第百一世 二人のエゴ、命の欠片

 良い報告と悪い報告の二択、どこかの映画で聞いたかのようなフレーズだが二人の反応からしてもフィルの事は間違いなく悪い報告だと捉えて良い筈だろう、だが二人の様子を見るに怪我をした訳では無いようだし聞いたところですぐには動けない今、最初に聞くべきは……。


『良い報告からで』


 風重かざねの目を見ながらゆっくりと口を開く、それを見届けると頷いて言葉を続けた。


「分かった……良い報告は座位争奪戦についてよ、貴方がどこまで覚えているかは分からないけれど、後半は藍夜あやすらも貴方の道を確保する事に尽力してほぼ試合放棄状態だったの……結果貴方は女神像に辿り着いて……とにかく試合的には私達の勝利よ、次の式典では七釘なぎが総隊長に任命されるわ」


「……ま、後半の民衆の視線は殆ど君に集中していたけどね」


 いつの間に戻って来ていたのかベッドの正面に立つ七釘が頭を掻きながら笑顔を浮かべている、ん? という事は……俺は総隊長様に汚した布団を運ばせてしまった事になるのか。


「あれ? 彼、笑ってないかい?」


「くふっ……大方、総隊長殿に布団を運ばせた事の悦にでも浸っておるのだろうよ」


 少し顔を歪めただけなのに見抜かれてしまった、墨白の言葉を受けて七釘もわざとらしく大げさにお辞儀する。


「布団運びくらいいつでもお任せを主様よ、必要ならば愉快に歌って見せましょう!」


「止めなさい、こんな閉鎖空間で貴方の歌を聞くなんてただの拷問よ」


「なっ……ひどくないかい!?」


 ぴしゃりと提案を跳ね除けられた七釘が風重に噛みつく、聞いた事は無いが歌は苦手なのだろうか? それよりも何よりも、今はこんな何気ないやり取りが愛おしくて仕方ない。


「はいはい……話を戻すわね? 今言った通り次の総隊長は七釘で決まり藍夜も復帰して総隊長補佐として就く事が決まったわ、結果としては上々すぎるぐらいよ」


 藍夜が七釘の補佐だって? その結果は想定してなかったが、実績もある彼女からの支援が受けられるのであれば悪い事にはならない筈だ……だが補佐とはいえ忙しい事には変わりないだろう、彼女の命とも言える宝石の件はどうなるのだろうか? そんな俺の不安な視線を受けて墨白はニコリと笑った。


「案ずるでない……あやつには蔵や倉庫で腐らせておる儂らの宝石を譲ると約束したしいくつか宝石の取れる世界の鍵も渡してある、何より事情を知っておる七釘がおるのだから切らしたりする心配は無かろうよ……まぁ本人はお前様が渡した琥珀が忘れられんようじゃがのう? お前様さえよければ良くなってから挨拶がてらいくつか包んでやるとよい」


 思い付きで持って行った琥珀だったが随分と気に入ってくれたらしい、お礼がしたいのは勿論だがあの豪快な破砕音をもう一度聞けるのであれば次に会うのが楽しみだ。


「それと反対意見も殆ど無かったからこの結果はあみだ世界の総意と言っても過言ではないわ、貴方にはいくらお礼を言っても尽きないわね」


「おん……い」


 そんな事は無い、反射的にそんな言葉が口からこぼれたが風重は目を細めて笑うだけだった。


「何を言っているか分からないわね、全部俺のお陰だとでも言っているのかな? んー?」


「う……むぃ」


 風重が俺の口の端を摘まみ上げぐにぐにと動かしながら笑っている、抵抗も出来ずされるがままになっていると不意に風重の手が離れた事を不思議に思い彼女の顔を見上げると、からかうような表情から打って変わって優し気な笑みを浮かべていた。


「でも……本当にありがとう、私達が長年立ててきた計画が貴方のお陰で一気に針を進めたどころか想定以上の結果になったわ」


「……ん」


 俺を抱き締める風重の耳元でそっと囁くと、それを見た墨白も大きく何度も頷いてみせる。


「今にして思えば儂らの計画は少々乱暴じゃったかもしれぬなぁ……まぁ何にせよ悲願達成じゃ、後はそこの総隊長殿が上手くやってくれるじゃろうて……のう?」


「任せてくれ、想定外の味方の存在もあるし……必ず上手くやってみせるよ」


 自信満々に胸を叩く七釘を見て安心する、この様子ならばこの先あみだ世界の辿るであろう道すじが楽しみに思えてくる。


「……それで、もう一つの報告なのだけど」


 そっと離れた風重が俺の胸に手を添える、そうだ……むしろ本題はここからだという事を忘れてはいけない。


「勿論もう一つの悪い報告はフィルについてよ、貴方……彼女から命の火を分けて貰っていたのね?」


 命の火……そうだ、以前フィルと一緒にお風呂に入った際に彼女から受け取った小さな火、あれがそれだと言うのであれば確かに受け取った。

 俺が僅かに頷くのを確認すると、風重は小さく息を吐き出した。


「そう……やっぱり、あの子は想定以上に貴方に入れ込んでいたようね」


「その火を受け取る際に、お前様はフィルからそれがどういうものかは聞いておったのかのう?」


 墨白の問いかけにあの日の事を思い浮かべる、このぐらいの事しか出来ないとは言っていた気がするが……それ以上の事は聞いていない、灯歪とその事について話した気もするが……まだ調子が戻っていないのか記憶が朧気だ、思い出すのを諦め目を閉じてゆっくりと首を振るとやはりといった様子で墨白も小さな溜息をつく。


「まぁそうじゃろうなぁ……聞いておればお前様は受け取らなかったかもしれぬ、フィルもそれは分かっておったのじゃろう」


「だね……ああ最初に言っておくけど君が悪く思う必要は無いからね? あの火を渡した事は言うなれば……そう、彼女のエゴのようなものなのだからさ」


 不安な俺の気持ちを汲み取ったのだろう、七釘が慌ててフォローの言葉を口にした。


「いい? 貴方が受け取ったあの火はね? 補助魔法でも何でもない……正真正銘フィルの命の欠片そのものなのよ」


 命の……欠片? あの火がそうだと言うのであれば、それが俺に宿っていたところで意味は……いや、そういえばあの時ひどく胸が熱くなったような気がするが……?


「お前様にかけた保護魔法の事を覚えておるかの? 儂に消すよう頼んできたあれじゃが……ああいった保護魔法が効力を発揮するのはあくまでもお前様が生きておる時のみなのじゃ、一部を除いてじゃがな」


 生きている時点でしか効力を発揮しないという事は……思い浮かんだある考えを伝えるかのように墨白に視線を向けるとゆっくりと頷いた。


「そうじゃ、ゆえに儂はお前様に無効化魔法しかかけておらんかったのじゃ……いくら魔法を重ねようとも死んでしまっては意味が無いからのう、争奪戦においてもまさかあの龍人ドラゴニュートが命を奪うまではしまいと思ってお前様の提案を受け入れ風重に魔法を弱めてもらったが……」


 そこまで言って墨白は言葉に詰まってしまった、自分を責めているのであれば違うと言ってあげたい。

 俺に火を渡した事がフィルのエゴだと言うのであれば、演出の為に魔法を弱めて欲しいと願い出たのは俺のエゴだ、墨白が自分を責める必要などない……思いばかり溢れ出す一方で言いたい事が一つも言葉に出来ずもどかしい。


「……貴方にかけた加護や魔法は胸に矢が突き立てられた時点で殆ど消失していたのよ、つまりあの時点で貴方は……間違いなく死んでいたの、貴方は藍夜に集中していたから魔法は殆どそっちに……いえ、これは言い訳ね」


 風重の言葉に驚いて目を見開く、確かに血の海で溺れていた事は覚えているが……。


「矢を受けた時点で貴方の生命活動はほぼ停止していた、でも貴方は立ち上がり歩いた……その後倒れて意識を失った後もずっと貴方の命を支えていたのが、フィルの火よ」


 確かにあの瞬間フィルの事が頭をよぎったが……歩く為の原動力にもなった全身の熱はそのお陰だったのか。


「フィルの火……アンデッドの寿命を司るあの火は宿主が命を諦めない限り燃え続けて命を繋げるものなの……でも、貴方の人間の体はアンデッド程頑丈じゃないわ、だからあの瞬間……女神像に辿り着くまでに貴方は何度も死亡と蘇生を繰り返していたのよ、フィルの寿命を大幅に削りながらね」


 フィルの寿命……以前にも聞いた、アンデッドの寿命は時の刻みではなく腐敗と再生の競合に競り負けた時だと言っていたのは墨白だったか……まさか、最悪の想像に辿り着きうっすらと涙が浮かんでくる。


「もう分かったみたいね……そう、今フィルの体は腐敗が大半を支配してとても動けるような状態じゃないの、幸い貴方の状態が安定した事で貴方の中からフィルの火が消滅して今はゆっくりと再生しているけどね」


 何て事だ……風重が布で拭ってくれてはいるが次々に溢れる涙を止める事が出来ない。


「その事は貴方の治療をしている最中で気が付いたの、でもフィルは貴方の状態が安定するまで火を消す事を最後まで拒んだわ……まともに喋る事が出来ない状態になってもね」


「あ……う」


 溢れる涙と滅茶苦茶な思考のせいで考えがまとまらない、フィルは……あんな笑顔でそんなに大事なものを俺に渡していたのか? そのせいで自分がどんな目に合うか全部分かった上で?……俺は、俺は何て事を……! 何が成し遂げただ、今の結果がどんな犠牲の上で成り立っているのか俺は気付く事も出来なかった!


「だ、大丈夫じゃ! フィルはまだ若いゆえ回復力も高い、きっとそれを踏まえての判断じゃったんじゃろうよ! そうじゃろう風重よ?」


「……ええ、事実貴方がきちんと喋れるようになる頃には殆ど回復している筈よ、手土産もあった事だし下手したら貴方の方が回復が遅い事すらあり得るわ」


 そうか……良かった……本当に良かった、全身から力が抜け体をベッドに沈める俺を見て皆ほっと溜息をついた。


「……とにかく今は体を休めましょう? フィルの様子を見に行くのは傷が回復してからでも遅くないわ」


「……ん」


 確かに今の姿を見せても余計に心配させてしまうだけかもしれない、そう思い直すと安心からか段々と睡魔が襲ってきた……まだ聞くべき話はあっただろうか……?


「我慢せず眠るがよい……その方が早く傷も癒えるじゃろう」


 布団を直し、優しく囁かれた墨白の声に飲み込まれるように段々と意識が遠くなり再び夢の世界へと旅立った。

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