第百四世 遠観船「結蛇」

「ええい少しは落ち着かぬか、そんな様子ではいずれどこぞに足の指でもぶつけてしまうぞ?」


 七釘なぎが総隊長に任命される式典の当日、俺はどうにも落ち着く事が出来ず家の中を延々とウロウロしており、そんな俺を見かねてとうとう墨白に怒られてしまった。


「だ、だってとうとう今日なんだよ? 言うなれば悲願成就の日じゃないか、それなのに普段と同じようなテンションでいられる筈ないよ!」


 当事者である七釘はともかく灰飾かいりと全快したフィルは遅れて来ると連絡が入っていた、つまりは二人と合流した後に第一階層に向かう訳だが……その時が待ち遠しくて仕方ない。


「む……言われてみれば確かにそう、か?」


「揺らがないで、彼の面倒ならいくらでも私が見るけど貴方の世話なんて御免よ」


 俺の感情論に傾きかけた墨白に風重かざねが呆れたように声をかける、このキッチンを見下ろせる二階の手すり付近は俺のお気に入りの場所だ、ここから皆のやり取りを眺めているだけでもこれがなかなかどうして面白い。

 風重が用意してくれた二人掛け用のソファやミニテーブルのお陰で一層快適さが増したのはいいが、時々ここで寝てしまい墨白にちゃんとベッドで寝ろと怒られる事があるのは内緒だ。


「貴方も下りて来てくれる? 朝から何も食べてないでしょう、帰ってから食事にするけど先に軽くスープでもお腹に入れると良いわ」


「はーい」


 子供のように返事をして階段を下りる、上から眺めるのも勿論好きだがそれよりも何よりも上にいる俺に顔を向けて皆が声をかけてくれる事が特に大好きなのだ、自然と浮かんだ笑みを隠そうともせず階段を下りキッチンでの定位置である墨白の隣に腰をおろす。


「熱いから気を付けてね」


 何気ない言葉だが愛情のこもった言葉に心を温めながら目の前に湯気を上げる皿が置かれる。

 お礼を一つ言い木で出来たスプーンを使ってスープを掬い上げ、数度息を吹きかけ口へ運ぶ……そんな俺を優しい笑みを浮かべた二人が眺める。

 最初の頃は気恥ずかしかったこの光景も今となっては心から安心出来る空間へと変わっていた。




「そういえばいつも不思議だったんだよね、墨白さんの爪って軽く触れるだけで封蝋を切ったり出来るのに何で俺が触った時はいつも指が切れたりしないんだろう? ってさ」


「なんじゃ、そんな事を気にしておったのか? そんなの当たり前であろう、何故なら……む? ようやく来たようじゃな」


 小腹を満たしたお陰で気分が落ち着き、何気ない雑談に花を咲かせていると不意に玄関の扉が開く音がした。


「お待たせ、まぁ主役は遅れて登場するって事で勘弁してよねー」


「皆さん、お久しぶりデス! ご心配をおかけしましタ!」


 灰飾とフィルだ、早々に墨白と小言のぶつけ合いを開始した灰飾とは違い少し入ったところで立ち尽くしているフィルは少し緊張でもしているように見える。


「……おかえり、フィル」


 席を立ちフィルの近くにまで歩いていき声をかける、ハッとしたように顔をこちらへ向ける彼女だったがその表情はすぐにいつもの笑顔の花が咲いた。


「ハイ! ただいま、デス!」


 俺に合わせるように墨白や風重からも迎え入れられ、改めて自分の場所だと認識したフィルも嬉しそうにいつもの自分の席にそっと腰をおろした。


「ああそういえば……先日は大量の死蝋をありがとのう、大切に使わせてもらっているよ」


「っ!」


 墨白の言葉についギクリとしてしまう、フィルから貰った死蝋は俺では使いようがないので墨白に渡したのだが……死蝋を削っている最中の光景を思い出してしまいついフィルの方へ目を向けてしまうが、彼女も同じ事を考えていたらしく俺達の視線は同時に絡み合ってしまう。


「――あ、ハイ! ワタシは使いませんのでどうゾ!」


「うむ……?」


 しどろもどろになりながらも墨白に返事をし、再びこちらに向けられた視線には今までには無かった熱がこもっている……気がする。


「そ、そういえば皆揃ったならそろそろ移動する? せっかくの式典なんだし良い席で見なきゃ!」


「席? 貴方……やっぱり昨日、何も聞いてなかったのね?」


「うっ」


 切り替える為の渾身の提案だと思っていたが、風重に脇腹をつつかれながらジットリとした視線を向けられる。


「まぁそんな事じゃろうとは思っておったがのう……くふっ」


「……申し訳ありません風重様、ええと……何だっけ?」


 これ以上つつかれないように脇腹を押さえながら視線を風重に向けると、指先をくるくると回しながら苦笑されてしまった。


「諦めるのが早いわよ……まぁいいわ、あのね? 昨日も言ったけど通常の式典中は警備局周辺は閉鎖されるの、だから行ったところで門前払いされるだけよ」


「え……そうなの?」


「そもそも今回が異例中の異例なんだよ、少年が知らないのも無理はないけどね? いつもは数か所に設置された放映機で見たい人は見るって感じさ」


 いつの間に用意したのか茹でたソーセージを口に放り込みながら灰飾が笑い、フィルも大きく首を振って同意している。


「え、でも今回は見れるんだよね? まさか放映機の数が多いです……とかじゃないんだよね?」


「安心してくだサイ、ちゃんと見れますヨ?」


「フィルの言う通りじゃ、きちんと手配しておるから……恐らくそろそろじゃろ」


「そうね、外に出て見てみるといいわ」


 俺に向けられた視線が全てニヤニヤとしたものである事からもまた俺を驚かす何かである事は想像に難くないが気になるものは気になるのだ、視線を一身に受けながら玄関へと向かうとフィルがついて来てくれた。

 玄関の扉を開けると涼しい風が体を吹き抜け清々しい気分にさせてくれる、外に出ても居心地が良いこの世界の気候は大好きだ。


「……それで、どこに向かえばいいのかな?」


「フフ、ここで大丈夫デスよ?」


 ここ? ここと言ったか? 大通りの裏路地、目の前には低い柵があるだけですぐ向こうは空が吹き抜けているこの場所が? 確かに以前空を見上げたら七釘が飛んできた事はあったが……。


「……ん?」


 その時と同じように空を見上げると、そこには細長く黒い影が一つ浮かんでいた。

 ゆっくりと旋回しながら降下するそれは規則的な動きをしてはいるが生き物には見えず、まるで空に決まったルートがあるかのように乱れなく動き……やがて俺達がいる位置の柵の向こうに横付けすると停止した。

 湾曲した底面に前後非対称の構造をしており、いくつもの金属の装飾が取り付けられており何とも煌びやかなそれはまるで一つの美術品を思わせる。


「ご、ゴンドラ……?」


「ゴンドラ……? それは分かりまセンが、これが今からワタシ達が乗る遠観船『結蛇むすび』デス!」


「え、えんかんせん……? それって一体……」


「おー来た来た、これ乗るの久しぶりだなぁ!」


 驚く俺をよそに背後の扉を開けて灰飾達が現れ、俺の肩や背を軽く叩くと軽々と柵を飛び越え次々に結蛇に乗船していく、ゴンドラと表現したがその大きさはかなり巨大で俺達の倍の人数が乗船してもまだ余裕がありそうに見える。


「ほれお前様のポーチじゃ、まぁいらぬとは思うが一応着けておくとよい」


「あ、りがとう……」


 ポカンとしながらポーチを受け取る俺の顔を見て愉快そうに笑うと墨白もひらりと飛び上がり乗船する、いつの間にかフィルも乗船していた。

 何故皆飛び乗るのか、船は大きいし柵も低く距離もほぼ無いようなものだが僅かに空いた隙間から見える果ての無い空が気になり飛び乗るのを躊躇してしまう。

 俺がそうなる事は皆お見通しだったようだ、墨白が船の中で立ち上がりこちらへ向けて両手を広げている。


「大丈夫じゃ、必ず儂が受け止めるからのう」


「!……よし」


 こちらを見つめる墨白の言葉に気合を入れ直す、そうだ……今まで色々な経験をしてきたんだからこんな隙間ぐらいなんだ、頬を両手で叩きまっすぐに見据えると無理矢理足に力を込めて柵に足をかけ、思い切り飛び上がった。

 浮遊感はすぐに止み、飛ぶ時につい閉じてしまった目を開くと笑顔を向ける墨白の腕の中にいた。


「偉いぞ、よく出来たのう」


 その声に安心し強張った全身から力を抜くと、不意に灰飾に乱暴に頭を撫でられた。


「いい根性だ少年、今度は賭けなくて良かったよ」


「フフッ、全員乗りましたよネ? では出発しマース!」


 フィルが船体の後部にある小さな鐘を鳴らすと結蛇が再び空中を滑るように移動を開始した。


「おぉ……すごい」


 もはや見慣れた光景となったあみだ世界の大通りだが見る角度が少し変わるだけでもかなり新鮮だ、結蛇の縁に手をかけて辺りを見渡す俺にいつの間にか隣に来ていた風重がそっと耳打ちした。


「実はね? 別に飛ばなくてもあそこの柵は橋になるのよ?」


 振り向くと皆が笑いを堪えて全身を震わせていた、この時芽生えた小さな感情に俺は何と名前をつけたらいいのだろう?

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