第百五世 悲願の就任式
「これはなかなか……壮観だね」
「普段はこれほど集まる事は無いんじゃがな、あの争奪戦の後じゃ……まだ熱が冷めやらぬ者も集まっておるのじゃろうよ」
「なるほど……とはいえさすがに遠いね、マスクの望遠が無いと……」
景色は良いが式典が執り行われるであろう演説台は遥か遠くだ、人間の視力では到底見えるものでは無い……そこで望遠機能のあるマスクを取り出そうとしたのだが、ポーチに手を伸ばそうとしたところを墨白に止められた。
「ああ待てお前様よ、争奪戦からまだ日が浅い今お前様のマスク姿を見ては騒ぎ立てる奴がおらぬとも限らん、マスクを着けるのはまだ控えた方がよかろう」
今回の式典に参加する
「それもそっか……でもそれじゃあどうしよう? 俺の視力じゃ見えないよ?」
「勿論ちゃんと考えてあるわよ、はいこれ」
待ってましたとばかりに
「え……すっごい綺麗なんだけど、これ使って良いの? 高い物なんじゃない?」
「ふふ、高いも何も私が作ったのよ? 構造が単純だから細かい所に凝っちゃっただけよ」
「用意はあると言うておったが、相変わらず器用な奴じゃのう……」
「ちなみにマスクフレームに固定させる事も出来るわよ? 貴方から教えてもらったものの形を真似ただけだもの」
「えっ?……本当だ」
マスクを装着する為に先に首につけていたマスクフレームにオペラグラスの手持ち部分を接触させると瞬時に固定化され両手が自由なまま遠眼鏡が覗き込めるようになり、しかも驚くべきはそれだけでは無かった。
「凄い……どこを見てもピントが合う」
覗き込んだまま眼球を動かすと今集中して見ている位置に瞬時にピントが合い、見たいと思った箇所が遠ければやはり瞬時にズームするというまるで自分の眼になったかのような自由自在っぷりだ、あまりの楽しさにあらゆる場所を覗き込んでいると結蛇の速度がゆっくりと落ち、やがて停止した。
「お前様よ、そろそろ式典が始まるぞ」
「分かった、ありがとう」
墨白の言葉に頷き演説台の方へと視線を移動させると紫色のローブを着た老人が奥から姿を現すところだった。
「……第二十五代総隊長である
「……あのお爺さんはどういう人なの?」
「『
「大きな変化……」
「うむ、あやつの綴る物語にはきっとお前様の存在も書かれておる事じゃろうよ」
喉を鳴らす墨白を見ていると、ようやく自分がそんな大それた事に関わったのだという実感が体を満たした……今日からあみだ世界が歩む歴史は俺達が願った世界だ、ここから見える全員をそのレールに乗せたのだと思うと自然と厭らしい笑みが口に浮かぶ。
「おぉおぉ……悪い顔じゃ……くふ、くふふ」
「……しかしながら悲劇が生み出すのは下降の風のみではない、此度の争奪戦における全住民の熱気が生み出したのは間違いなく上昇気流……そしてその風を彼女であれば取りこぼす事無く全てを受け止め、更に高みへと飛び上がる事も可能であろう……その四枚の大きな翼で! 第二十六代総
隊長……七釘殿であれば!」
老人が声を張ると同時に脇に移動し、周囲からは大きな歓声と共にどこからともなく大聖堂で流れるような荘厳な音楽が流れ始めた。
その旋律に誘われるように演説台の奥の扉が開き格調高い礼服に身を包んだ七釘が姿を現した、奥には藍夜の姿もあり手には何やら布で包まれた長物を持っている。
先程まで老人が立っていた位置に七釘がゆっくりと移動すると右手をそっと上げた、ただそれだけで歓声や音楽がピタリと止み一気に空気が張り詰める。
「……まずは何よりも先に私がこの場に立つ運びともなった先の争奪戦の開催に協力してくれたあみだ世界の住民皆に……そしてそれを通して四翼たる私がこの座に立つ事を許してくれた皆に感謝を伝えたい……本当にありがとう」
頭を下げる七釘に周囲が少々ざわついた、総隊長たる者が頭を下げる事が珍しいのだろうか? 後ろに控えていた藍夜が七釘にそっと何かを耳打ちすると七釘の頭がそっと上がった。
「まだ私が総隊長となる事を面白く思わない者もいるだろう、だが私はそれで構わない……その思想の種全てが覆るまで私はこの座に居続け、皆に良き風を届け続けると誓おう! その為のこの翼、その為の四翼なのだから!」
藍夜の持っていた長物を掴むとそれは銀色に輝く剣へと変化した、それを高く掲げると同時に美しい四枚の翼を大きく広げ見せつけるように高く空へと飛び上がった、それと同時に先程までとは比べ物にならないぐらいの盛大な歓声が周囲から上がる。
「っ……! 凄いよ皆、七釘さんが……」
興奮が俺にまで移り息も荒く皆の方へ目を向けると、墨白を始めとして全員が静かに俯き右手を自らの胸元に当てていた。
長きにわたる願い……それが成就した瞬間なのだ、きっと各々の胸に今のこの光景を刻みつけているのだろう……俺も息を整えると皆と同じように右手を胸に当てた、しばらくは静かに見つめていた皆だったが段々と体を震わせ……各々喜びを体で表現し始めた。
「……うぅ、うー……ヤッター!」
先に飛び上がったのはフィルだった、それに続いて全員が次々に歓喜の声を上げる。
「いやぁーはっはっは! 七釘もちゃんとした格好をさせれば様になるもんだねぇ、あはは!」
「本当にそうね、上手く飛べないと墨白に泣きついていたあの子と同一人物とは思えないわ」
「じゃなぁ……じゃが、儂らの願いの針を大きく進めた大きな存在は他でもない……のう?」
「……お?」
はしゃいでいた皆の声がピタリと止まり視線が俺に集中する、その急激な皆の変化について行けずつい間抜けな声を上げて呆けてしまった。
「ありがとう少年、まさか最初にアタシの薬を飲んでぶっ倒れた君にここまで助けられる事になるなんて思わなかったよ」
「ハイ、ワタシは最初から良い人だと思っていましたが……凄く良い人の間違いでシタ!」
「貴方には本当に感謝しているわ、いいえ……そんな言葉じゃ言い表せないくらいに貴方への気持ちが今私の中に溢れているわ」
次々に浴びせられる慣れない言葉の雨にどう返したら良いのか分からず困惑しながらも感極まって滲み始めた涙と共に墨白の方へ目を向けた、そんな俺に苦笑しながらも白く細いその指で涙を拭うと両手でそっと抱き締めてそっと囁いた。
「お前様よ……本当に、本当に儂の元へ生まれてくれてありがとう」
とめどなく溢れる涙を止める術は俺には無かった、次々に流れる涙を服に染み込ませ嗚咽に塗れながらも気持ちを爆発させる。
「俺もっ……俺も色々心配をかけてごめん! いつも皆の気持ちが嬉しくて温かくて……ありがとう!」
言葉としてはもはや支離滅裂だった、涙で歪ませながらもしっかりと胸に刻んだ今日の光景を俺は一生忘れる事はないだろう。
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