第六世 温かくて、暖かい
「……ふぅ」
墨白との話が終わった後、俺は墨白が沸かしてくれた風呂に入っていた。
広いお風呂場だ、大きな木製の浴槽が埋め込まれており床には畳のような材質の床が広がっている。
そのお陰か森の中にいるような落ち着く香りが浴槽全体に広がって心地よい。
「……温かい、お風呂ってこんなに気持ち良かったっけ」
今日は色々ありすぎたがようやく頭を落ち着かせる事が出来そうだ、そんな事を考えていると扉を叩く音が浴室内に響き、反射的に扉の方へ首を向けた。
「……はい?」
『儂じゃ、着替えを持って来たでな』
脱衣所に置かれた籠にと服やタオルを置く音がする、そういえば促されるままに風呂に入ったが何も持って来てなかったな……まぁこっちに来た時点で所持品どころか服も着ていなかったのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
「あ……うん、ありがとう」
『湯加減はどうじゃ? 熱くは無いかの?』
「うん大丈夫、気持ち良いよ」
『そうかそうか、それは何より』
くふくふという笑い声と共に何やら衣擦れのような音がする。
気のせいだろうか? 扉に埋め込まれた磨り硝子越しの墨白の影が左右に揺れている気がする、まさかとは思うが……。
「では儂も入るとするかの!」
勢いよく扉が開いたと思ったら一糸纏わぬ姿の墨白が現れた、反射的に反対の方へと目を向けてしまう。
「え……じゃ、じゃあ俺出るから!」
一刻も早くこの場から逃げ出そうと立ち上がり、視界の端に映った気もする白い肌を見ないように横を抜けようとするも墨白に腕を掴まれた。
見なくても分かる、きっとその顔にはさぞ意地悪な表情が浮かんでいるに違いない。
「くふっ、何を言う? 裸の付き合いと言うじゃろう?」
まさかその言葉を女性に使われる日が来るなど思ってもいかなかった、そしてやっぱり力が強くとてもじゃないが抜け出せそうにないと諦めて肩を落とし浴室へと戻る……どうやらまだ落ち着ける時は来ないようだ。
「ふーん、ふふー」
タオルで体を隠すような事もせず、鼻歌を歌いながら小気味良いリズムで頭を洗う墨白を極力見ないようにはしているが、それでもつい男の性でチラチラと見てしまう。
血の気の無い青白い肌もお湯で温められ、ほのかに赤色を帯びたその姿に、煽情的な感想を抱かずにはいられない。
……ちなみにだが角にもシャンプーをつけて洗っていた、どうやら角は頭部にカウントされるようだ。
「んー……ぷはぁ、ふぅ……」
髪をすすぎ終わったのだろうか? 何にしてもこの状況はまずい、そんな事を考えていたら不意に目の前に手が差し出された。
「……えっ?」
つい反射的にその手の主を目で追ってしまい、墨白の全身を視角内に捉えてしまう。
女性らしさを表す起伏には乏しいスレンダーな体型だが、濡れた髪に白と赤のコントラストが美しい肌、そして何より俺を真っすぐに捉えて離さない赤い瞳が、彼女の魅力をより一層引き立てている。
「あ……ご、ごめん」
入ってきたのは墨白の方なのだから謝る必要は無い筈なのだが、つい謝罪の言葉が口をつき顔を背けてしまった。
「んぅ?……あぁ、なんじゃ」
墨白に手首を掴まれると、彼女の顔がグッと近付き唇が耳元に触れる。
「元気に、なってしもうたのかのう?……くふっ」
耳元で甘く囁かれたその言葉に頭の先まで一瞬で熱が行きわたる、その声だけでのぼせてしまいそうだ……。
「くふふっそれも良いが、まずは儂にお主の頭を洗わせてはくれんかのう?」
「……え、頭?」
「ふんふふーん……」
小気味の良い音と鼻歌が今度は背後から聞こえる。
この浴室には鏡が無いので彼女の表情は分からないが、その声色からも上機嫌である事はよく分かる。
「どうじゃ? 痛かったりはせぬかのう?」
「あ……うん、大丈夫だよ」
墨白の細くて長い十本の指が俺の頭を縦横無尽に這い回る、爪も長かった筈だがそれらが頭皮を傷付けるような事は無く、正直めちゃくちゃに気持ちがいい。
「今日は一度に色々とここに詰め込んだからのう、疲れたであろう?」
「まぁ……ね? 自分の腹にナイフを刺したと思ったら全裸で子供用プールに浮かんで夕日を眺めてるんだもん」
「くふっ、じゃが良い眺めじゃったろう?」
「本当にね、この世のものとは思えないぐらい綺麗だと思ったら物語の中でしか見た事が無い鬼の少女が居るし、ここは今まで俺がいた世界じゃなくて異世界だって言うし……」
「文字通り、お主が見てきたこれまでのこの世では無かったって事じゃなぁ」
「そう……そして彼女は言うんだ、自分は色々な未知の世界を旅してるから俺にその旅に同行して欲しいって」
「ふむ……それを聞いて、鬼の手を取ったお主は今何を思うのかのう?」
「……正直、俺に何が出来るのって思うし分からない事だらけだけど」
「……だけど?」
何も無い人生だった、何もしなかったし、何も出来なかった。
でもそんな俺を求めてくれた、俺に何が出来るのかは……今後ろにいるこの鬼がきっと教えてくれるだろう。
「……実はかなり嬉しかったし、今結構わくわくしてるよ」
「お前様よぉ!」
「うぃ!?」
柔らかい身体が背中に押し当てられると同時にそのまま後ろから抱きしめられ、全身を擦り付けられているような感覚に頭がクラクラする。
「改めてこれからよろしくのうお前様よ! 儂が手取り足取り何でも教えてやるでのう、他の世界の事でも何でも!」
「う、うん! よろしく」
何とか声を絞り出した俺に一度更に強く俺を抱きしめると、墨白は再び愉快そうに俺の頭を洗い始めた。
「……そういえば、一つだけ訂正しても良いかの?」
「え?」
「お主は儂を『鬼の少女』と言ったがの?……儂は七百年以上は生きておるんじゃぞ?」
「……七百?」
「七百じゃ、まぁ起伏が少なく見てもつまらぬ幼子のような体である事は認めるがのう?」
「それはまた……随分と先輩だね?」
「くふ、儂を母と思って甘えても良いのじゃぞ?」
「いや、むしろお婆……」
「ん? 何か言ったかのう?」
そう言って視界の端で鋭い爪をぴん、と伸ばして見せた。
表情は笑顔だが目が笑っていない、そんな爪を携えた墨白の両手が俺の頬に伸び、そのまま肉をつまむと左右に軽く引っ張った。
「ふぁ、ふぁにふぉ!?」
「んー? なんじゃー? 人間の言葉は難しくて儂には分からんのう?」
そう言ってしばらく見つめ合ったのち、同時に吹き出してしまった。
鬼と人間の弾けるような笑い声が、暖かい風呂場に響き渡る。
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