第百七世 心残り

「……うっ」


 真夜中、口内を満たす強烈な苦みに目を覚ました。

 気怠さを感じながらも体を起こし頭を掻きながら辺りを見回す、もう何度も見た俺と墨白の部屋だ。


「分かってたけど……強烈だなぁ」


 歯の裏に僅かにこびり付いていた小型カプセルの破片を舌で剥がし、残っていた苦みに顔をしかめながら飲み込む。

 さぁ時間もあるわけでは無いし、水でも飲んだら早速……そう思いベッドから降りようとした矢先に腰で組まれた甘い拘束を外すのを惜しく思ってしまう、拘束の主でもある愛しの彼女の髪を優しく撫でるが身じろぎすらする気配は無い、今日は随分と飲んでいたようだし無理も無いだろう。


「墨白さん、ちょっとトイレ行ってくるね」


 聞こえている訳ではない、ましてや起きている訳でもないのだが寝ている彼女にそう声をかけるといつも手を離してくれる、その代わり戻るとまた無意識で拘束されるのだが。

 その経験通り彼女の手はそっと離れ代わりに俺が使っていた枕を軽く掴んだ、そんな光景に笑みをこぼしながらベッドを降り乱れた布団を直す。

 そのまま音を立てないようにそっと部屋を出て細心の注意をはらいながら扉を閉め、そこでようやく呼吸が出来るようになる。


「……ふぅ、ごめん墨白さん」


 ぼそりと謝罪の言葉を口にし、部屋の中と比べるとややひんやりとした空気で肺を満たすと少し離れた位置にある目的の部屋まで歩を進める、すぐに辿り着いたその部屋の前で片手を上げて少し考え……ノックはせずにドアノブに手をかけ扉を開いた。


「……ちゃんと起きられたみたいね、偉いわよ」


「口の中が苦みのお祭り状態だけどね……この水もらうよ」


「好きなだけどうぞ、やっぱりすっぱい方がよかったんじゃない?」


「……すっぱいの嫌い、言わなくても知ってるでしょ」


「ふふっ、ええもちろん」


 愉快そうに口に手を当てて笑うのは部屋の主、風重かざねだ。

 彼女の部屋には魔具関連で何度も訪れているのでどこに何があるかもはや慣れたものだ、そういえば結局他の皆の部屋には行く機会が無かったのでどんな内装なのか知らないな……一度見てみたいものだ、出来ればバラバラになる前に。


「ああそうだ、水と一緒にこれも飲んでくれる?」


「? 分かった」


 水差しからグラスに移した水に口をつけようとしたところで風重が一錠の小さな薬を差し出した、その緑色の錠剤を受け取り口に放り入れると水で一気に流し込む。


「……」


「どうしたの?」


 グラスの水を飲み干しお盆の上に戻すと風重が怪訝な顔をしている事に気が付いた、何かおかしかっただろうか?


「……いえ、今更だけど何の薬か聞く前に飲むのは危ないから止めておいた方がいいわよ? 渡された薬が毒とかだったらどうするのよ」


「俺だって何でもかんでも飲む訳じゃないよ、風重さんを信じてるから飲んだんだしさ? もしこれが毒なら、今俺は毒を飲む必要があったんだろうなぁって思うだけさ」


「はぁ……そう言われて喜んじゃうから私は駄目なのかもしれないわね」


 風重がこれ見よがしに溜息をついてみせる、彼女のこういう内心で思っている事をすぐに口に出すところが好きだ。


「あはは、それでこの薬は何だったの?」


「すぐに分かるわ」


「そうなの? それなら……おお?」


 そんな事を話している内に吐く息と一緒に青と緑が混ざったような色をした薄い煙のようなものが出始めた、それは呼吸と共に数度噴出しすぐに出なくなった。


「……今の何?」


「ふふ、だから薬は効果を聞いてから飲みなさいって言ったでしょう? 今貴方の口から出たのはお酒のアルコールよ、貴方後半は気化ストローで飲んでたけど最初の数杯は普通に飲んでたでしょう?」


 確かに……言われてみれば頭の奥に残った酔いのようなものが無くなり、スッキリしている気がする。


「……現実世界にこの薬があったら、それだけでお金持ちになれそう」


「噓でしょ……そうなの?」


 大真面目に頷くと風重は目を見開いて驚いていた、酒でのトラブルが無くなるだけでもあの世界は少しはマシになりそうな気がする。


「まぁその話は今度するとして……準備はいい?」


 風重の言葉に心臓が高鳴り生唾を飲み込む、覚悟はしていたしやめる気なんてさらさら無いがいざその時だと思うとどうしても緊張してしまう。

 ベッドまで移動しようとしてふと風重の机の上にある物が目に留まった……いや、机の上にある物と『目が合った』と言うべきか。


「それが……言ってたやつ?」


「ええそうよ、これが生体義眼……私の目に使われている物と同じ物よ」


 机の上にあった円筒状の容器を持ち上げて見せてくれた、内部が液体で満たされた筒状の容器の中には綺麗な眼球が一つ僅かに浮いたり沈んだりを繰り返している。


「風重さんとお揃いか……それもいいね」


 軽口を叩いてベッドに横になる、あのまま眼球を見ていると臆病風に吹かれかねない。


「出来るまでどれくらいかかりそう?」


「繋げるだけだもの、殆どかからないわよ」


 そうか……それならせめて心くらいは静めておこう、そう思い目を閉じるとすぐに風重が何やら作業する音が聞こえてきた、それはまるで子守唄のように俺の頭の中で響き段々と体から力が抜けるのを感じる。




「準備出来たわよ」


 ハッとして目を見開く、視線を横にずらすとこちらを覗き込む風重の姿が目に入った。


「……ごめん、寝てたみたい」


「知ってる、可愛い寝息が聞こえてたもの」


 やってしまった……頭を掻きながら再び風重に視線を向けると、ある彼女の変化に気が付いた。


「あ……それ、この前のやつ?」


「良かった、もし気が付かなかったらどうしてやろうかと思ってた」


 彼女の目元を彩る紅化粧、イメージで選んだその赤い色は彼女の魅力的な印象を更に色濃くするものだった、そんな風重に見惚れていると彼女の四肢がゆっくりとベッドの上に移動し俺を押し倒す形で覆い被さった。

 重力に従い垂れ下がった髪の作り出す暗闇が彼女の赤く光る目元を強調し妖艶な雰囲気を醸しだす、そのあまりの魅力につい顔を背けると彼女の手が俺の頬に触れ無理矢理目を合わせられてしまう。


「見て」


「……え?」


「見て、もっと見て……顔だけじゃない、体でもいいから私を見て」


 その縋るような声につい胸を高鳴らせて体がぎしりと固まるのを感じる。


「か、風重さん……?」


「私を忘れないで……いいえ、私じゃなくてもいいから貴方は絶対に戻って来て」


 ああ、そういう事か……彼女の気持ちをようやく理解し口元にうっすらと笑みが浮かぶ。


「大丈夫、俺は絶対戻ってくるよ……この世界にはまだまだ魅力がたくさんあるんだしさ」


 風重の顔の横へと手を伸ばし、その垂れ下がった髪をまるでハープを奏でるかの如く横に撫でる……俺の指の動きに合わせて彼女の髪が赤く光りそれはまるで俺だけのオーロラのように綺麗に光を放った。


「それにまた色んな話をしようよ、プカレットを食べながらさ」


「……また食べ過ぎてお腹壊しても知らないんだからね?……嘘よ、ちゃんと薬を用意しておく」


「あはは、お腹を壊す前に教えて欲しいなぁ」


「それは難しいわね、食べてる貴方を見るのも好きだもの」


 最後に冗談めかして笑ってみせると、ようやく風重の顔にも笑みが浮かんだ。


「時間も無いのにごめんなさい……この薬を飲んだら始めるわよ」


 そう言ってどこから取り出したのか小さく透明なケースから一粒の赤い粒を取り出した、薬と言うが風重の指に挟まれただけで柔らかく形を変えるその様子はまるでグミのようにも見える。

 それを口の前まで差し出されたので反射的に口を開き……思い直して口を閉じ、にやりとしてみせる。


「……それは何の薬ですか、先生?」


 俺の言葉に風重の顔にも笑みが広がる、唇に薬を押し当てながらころころと転がされ少しくすぐったい。


「よく出来ました、これは痛覚遮断と仮死状態にする薬よ……何故必要かの説明は、いる?」


 首を振って丁重にお断りし再び口を開くと今度こそ赤い粒がそっと放り込まれた、すぐに口の中で弾け半液状の中身が飛び出した。


「……甘い」


「ふふ、その方が好きでしょう?」


 頷いて何度か咀嚼し飲み込む……すると全身に悪寒のようなものが走り、手足が痺れた時のように感覚が鈍くなる。


「いってらっしゃい……貴方が帰るのを待ってるからね」


 耳元で囁かれた風重の言葉を最後に俺の意識は深く沈み込んだ。




「……ん」


 目をゆっくりと開くとまっすぐに伸びた路地裏が視界に広がった、足元にはうっすらと湿った黒い石畳が広がっている……どうやら目的の場所で間違いないようだ。

 ――蒸気世界、以前にも訪れたこの世界で唯一単独行動し歩いたのがこの路地裏だ、万年百合の朝露という素材が必要で訪れたはいいが鬼に対する結界があった為に墨白は通れず俺だけで行く事となり……いつの間にか持っていた紙袋の中には目的の物があった、その時は分からなかったが今

なら俺にアレを渡したのが誰かよく分かる。


「なるほど……ここから既に狭間だったんだなぁ」


 道を見回すが例の結界があった場所から向こうは見えない……予想通りだと一つ頷き大通りとは反対の方向へ歩き出すと、目的の店はさほど歩く事無くすぐにその姿を現した。


「ああそうだ……店の外観だけは何となく覚えてる、綺麗だなぁ」


 窓ガラスにはうっすらと幾何学模様が刻まれているなど全体的にオリエンタル調でまとめられた幻想的な雰囲気、その店の外観にはなんとなく見覚えがあった。


「時間さえあればゆっくり見てみたいなぁ……あれ? 俺、前も同じ事言ってなかったっけ?」


 既視感を感じながらも玄関の段差を上がり玄関の扉をノック――するまでもなく俺を迎え入れるように扉が開き、目的の人物が姿を現した。


「全く……こうも軽々と僕の想像を超えて来るなんてね……おかえり、僕の可愛い子」


「……ただいま、灯歪ひずみ

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