ、あたしは真面目に話してんの!」
何が誰がずるいのか自分でもわからないまま、クレアは半分爆発して半分不貞腐れてブライアンの両頬をつねった。
予期せず過去視が発動した点も、頭の混乱に拍車をかけていた。
「ほいはひはひゃへほっへ!」
「何言ってるかわかりませんよーだ」
「ほひゃへひゃ~」
抵抗したブライアンにあっさり両手首を掴まれる。
彼は唇をアヒルにして我慢顔のクレアを見据え嘆息を漏らした。
「はいはいクレア、深呼吸~」
昔なら即喧嘩に発展していただろうが、そうはならなかった。
特に最近のブライアンの態度の軟化には少し戸惑うものがある。
(何か誰よあなたって感じだし、一人でどこかに行っちゃうみたいじゃない)
「どうした? 話なら聞くぞ?」
「え、何よ急に……」
「俺がずるいとか、そう言うんじゃないだろ。不安に思ってることあんなら言ってくれ」
「……」
言われるままに深呼吸をしたクレアは握っていた拳から力を抜いた。指を開けば気付いたブライアンもそっと手を離す。
「ああもう駄目駄目ねあたし。帰って来て早々ホントにごめん。八つ当たりだわこれじゃ。確実に成長してるあなたが眩しくて置いてかれるみたいで、嫉妬しちゃったみたい」
クレアが魔法の勉強をしていると、この家の誰も知らない。
勿論ブライアンも。
クレアは魔法の知識をもっともっと深めていきたい。
しかし町の図書館の蔵書にも限りがあり、このままでは知識の習得に限界が来てしまうという頭打ち感をこの頃ではよく感じていた。
突破口を欲するのに未だ見出せない不安や悩みを誰にどう相談すればいいのか皆目わからない。
かと言って父親だけには切り出せない。
家族の情と将来の夢の狭間で足元がおぼつかない。
決して詳細を語らず、少し自嘲気味に表情を曇らせるクレアへ、ブライアンは静かな表情で口を開いた。
「俺に嫉妬か。ふっはっはっ、俺も大層な身分になったもんだぜ」
「ちょっと! こっちは真剣に悩んでるのに!」
「――ま、俺はクレアが眩しいけどな?」
「は。あたし、が……?」
「ああ。いつも何事にも真剣に前向きに頑張ってる」
その言葉は本心からなのだろう。偽りのない彼の柔らかに細められた青い瞳に自分はそう映っているのかと思えば、クレアは何だか少し慰められた。
「いつもマイペースでこれでもかって胸張ってるとことか、ホンット羨ましいなあ~」
「んなっそれって自己中って意味じゃないの!」
「当人の解釈次第だろ」
「んもうっ」
感動も台無しだ。
「ははは、やっぱクレアは怒った顔がクレアって感じだよな」
「何それ失礼ね!」
しばらく笑いを止めないブライアンをクレアは睨んだ。
「ははは、はは、クレア」
「何よ」
「――誕生日おめでと」
全く予想外の言葉に声が詰まる。
瞠目する。
「何も贈り物はないけどな」
屈託なく笑んだまま、彼は眉をちょっと申し訳なさそうに下げた。
贈り物はないと言っても、彼は王都で人気のスイーツを買ってきてくれたのに敢えて手土産だと言って寄越した。
ブライアンのクレアを喜ばせたいという気持ちと、クレアが負担なく受け取れる気持ちの妥協点を上手く見出したのだ。それくらいはクレアにだってわかる。
「贈り物は十分もらってるわ。こうして息を切らして駆け付けてくれて祝ってくれる気持ちがそれ。だから今日は最高の誕生日よ。本当にありがとうブライアン」
心のままにクレアはにへっと相好を崩した。
悩みはまだブライアンにも打ち明けられない。でも元気付けてくれた気遣いには大感謝だ。
嬉しくてすっかり気を許した無垢なはにかみに、そんなクレアを間近に、どうしたのか彼は弾かれたように顔を逸らすと慌てて立ち上がった。
「そっそろそろ本当に親父達の顔見に行かないとっ。寝そうだから!」
「あ、うん、そうだよね」
何故かどこかぎこちないブライアンに内心で首を捻りつつ部屋から送り出すものの、
「お休みなさいブライアン」
「お、お休みクレア!」
就寝の挨拶もそこそこに耳を赤くして急ぎ足で廊下を去っていく背中をキョトンと見送ってしまった。
一体彼はどうしたのか知らないが、再び部屋に一人になったクレアは鏡台前に座って一息ついた。
「はあ、嬉しい反面、何て日なのよ。二度も変な現象が起きたし。しかもブライアンには感知できなかったみたいだし」
限りなく白昼夢のようでいて、決してそれではない。
クレアの中では、二度目でより色濃くなった仮説がある。
あれは、時間の魔法の一種だと。
「具体的に詳しくは終ぞ誰も教えてくれなかったけど、母様の魔法も確か時間に関係するって聞いたことがあるわ……」
魔法使いは大半が血筋で生まれるが、果たして魔法の傾向までが遺伝するものだろうか。
クレアの知る限り親子でもその特性はてんでバラバラだ。
親が水魔法系、子が火魔法系、或いは親が風魔法系、子が水魔法系が得意だったりとまちまちな母方の親戚連中がいい例だった。
だからクレアも魔法の才の種類はランダムで、天与のものなのだろうと思っていたのだが……。
クレアは自身の両手を見つめ下ろした。
「まあそりゃ何事も例外はあるのかもね。あたし、念のためもう一度魔力の有無を調べた方がいいのかも。でも、もしあったら……」
一度ぎゅっと拳を握って深呼吸し、ゆっくり開くと少しは気分も落ち着いた。
鏡台の上に外した髪飾りともらったお菓子の箱の二つを並べ、彼女は不安げな、けれど贈り手を思い出せばちょっぴり和んだ顔でそれらを見下ろすのだった。
「うーんでもまあ、二度ある事は三度あるって言うし、まずはやってみるしかないよねえ」
ブライアンが去り一人になった部屋の中、しばらくあーでもないこーでもないと悩んでいたクレアはそれでは埒が明かないと腹を括った。
つまりは、もう一度過去視を試してみようと決意した。
「折角の魔法の可能性を前に、闇雲に怖がってベッドの中で震えてるなんてナンセンスだし、女は度胸よ」
度胸に男も女もないがクレアは両手を握って自身を鼓舞すると、青薔薇の髪飾りへと手を伸ばす。
(お願い過去を
念じると逆回りの時計魔法陣――逆行時計陣と呼ぶことにした――が出現し、彼女の意思に従うようにして過去の光景が現れる。
「わっ出た!」
先程同様初めは上へと景色が流れ、次の瞬間クレアは町の雑貨店の喧騒に佇んでいた。
偶然にも今よりも若い級友の女子達が気に入った商品を手に取って互いに意見を交わし合っている場面だった。彼女達の外見から、時期的にはブライアンが髪飾りを買った数年前と同じ辺りだろうかと見当を付けた。
「もうこれは、あたしが念じればできるって思っていいわよね。ところで、小物以外でも視れるのかしら」
驚き感動すらしながらも情報を幾らか得られたと実感するクレアは、自らの疑問に従い次は鏡台の過去で試してみた。
「……へえ、この鏡台昔は違う屋敷にあったのね。今度それとなくおば様に訊いてみなくちゃ」
十中八九過去視だと思ってはいるものの、十中十の確信を得ない限りクレアはきちんと事実を裏付ける必要性を感じている。
これが万一まやかしの類だったなら、鵜呑みにするのはとても危険だからだ。
その後もクレアは室内の他の物で試した。
「やっぱあたし魔力があるわよね? ただ……達人でもないのに魔法陣が呪文なしに出て来るのは不思議極まりないけど。うーんもしかしてあたしってすっごいレアな才能の持ち主だったりして?」
と、ここまで言った所で「なーんてね」と溜息と共に言葉を打ち消した。
そんな都合の良い話があるわけがないのだ。
「もしそうならとっくに国から目を付けられて……いやいや目を掛けられてるに決まってるもの」
それにだ、一応今さっきも試してはみたが、他の一般的な魔法は初歩的なものさえ一切使えなかった。
「自分が謎だわ。はあもー、過去を視るのって魔法とは違うの? でもどう考えたって魔法よね。けど私は魔力がないって判定されたんだしやっぱり魔法じゃない? それか、通常の魔法とは働きの基本が違うのかも」
うーむと唸り悩むクレアは、しばしそうやって眉間にしわを刻んだものの、一息吐いて顔を上げた。その表情は思いのほか明るく前向きだ。
「まっ、とりあえず今は魔力云々は置いとこう。もう一回きちんと検査すればわかるもの。これ以上は頭がこんがらがるだけよね」
不安以上に好奇心の勝るクレアが過去視を続けると、予想以上に様々な発見があった。
その一つが同じ物でも視る度に景色は異なるという点だ。
「明確な過去の座標をイメージしないと、ランダムな過去を視るみたい」
試しに「いつ」と過去時間を指定して念じると、その場面が現れた。
おまけに、その同じ光景を何度も見られた。
更に、対象物が運ばれたこともない場所での過去は視えないし、それがそれとして完成しそこに存在していなかった時間は、視るのは無理なようだった。
「過去視としては理に適った限界よね」
学校で使用している自らの筆記具から手を放し、クレアは勉強机に寄り掛かる。
筆記具からは学校の中や売られていた文房具店の光景などが視えた。
しかし筆記具を構成する各部品が各部品だった頃、或いは原材料だった頃の光景はやはり見えなかった。
「物にも魂が宿るって考え方もあるし、そういうことなのかも。それに何度やっても疲労も痛みもないし。あたしを木に吊るしたりした親戚の子は、魔法を使った反動で座り込むほど疲れてたのに、おかしなの」
疲れるならしなければいいのに、と幼いながらも平然と木に吊るされながらクレアは思ったものだった。
クレアの見立てが合っているなら、それはそれで過去視とは何物なのかと謎が深まるが、もしも魔法なら魔法的消耗という点で常識から外れている。ともあれ、二転三転したもののこれは魔法ではないのかもしれないとの思いが強まった。
多くの場合魔法の代償は術者自身の魔力や体力の消耗、魔法の強さや規模によっては寿命を縮める。
そう、普通は何らかの代償がいる。
失念していたその考えに思い至ったクレアの顔からザッと血の気が引いた。
「まさか、もう何らかの代償は支払われてる……とか?」
これが真実魔法なら、自分はもう何度と使ってしまっている。
体が竦んだ。
「時間に関わる代償なら老いるとか若返るとかだったり?」
クレアは焦って鏡台前に走ると鏡を覗き込む。
「……よ、良かった。小さくなってもないし、しわしわになってもない」
鏡の中の自分を確認すれば、安堵の息が漏れた。しかし依然肝は冷えたままだ。
生まれて初めて感じた未知への畏怖に小さく震える指先をぎゅっと握り込んだ。
否が応にも病床の母親の姿が脳裏を過ぎる。
(過去視が何なのか確定していない以上、あたしも不用意に使い過ぎると、母様みたいになるかもしれないんだわ)
母親の次には父親の姿が浮かんできて、浮かんだ姿は葬儀の日に妻の墓前で悲しみに暮れる丸まった背中だった。けれど父親はあの日以来クレアの前で取り乱す姿を見せたことはない。
きっとその気丈はクレアのためだ。
「お父さん……」
力なく鏡台前に座り込むと、その夜はもう試すのを止めた。
翌日の午前中、クレアは父親と電話で話した。
忙しい中でも父親はドタキャンを気に病んでいたようで昨日の今日でもウィンストンの屋敷にかけて寄越したのだ。
プレゼントを送ったからと言った彼にクレアは正直に護身用の首飾りが壊れたと伝えた。
『な、んだって……!? 壊れた!?』
『あ、壊れたって言っても粉砕したわけじゃなく、エメラルドにヒビが入っちゃったの。ほら、四年ごとに新しい物に替えてたでしょ。だから効力が切れると壊れる仕様だったり……はしないか。ごめんなさいお父さん、壊しちゃって』
『いや、故意にではないのだから気にするでないよ。ところでクレア……何も変な事は起きてはないね?』
『えっ……』
内心びっくりしたのは否めない。
まるで父親は昨夜の時計陣の事を察知したかのように勘が良い。
『な、ななな何もないよ。ウィンストン家の皆にわいわい祝ってもらって楽しんだから、心配しないでお仕事してね!』
『……』
『ね!』
『……そうか、そうなら良いのだけどね』
妙な沈黙にはヒヤヒヤしたが、父親は疑いを持たなかったようで特に何も追って訊いてはこなかったのでホッとしたものだ。
ただ、彼はプレゼントには別の何かを選び直させてほしいとリクエストしてきた。発送してしまった物は必ずしも身に着けなくていいとも。
何故と問えば、魔法具の能力を超えて壊れるくらいクレアが強くなったのでもう必要ないのだとか。どこか言い訳染みた理由だなとは感じたものの、クレアはクレアで蒸し返されたくない話があったので、スムーズに次の話題へと流した。
もしも何かあれば本当に遠慮せずに連絡をしなさいといつになく念を押す父親は、会話の最後にいつもと同じく昨日と同じく大好きな低めの耳に落ち着く声でこう言った。
『愛しているよ、クレア』
それだけで、すっかり赦してしまうクレアは自分で自分が甘い娘だなと思う。けれど今はそれでいいのだろう。
午後は午後で、クレアと帰郷したウィンストン兄弟二人はブライアンの希望でオネエパティシエの営むケーキ店を訪れていた。
上着の下に白衣のままで帰って来たニコラス同様に、着替える時間も惜しんで急いだせいか、昨日は王国の軍服とほぼ同じデザインの騎士学校の黒い制服姿だったブライアンは、今日はそこらの男性が着ているような襟のあるシャツにロングパンツに短ブーツ姿とラフだ。色合いは全て暗色系で纏められている。
(元から黒っぽい服はよく着てたけど、それでも何かブライアンじゃないみたい。まあ似合ってるのは間違いないけど)
一方のニコラスは小脇に本を抱えれば文学青年のような清潔感あふれる白いブラウス姿で、革靴の上にはベージュに近い色の細身のピンクパンツという弟とは対照的な明るい色を着こなしている。
(同じ白でも白衣とはまた違った趣があるわね。それに知らなかったピンク系も案外似合うんだ。これはこれで中々)
そんな自由な服装の兄弟とは違い、二人へと密かなチェックを入れていたクレアは、きっちりもきっちりと学校の制服を着用している。
何故なら今日は平日なので、普通に学校があったのだ。
二人とは学校帰りに待ち合わせていた。
ケーキ店に設けられた小さな飲食スペースで、三人はそれぞれ注文したスイーツを頬張った。
「ブライアンはホントよく食べるなあ」
「同感。あっという間に二皿完食って……」
「いやー成長期だからかすぐに腹が空くんだよな」
ニコラスとクレアが呆気に取られる傍では、当の本人が三皿目のケーキの他、別の皿に盛られたシュークリームをパク付いている。
「それに王都に戻ったらしばらく食えないし今日満足いくまで食っておかないとって思って。相変わらずここのケーキは美味いよな。ついつい食い過ぎる」
ブライアンがもぐもぐとひたすら飲食に集中するのは、店の奥からちらちらとこちらを覗く店主の気配をひしひしと感じ取っているからに他ならない。
どうにも視線を流し切れず半ば強迫観念に駆られるように食事に逃げている。ヘッドロックされたトラウマは消えないらしかった。
ロックオンされているのはニコラスだが、そんな当人は敢えて黙殺しているという感じでもなくまるで端から気付いてもいないのか、終始美味しいケーキにニコニコとしていた。
兄弟の違いを半ば感心して眺めつつ、クレアもケーキを口に運ぶ。
「美味し」
ここのケーキは本当に格別だ。
わざわざ遠くから買いに来る客もいるらしいが、気の毒にも作り手を見て卒倒したなんて話も聞く。
(でもブライアンが気に入っている理由は、単に美味しさだけじゃないのよね)
『昔食べたお袋のケーキととにかく味が似ててっつか一緒で、懐かしいんだよな』
前にそう言っていた。
『お袋がケーキを焼くと森からその匂いを嗅ぎつけて狐だか狸だかの動物までやってくるくらい、来客や屋敷の皆にも大好評だったんだ。屋敷のコックがお袋に頼んで習う程だった。まあ、結局誰も味の再現はできなかったけどな』
知らない人が聞けば母自慢かと思われるだろうが、ブライアンは他意なく彼の感じたままを語ったのだろう。
そんな伯爵夫人シシーは、今はもうお菓子を作らない。
クレアはシシーのケーキを食べた事はないが、ここの味とそう変わらないのなら結構な腕前だったに違いなかった。
彼女が作らない理由は知らないがもう味わえないのを残念に思いながらも、クレアの思考の大半は別の所をぐるぐるしていた。
(ケーキより何より、あたしはどうすればいいんだろう)
魔力検査は受ける。
ラクレア王国には地域ごとに王国直属の魔法機関が設けられていて、この町にも当然その機関はある。
広い世の中、検査時の不備で後々魔力持ちだと発覚するケースも極々稀にはあるという。もしかしたらそのケースかもしれないのだ。
因みに検査逃れは重罪に問われるので、滅多に行う者はいない。
問題は、地元ウィーズで誰かに見られれば、すぐに噂になるだろう点だ。
クレアとしては余計な勘繰りを受けたくないし、伯爵達に要らない負担を掛けたくなかった。
(地元の誰にも知られずに済む方法は、やっぱり王都よね)
隣町では近い。離れた場所が最適だが全く知らない土地よりはおぼろげながらも記憶にある王都で受ける方が無難だろう。
(もし魔力があったら、魔法学校に通わないといけない?)
大なり小なり魔力を持つ者は王国中から王都の魔法学校に集められ教育を受けるようになっている。
生まれて半年や一年で魔力検査を実施しているのは、人数の把握、魔法使いの管理に加えそういう教育計画的な側面も含まれていた。
(でも、そうなったらお父さんにどう言えば……)
気の早い自分の思考に没頭していたクレアは、手にしたフォークで皿の上のケーキを無駄に細かく切り分けていたのに気付いて慌てた。こんな粗末な扱い……オネエ店主に見られたらヤバい。
店主はスイーツを神格化さえして崇める程のお菓子好き。
だが、不運かな、手遅れだった。
「ちょお~っとぉ~クレア~? こんなにして、ちゃんと残さず食すんでしょうねえええ~?」
クレアは大きく上下にビクッと肩を震わせて、おどろおどろしい声にそろりと視線を上げた。
店主がすぐ傍に、居た。
「ご、ごきげんよう麗しのケーキさん、ももも勿論バッチリ食べますよーっ。あはは、あはは」
大きな身を屈め、クレアへ迫力満点で迫るご機嫌斜めなマッチョパティシエ。
近付けられた顔同士はまさにキスしそうな至近距離。
クレアの心臓はドキドキ最高潮だがトキメキなんて全く微塵も生まれはしない。
右から左からメンチを切った顔を覗き込むように近付けられて、一層引き攣った笑みを浮かべるしかない。
しかしながら「麗しの」という呼び掛けが功を奏したのか、店主ケーキは満更でもない顔になって凄んで近付けていた身を引いた。
「あら~んきちんと完食してくれるなら全然いいのよ~? うふふふ」
「あ、あはは……はは……」
上機嫌にウィンクされたクレアは半笑いするしかなかった。
「こ、こええー、なに自殺行為やってんだクレアは」
「どうしたんだろうねえ?」
蒼白になったブライアンが怯えたように、ニコラスがのほほんと呟いた。
店を出ると、ブライアンは走り込みするだとかでクレア達とは別れた。その際にニコラスに何かを告げていたが兄弟間の会話だろうとクレアは特に気にしなかった。
それよりも走る動機が「一日怠ければ三日は体戻すのに掛かるからな」だったので、さすがは筋肉バカ集団かもしれない騎士学校生だとクレアは思った。
どこをどう走るつもりなのか石畳を駆けていく後ろ姿を見送ってニコラスと二人で歩き出す。
「軍隊式はすごいね。午前中もずっと運動していたのによく体力続くなあ」
「えっ午前中も!? 折角の休暇なのにずっと筋トレ!?」
からからと明るく弟を褒める兄へと、クレアは仰天した。
(やっぱり脳筋族濃厚!)
騎士学校と言っても格式高いわけではなく、生徒の出身は貴族も平民もいる。加えてその訓練の実情は泥臭い。
粛々と主人に跪いて剣を捧げるなんて姫と騎士の物語のようなロマンスも厳かな雰囲気もなく、野宿や実戦さながらの実技を日常的にこなしていると聞く。座学で騎士道精神は一通り学ぶそうだが、一日中乗馬漬けや剣術体術の練習漬けなんて日も珍しくないようで、更には銃剣や大砲の扱いだって習うらしかった。
物語に出てくるような凛々しい騎士を目指すと言うより、国防のために雄々しく戦える将官になるのを目標に学生達は日々一律に厳しい訓練に励んでいるのだ。
そんな専門的な経験値故に、卒業すれば大半が王国軍の士官として入隊するので、見方によっては軍人の卵、要は軍の一番下っ端と言えなくもなかった。
現に過去の有事の際には学生が戦場へと駆り出された記録も残っている。
そういう万一を想定もして、制服は実戦時に違和感や不慣れから来る動き辛さを感じないように王国軍の正式な紺の軍服の色違いなのだろう。
また、この時代に「騎士」は特別に王族警護に就いた要員にしか使わないにもかかわらず士官学校ではなく「騎士学校」などと仰々しい名を冠しているのは、単なる生徒集めのためだ。
実際、学校名に憧れて入学する生徒は多い。
ブライアンから聞いて授業内容は知っていたクレアだったが、改めて苛酷さを想像すれば、自分にはそっち方向で頑張るのは到底無理だと、幼馴染みへの今まで以上の称賛を胸にした。
その後、屋敷までの道すがら、クレアは味わったスイーツの感想なんかをニコラスと語り合いながらも、依然別の所では懸念事項を悶々と考え込んでいた。
(いつ調べよう。早い方がいいけど学校もあるし無理な日程は組みたくない。しかも不自然には思われないように……となると、夏期休暇が無難かなあ)
「ねえ、兄様達は明日王都に戻って、また夏期休暇に帰ってくるのよね?」
「うん、その予定だね」
「そっか」
夏期休暇が始まってすぐは入れ違うようにクレアが王都に行くので、帰郷した二人はがっかりするだろうか。
「クレア」
「うん?」
「何か隠しているんじゃない? それもすごく重要なことを」
「……」
クレアはぎくりとした。ブライアンもだけれどニコラスも鋭いところがある。彼は見定めるようにじーっと見つめてくる。目を泳がせても彼はそれがどうしたとばかりに目力を緩めない。微笑みさえするのでクレアは余計に圧を感じた。
葛藤しているのを頑なさだと思ったのかもしれない。ニコラスは小さく溜息をついた。
「実はさっきね、ブライアンから何かを悩んでるんだろうクレアを気に掛けてほしいって言われたんだよ。さっきも食べながらぼーっとしていただろう。僕も気にはなってたんだ。良ければ相談に乗るよ?」
「ええと……」
これはトボケても無駄。変に隠そうとする方が逆に怪しまれるとクレアは腹を括った。
「あのね、実はちょっと夏期休暇を利用して王都に遊びに行こうかなって思ってて……」
「王都に?」
クレアが首肯するとニコラスは意外そうに瞬いた。
「クレアは王都が嫌いなのかと思ってた」
「嫌いってわけじゃないわ。諸々複雑に思うところはあるけどね」
「ならどうして隠そうとしたの?」
本当の理由は告げられないものの、隠した理由は一つではなく、クレアはその中でも二番目の理由を口にする。
「……もしもお父さんに知られたら気まずいから」
ニコラスは納得したようだった。
この町に来てからクレアは一度として王都へは行っていない。級友から流行りの服を買いに行こうと誘われても断っていた。
極論だが、魔法使いが多く住み魔法都市とも言える王都に足を踏み入れるのは魔法と関わるも同じで、父親が心配すると思えばどうしても気が進まなかったのだ。
「わかった。なら僕が王都を案内するよ」
「えっそれは駄目! 兄様の帰郷が遅くなったら屋敷の皆がっかりするもの。特におじ様おば様がいつもどれだけ楽しみに待ってるか知らないでしょ」
「だけどおじさんに知られたくないんだろう? 迷ったらそれこそ連絡が行ってしまうよ」
「そ、れはそうだけど……」
「なーんてね。折角の機会だし僕がそうしたいんだよ。クレアと王都歩きをしたら楽しいだろうな。それに泊まる所もいい所を知ってるし、食事やスイーツも美味しいお勧めのお店を紹介できるよ」
「美味しいお店……」
クレアはじゅるりと涎が垂れそうになる。王都には美味しいものがとても多いのだ。スイーツなどのトレンドはほとんど王都が発信点だ。だからこそ町の友人達も王都に行きたがる。
ニコラスの誘惑に、クレアは暫し悩んだ末に折れた。
「んんんーーーー……わかったわ。じゃあ兄様、その時は宜しくお願いします。だけど帰郷が少し遅くなるけど本当にいいの?」
「不慣れなクレアがいるって知ってて王都に置いていく方が気掛かりだし、両親だってそれを知ったら絶対怒るはず」
「おじ様達が? あははまさか~」
「いや、冗談じゃないんだけど。きっと弟だってすごく心配するよ」
「……兄様、過保護って知ってる?」
「勿論。クレアを護るには過保護って言葉でも表現が足りないなあって日々思ってるよ」
「はあ……あたしは五歳の子供じゃないわよ兄様」
少し呆れるクレアだが、元気が出たのは確かだ。一人じゃない。
「ニック兄様、気にしてくれてありがとう。ブライアンにもね」
気付けば立ち止まっていたクレアはニコラスを促して再び並んで歩き始める。
「あ、どうせならブライアンに負けないようにあたし達も走って帰る? 兄様細いからもっと鍛えなきゃ」
冗談交じりにパシパシと二の腕辺りを軽く叩けば、ニコラスは何故だか目と眉の間隔を狭めて不満顔になった。
「こらこら失礼な。こう見えて普段は結構フィールドワークで足腰は鍛えられているんだよ。場所によっては野宿したりもするから体作りもしているし」
「えっ山とか森とか行くの? 獣が出るのに危ないわよ」
「そう、山とか森とか行くんだよ。獣対策はきちんとしていくから平気平気」
何となく用意ドンで走るポーズを取っていたクレアはすんなり体勢を戻す。
端から本気ではなかったし、ニコラスは予想外にもちゃんと鍛えているらしい。
「ふふっ実は脱ぐと凄いんだよ? 見たい?」
上体をやや傾けるようにして覗き込んでくるや、お茶目というより色気満点の笑みを浮かべる年上の幼馴染みに、クレアは残念至極な目を向けた。
クレアの友人達かこの場に居たなら、くらりときて道端に倒れ込んでいたに違いなかった。
「兄様って、案外面倒なタイプよねー……」
「うん?」
疑問符を浮かべるニコラスへ曖昧に笑って返し、クレアはさっさと「屋敷に棲みつく小動物の現状」へと話題を転換した。
その他、地元の近況などを話しながら二人でゆっくりと屋敷への道を進む。
町の中心部を抜け家屋が疎らになった石畳の先には、もう蜂蜜色の屋敷が見えていた。
話が途切れ、のんびりと空を見上げながら歩く。
こうして家族同然の親しき相手と並んでいても、黙ってしまえば頭を占めるのはどうしたって当面の悩みだ。解決しないうちはやはり頭から出てはいかないのだ。
「クレア」
我知らず顔を曇らせる横で、ニコラスがふとクレアの名を呼んだ。
「はい?」
顔と視線を動かして横のニコラスからの続きを待つ。
「悩んで迷ってもう一人じゃ無理っていう時は僕を頼ってくれよ?」
「うん? ええわかったわ。王都で財布失くしたりしたら兄様をあてにする」
「財布? ……ああ、その話」
「他にどこの話があるの?」
「ええと、いや、そう、財布の、スリには気を付けてって思って」
「ふうん? うん気を付けるわ」
不思議そうに見つめるクレアの方を見て、ニコラスは微苦笑を浮かべた。
(王都の観光ガイドは兄様にしてもらうけど、魔力測定に行く時はあたし一人で行かなくちゃね)
当然、ニコラスに付いて来られては魔法機関になど立ち寄れない。
ただ、万一見られても彼は決して無理には干渉してこないだろうとクレアはそう思う。
逆を言えばクレアがその手を欲した時はとことん付き合ってくれるだろう。
一人っ子のクレアなのでこんな兄を持つブライアンが羨ましかった。
「ふふっ、ニック兄様が本当に家族だったらいいのにな~あ」
スキップでやや先を行くと、ささやかな吐息と共に声が返される。
「クレアが望むならきっとそうなれるよ」
「そう? じゃあ今から兄様はあたしの本当の兄様ね!」
ほんの一瞬間が空いて、ニコラスは目を伏せるようにして口元を笑ませた。
「
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