第百二世 暗がりで待つ少女

「……あー、あー……よし」


 病室の洗面台の向かいに立ち何度か声を出す、あまり声を張るとむせてしまいそうだが普通に会話する分には問題無さそうだ。

 薄い病衣を広げて鏡に胸元を映すが射抜かれた傷痕などはすっかり綺麗に消えてしまっていた、腕や足の傷跡も無く元通りだ。


「むぅ……傷痕のぐらい残っても良かったんだけどな……威厳つきそうだし」


「何言ってるの、傷痕で強さをアピールなんて小心者のする事よ」


「うわっ!」


 慌てて振り向くと、いつの間にか開かれていたドアに呆れ顔の風重かざねが立っていた、年頃の男の子のいる部屋に入る時はせめて一声かけて欲しいものだ……まぁ何を見ても気にするような人じゃないのだろうけど。

 驚きのあまり閉じるのを忘れた俺の胸元に目をやると洗面所の中まで入り俺の胸元にそっと風重の指が触れた、ひんやりとした感触に背筋がゾクリとするが段々と触れた箇所が熱を持つのを感じる。


「綺麗に塞がって良かった、どこか痛むところはある?」


「痛い所は無いけど……体中錆び付いたみたいに重いよ」


 結局このレベルまで回復するのに二週間程かかってしまった、その間墨白を始めとした皆に何から何まで世話になっていたのだがそのお陰ですっかり体が鈍ってしまった、その証拠とばかりに伸びをしてみせると体中から骨が軋むような悲鳴が上がる。


「ふふ、それぐらいならのんびり散歩でもしている内に良くなってくるわ」


「それなら良いけど……墨白さんは?」


「今退院の手続きをしているわ、一応貴方の保護者のようなものだもの……ああそうだ、着替えを渡しに来たのを忘れるところだった」


 そう言って手渡されたのは綺麗に畳まれた衣服だった、お礼を言って受け取り病衣を脱ぎ服に袖を通す……ちなみに風重の視線が逸らされる事は無かった、こっちも開き直るしかないようだ。


「以前の服はボロボロになってしまったから処分しちゃったけど……良かったわよね?」


「もちろん……おお、いい触り心地」


 ファッションには疎いので名前などは分からないが少し大きめなお陰で今の錆び付いた体でも無理せず着れるのがありがたい、ようやく一人で着替えが出来たと鏡の前でポーズを決めていると笑われてしまった。


「問題無いみたいね、うん……それは買ったものだけど、貴方の服を仕立てるのも悪くないかもしれないわね……矢なんて通さないぐらいに頑丈なのがいいかしら?」


「それって服の強度を超えているような……これから水中を泳ぐ機会もあるだろうし、金属製は勘弁して欲しいかなぁ?」


「確かにそうね……そうなると軽量化も課題になるわね……うーん」


 さて、墨白は手続き中なのだったか? であれば手早く荷物をまとめて……そう思って風重の横をすり抜けようとすると腕を掴まれ引き留められた。


「待って、一つ聞いていい?」


「うん、どうしたの?」


 首を傾げる俺の腕を引き寄せ耳元に自らの唇を寄せるとそっと囁く、耳に触れる吐息がどうにもくすぐったい。


「……前に言っていた話、まだやる気?」


 風重が何について言っているのかはすぐに分かった、墨白達の計画を遂行しながら俺と彼女の間だけで進めていた言うなれば……俺の計画の事だ。


「もちろん」


 さほど悩まずに答える、そんな俺の答えも予想済みだったのだろう風重は短く息を吐き出すとその頭を俺の肩にそっと乗せた。


「……まだ確定じゃないけど、最低でも『片方』は貰うわよ?」


「覚悟してるよ、元々『両方』あげる気だったんだし……半額だ!」


「……ばか」


 そっと呟かれた悪態に目を閉じて頷く、俺の腕を掴む手の強さが彼女の想いの強さだと思うとつい口元がにやけてしまう。


「信じてるよ、風重さん」


「はぁ……これも惚れた弱みってやつなのかしら?……用意はしておくけど、まだ未確定なんだから焦って先走らないでね?」


「分かったよ、そろそろ荷物をまとめても?」


 黙って頷き手を離した風重に礼を一つ言うと病室に戻り荷物をまとめた、荷物とは言ってもいつものマスクや手袋の入ったポーチや入院中に使ったタオルなどが殆どで全部あっという間にポーチに収まる。




 退院手続きを終えた俺達は一路、ある場所へ向かった。

 入院中ずっと頭の片隅から離れなかった彼女に会いに行く為だ。


「おっ来たね少年、体の調子はどうだい?」


 ドアベルを鳴らしながら入店してすぐに俺達に気付いた灰飾かいりが声をかけてきた、入院中の会話でも言っていたが現在は休業中のようで店の中に客の姿は無い。


「お陰様でもうすっかり元気ですよ、あの部屋も気に入ってきたところだったんですけどね」


 勿論冗談だ、階段を下りながらわざとらしく腕を回してそう言うと灰飾は愉快そうに喉を鳴らした。


「くっく……それは何よりだよ、何か食べるかい?」


「いや今は大丈夫です、それより……っと」


 言い終わるよりも早く手元に鍵が投げ渡されそれを慌てて受け取る、先端が十字に分かれた妙な形の鍵だ。


「これは……?」


「地下室の鍵だよ、今はまだ瞼が日の光を防げる程厚くないみたいでね」


 そう言ってカウンターを抜けカーテンで塞がれた先を親指で指す……つまり彼女はその先にいるようだ。


「あまり大勢で行っても困らせてしまうじゃろう、儂らはここで待っておるからお前様だけで会いに行くといい」


「そうね、灰飾……貴方まさか店員より上手くお茶を淹れられないなんて事は無いでしょうね?」


「おおっと、久々に大忙しだぞ」


 墨白と風重がカウンター席に座り注文すると灰飾がおどけながらお湯を沸かし始めた、ひらひらと手を振る二人に頷くと普段は入らないカウンター内に入り通路の奥へと歩を進める。


「あ……っと待った少年!」


「えっ?」


 灰飾の横を抜けようとしたところで呼び止められた、振り向くと灰飾が懐から一枚の黒い厚めの布を取り出し手渡してきた。


「その鍵で奥にある扉を通ったらそれで目隠ししてくれるかな?……あの子、きっと君に再生が不完全な体を見られるのは嫌がるだろうからさ」


「な……るほど、でも目隠ししたら今度は俺が何も見えないですよ?」


「大丈夫だよ、ソレならね」


 それだけ言い残すと湯気を上げるポットの前に戻る灰飾をポカンを見つめる、何が大丈夫なのかさっぱりだが彼女がそう言うのであれば大丈夫なのだろう、そう自分に言い聞かせると改めて通路の奥へ進む事にした。




「……多分これだな」


 通路の奥へ奥へと進み墨白達の声がすっかり聞こえなくなった辺りで通路の脇に現れた赤錆びた扉の前でそっと呟く、扉の隙間から漏れる冷たい風が頬を撫で身震いする。

 だがこんな事でビビっている場合ではない、気持ちを切り替えるとドアノブの下にあいた十字の穴に鍵を差し込みひねると想定よりも重々しい開錠の音が響いた、そっとノブを握りひっぱると金属が擦れる不快な音と共に扉が開いた。


「……フィル?」


 返事は無い、扉の先は下り階段になっていて明かりすらない暗闇だ。


「これなら目隠しとか必要無いんじゃ……?」


 階段の底すら見えないが言われた事は守るべきだろう、鍵をポーチにしまい渡された布を手早く目に巻く。


「……ん?」


 目隠しを巻いて前を向くと塞がれているにも関わらず周りの景色が薄ぼんやりとだが見えた、いや……周囲の輪郭だけが頭に直接思い浮かぶとでも言えばいいのだろうか。


「なんだか妙な感覚だけど……これなら」


 階段の下に目をやるとその先に続く通路がうっすらと見えた、これならむしろ裸眼で進むよりも安全かもしれない。

 扉を通り後ろ手に扉を閉めるが見えている範囲は変わらない、しゃがみ込んで手探りで壁や階段に触れて確かめてみるが見えている情報は正しいようだ。


「……よし」


 大きく深呼吸し気持ちを整えると、一段一段慎重に階段を下りその先に待つであろう彼女の元へと向かった。

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