第百八世 外界と内界

「全く……事前に来るって言っておいてくれたら、もっと君が好きそうな物を並べておいたのに」


「それは、ごめん……でも、今すぐにでも会って話がしたかったんだ」


「……そんな事を言って僕を喜ばせるのも作戦かい? それに冗談だよ、こんな世界の狭間にいる僕にどうやって連絡するって言うんだい?……ふふっ」


 店の中へと足を踏み入れた俺の視界に広がった店内は自分の姿が映る程磨かれた床が広がり、壁に埋め込まれた本棚には見た事も無い字で書かれた書物が並び至る所に置かれたショーケースの中には今にも泳ぎ出しそうな程に整えられた魚の骨の標本や豪勢な意匠の施された盃や黄金の卵など博物館顔負けの品揃えに加えて天井から吊り下げられたランタンの中では炎のように揺らめく水が辺りを青く照らしていた。


「さ、どうぞ? ゆっくり話をするならここがいいだろう」


 そんなどこもかしこも目を奪われる通路を抜け階段を上がった先、灯歪ひずみに通されたのはやはり豪奢な装飾の目立つ広い応接室だった。

 中央が一段下がった先の床は全面が硝子張りのように透明になっており、床下では水が満たされているらしく骨が透けて見える魚が何匹か優雅に泳いでいた。


「どうしたんだい?……怖いなら手を引いてあげようか? ふふっ」


「だ、大丈夫だよ!」


 色々と経験してきたつもりではあるが、それでも透明な床に一歩を踏み出す時というのは少し緊張してしまうものでつい躊躇ってしまった、背後から腰に手を回しからかうような声で語りかける灯歪に強がりながら一歩目を踏み出すと僅かな軋みすらしない、中央に向けて数歩歩いてもそれは変わらず見た目とは裏腹に相当頑丈なようだ。


「偉い偉い……奥のソファに座るといい、すぐに飲み物を用意するよ」


 灯歪に促されるまま中央に向かい合う形で設置された赤いロングソファに腰をおろす、壁沿いにはいくつもの棚やお酒の瓶が並んでいるのが見えるが今いる部屋の中央には二つのソファとその間の長い硝子テーブルしかなく広々と使われた空間がなんとも落ち着かない、豪華な作りなのは一目で分かるが個人的には以前灯歪に怒られた柱時計のある部屋の方が好みだ……そんな他愛のない事を考えていると部屋の扉が開き天使達が入ってきた。


「……あれ? ラキさん達はこっちに来ないの?」


 いつもは灯歪の傍で待機している天使達が入口の扉付近に横並びになったままこちらに来ようとしない、軽く手を振ると三人共返事をしてくれたので雰囲気が違うという訳ではないようで少し安心した。


「ああ……この部屋は僕と君が話す専用の場所だからね、彼女達にはあそこで待機してもらっているのさ」


 そう言って灯歪が指を鳴らすとテーブルの上に二つのグラスと果実の実が沈んだ水の入った水差しが現れた、なるほど……以前墨白がやってみせたのと同じく、ここが灯歪の世界という事のようだ。


「俺の為って……さすがに豪勢すぎるような……」


「そうかい? ほら……赤ん坊が生まれる前にベビー用品を買い漁る親とかいるだろう? あれと同じだよ」


「ベビー用品とこの部屋が同じ……これが神様スケールかぁ……」


 ケラケラと笑う灯歪に圧倒されながら果実水に口をつけるとほのかな酸味と程よい甘さが喉を満たす、何の実が沈んでいるのか聞いてみたが聞いた事も無い名前の実で現実世界には無い物らしい、気に入ったと伝えると嬉しそうに笑みを浮かべる灯歪の表情が何故か妙に印象に残った。


「それにしても驚いたよ、どうやってここに?」


「ん? あー……それが俺にもよく分からなくて、以前……ほら例の頭突きをした時にも夢を通してここに来たでしょ? あの時の再現で肉体を一時的に休止状態にした後で俺の中にある灯歪の魔力を道筋にして……要は逆探知みたいなものらしいんだけど、この説明で分かる?」


「なるほど、あのオートマタの子か。あの大雑把な鬼が器用な事をするものだと思っていたが……くくく、聡明そうに見えたけど随分無茶をする……僕が君をここから帰さないかもしれないとは考えなかったのかねぇ」


「風重さんもそこは不安だったみたい、でも……ちゃんと帰るって約束したから」


「約束だって?……あっはははは! なるほど、君は自覚は無いようだが随分とあの子達に影響を与えているようだね」


 耐え切れないとばかりに大声で笑う灯歪に首を傾げるしかなかった、涙の滲んだ目元を拭い水を一口飲んでようやく落ち着いたのか小さく息を吐いた。


「ふぅ……それで? ここに来た手段は分かったけど、僕に何か用事かな?……もちろん僕に会いに来たかっただけならそれでも構わないけどね」


 きた、生唾を飲み込みまっすぐに灯歪を見つめると何かを察したのか彼女は少しだけ目を伏せた。


「……やっぱりそうか、僕としてはただ会いに来てくれただけの方が嬉しかったんだけどな」


 少しだけ辛そうな顔を浮かべる灯歪を見ていると胸が痛むが……もう後戻りは出来ない、顔を天使達の方に向けるとその内の一人の名を呼ぶ。


「ラキさん!……ラキさんは元々俺の中にあった深愛結晶を取り戻して灯歪を再び現実世界の神の座に戻そうとしてたんですよね?」


「えっ?……あ、ああ……確かにそうだけど、それがどうかしたのか?」


 不意に名を呼ばれ驚いたのか返事はしどろもどろといった様子だったが確かに頷いた、他の二人も俺の意思を汲みかねて目を見合わせている。


「そもそもの原因となった結晶を取り返せば灯歪を再び神の座に戻せるっていう理屈は分かります……でも、ここって次元の狭間なんですよね? 灯歪も存在が不安定で……だからこの既知と未知が入り混じって様々なものが流れ着くこの蒸気世界に打ち上げられたんだ……この店がここにあるのも、そういう理由でしょう?」


「なっ……!」


「へぇ……! よく分かったね、しっかり勉強してるみたいで嬉しいよ」


 俺の予想にラキと灯歪が驚いたように声を漏らした、これまでで得た知識を組み合わせたただの予想だったがどうやら当たっていたようだ、様々なものを運び流れ着くのは水の特性……そしてそれらを未知と総称するのであれば流れるのは物体に限った話では無く灯歪のように不安定な存在も含まれる事は想像に難くなかった。


「でも灯歪……分からないのはそんな状況にも関わらず結晶があれば戻れるって言いきってるところなんだ、結晶は力だけど……現実世界に戻れるほどの手段になるとは思えないんだよ」


「……そうだね、確かにそこは外界である『あみだ世界』にいる今じゃ分からないかもしれないね」


「外界? そういえば前にも聞いたような……それって何なの?」


 俺の問いに灯歪はすぐには答えずグラスを持ったまま言葉を探しているようだった、軽く揺らされたグラスの中で氷がぶつかり合うカラカラという音が小さく響く。


「世界はね? 大きく分けて外界と内界の二つに分けられるんだよ、あみだ世界のように他の世界と物理的な距離や無視して扉を通して繋ぐ事の出来る世界を外界、僕達のいた現実世界のようにその世界だけで完結してる世界を内界と言うんだ」


「だから人間は他の世界を知らない……知る事が出来ないって事?」


「その通り、だけど内界には特徴があってね? 世界のあちこちに小さな……本当に小さな隙間があちこちに生じているんだよ、だから極稀にその隙間から落ちて別の世界へ落ちる人間が出てくるし、君のように外界へ引っ張り出される事もあるんだ」


 世界のあちこちに……穴? 待て、その説明はどこかで聞いた事があるような……。


「……アリアドネの糸か!」


「そう、その通りさ! ああもうホントに良い子だね君は!」


 灯歪が心底嬉しそうに手を叩く、扉が開かずとも世界のあちこちに穴がある世界であれば入る事が出来る道具……それがアリアドネの糸、以前天使達が迷い込んだという名目で誘い込まれた世界に入る際にも出る際にも使用したあの錆びた鍵の事だ。


「本来は君を殺して深愛結晶を奪い、更にアリアドネの糸も奪って脱出……それらを僕に渡して現実世界へ向かい再び僕を神の座に……そういう計画だったんだよね、ラキ?」


「……はい」


 ラキが消え入りそうな声で返事をする、ちょっと可哀相な事をしたかもしれないがこれで繋がった……最後はきちんと確認しなければ。


「……ラキさんは、今でも灯歪を現実世界の神の座に戻したいって思っていますか?」


「そりゃ……!……それはもちろんだ、アタシ達は再び灯歪様が神の座に戻られる事を信じてここまでついて来たんだからな」


 他の二人の天使も頷いて同意する、良かった……あの一件のせいでこのままでいいって言われたらそれまでになるところだった。

 安心して息を吐き出すと懐から銀色の細い棒を一本取り出し、それをへし折る。


「……それは何だい?」


「ん……まぁ、合図みたいなものかな」


 へし折れた銀色の棒はすぐに光となって消え、代わりに数珠のように丸く繋げられた記録球体レコード・スフィアが手元に姿を現した。


「それは……そんな物をどこで?」


七釘なぎさんが手土産にくれたんだ、正直助かったよ……大通りを探しても見つからなかったからあの男の研究室に盗みに行く計画まで立ててたんだもん」


「なっ……」


 灯歪が驚きであんぐりと口を開ける、俺がそんな事をするとまではさすがに予想してなかったようだ。


「灯歪も知っての通りこの記録球体は現実世界に住む人間を……しかも個人の一生を映し続け最終的にその魂を引き寄せる道具だ、それをこうして繋げれば一度に映し出せる人数も増える」


「ま……待って、待ってよ! 確かにその道具は現実世界の人間と繋がっているけど……そんな物を例え十個や百個繋げたって深愛結晶の欠片程の力も出ないんだよ?」


「分かってる、でも一種の増幅装置にはなるよね? それに加えて正真正銘本物の深愛結晶の溶け込んだ血と……神と鬼の魔力を一身に受けたこの眼の力があれば本来の結晶以上の代物になる筈だよ」


「ばっ……! 何を馬鹿な事を言っているんだい、自分が何を言っているのか分かっているのかい!?」


 灯歪が驚きのあまり立ち上がり、天使達も理解が追い付いていないのかどよめいている。


「分かっているよ、取り出せないのは以前の話で分かったから俺は今から疑似的な深愛結晶を作って……灯歪をもう一度現実世界の神の座に戻そうと思ってる」

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