第七世 その鬼、甘えさせ上手につき

「……んむ、くぁぁぁ」


 日が昇るころに目を覚ます、乱れた髪を雑に手櫛で撫でつけながら首を曲げると、小気味の良い音が鳴った。


「……くふ、あやつの真似をしていたらすっかり習慣がついてしまったのう」


 生活リズムのある鬼など世界広し……いや、世界多しと言えど数少ないだろう、そんな事を考えながら着物を身に着け、誰に宛てるでもなく小さく笑う。

 そういえばあやつは着物と洋服じゃったらどっちが好みなのじゃろうか?……ふむ、今度聞いてみるとしよう。

 着替えが終わると次は台所へ向かう……が、その前にある部屋の前で足を止める。

 その中にいるであろう彼を起こさないよう静かに、僅かに襖を開き隙間から中を覗き込むと、その部屋の奥でビービーとお世辞にも静かとは言えないいびきを立てながら、未だ夢の中にいる彼はそこにいた。


「……くふふ」


 ゆっくりと上下する布団といびきを堪能し、音を立てずに襖を閉めると今度こそ台所へ向かった。


「さて、今朝は何にしようかのう? 昨日は確か……」


 今朝の献立を考えながら、一週間前の会話を思い出していた。



『とりあえず、そうじゃな……一週間程様子を見るでな、あまり激しい運動などはせぬように』


 出会った初日の夜、寝る前に伝えた内容にあやつは面食らった様子じゃったな。


『え? でも、その旅人だっけ? 未開拓世界ってところに行くなら早い方がいいんじゃ?』


『何も急いでおるわけではないよ、それにお主の魂はその体に定着したばかりじゃからな? 慣らしが必要なんじゃよ』


 現実世界では時間に急かされるのが当たり前という、おかしな法則が成り立っておったからのう……もう少しこっちの世界の時間の流れに慣らす必要があるようじゃな。


『なぁにこれから長い時を共にするんじゃ、心の準備のようなものだと思うが良い』


『……分かった』


 まさに出鼻をくじかれたような様子じゃったな……厳しいトレーニングでも想像しておったのじゃろうか? 人間の筋肉量では鍛えたところでたかが知れておるのじゃが……まぁやる気があるのは可愛らしくて頼もしいがのう?


「くくっ……ん、良い味じゃ」


 汁物の味を確認して一通りの配膳を終える、最初こそ少々まごついたが一週間も繰り返せばすっかり慣れてしまった。


「さて……そろそろ起こすとするかのう」


 再び彼の眠る部屋へ向かい、今度は音も無く中へ入る。

 先ほどと変わらず寝息を立てているが眠りが深くなったのだろうか、いびきは少し大人しくなっていた。

 枕元に膝をおろし、しばらくその寝顔を見つめ……本来の目的を思い出す。


「はっ……いかんいかん、つい見惚れてしまった」


 彼を起こすのに現実世界を彷彿とさせる不愉快な機械音なんて必要無いと思いこの屋敷には時計の類は無い、少々の罪悪感から顔を背け起こすと心を決めると彼に覆いかぶさり両手をそっと彼の両頬に当てた。


「……お前様よ」


 大声で怒鳴る必要も無い、優しく頬に指を這わせて呼びかけるだけで良いのだ。




「……よ」


 頬にひんやりとした感触を感じる、甘い粉のような匂いが鼻をくすぐる……ここ最近毎日鼻にする匂いだ、俺はその匂いの持ち主を知っている。


「ん……」


 ゆっくりと目を開けると、優しい表情をした墨白が俺の事を楽しそうに見つめていた。


「おはようお前様よ、起きられそうかのう?」


「ああ、おはよう……うん?」


 挨拶をし、起き上がろうとするが体が動かない。

 よく自分の状況を見てみると墨白が覆い被さっているし、その両手は俺の頬を包み込んだまま離さない。


「……んぅ? どうしたのかのう?」


 再び墨白の方へ目を向けると、先程とは違い意地悪な表情になっていた。


「……上に乗られていると起き上がれな、むっ……!」


 言い終わる前に口が墨白の唇によって塞がれた、吸い付くように重ね合い、ゆっくりと墨白の唇が離れる。


「ん……くふふ、やはり起きたばかりの口は少々臭うのう」


 墨白は悪戯な笑みを浮かべたまま俺の唇についた唾液を指で拭い、自らの唇に塗りつけた……ヌラヌラと光る唇が艶めかしい。


「そ、それならしなければいいのに……」


「くふふっそれは嫌じゃなぁ? ほれ、飯の準備は出来ておるでな、顔を洗ったら来るが良い」


 そう言って部屋を出ようと背中を向け、ちらりとこちらを振り返った。


「それとも……着替えを手伝ってやろうか?」


「い、いい! いいから、すぐ行くから」


 両手でブンブンと手を振っている俺を見て、愉快そうに喉を鳴らしながら部屋を後にした。


「……敵わないなぁ」


 頭を掻きながら大きなあくびを一つ、さぁ甘えさせ上手な鬼が戻ってくる前に着替えを済ませねば。




「ごちそうさま、お腹きっつ……」


 ……つい食べ過ぎてしまった、もう一週間になるが墨白の作る料理は凄く美味しい、舌に馴染むとでも言うのだろうか? 俺の味の好みも把握されてるのかと思うと気恥ずかしくなる。


「お粗末様じゃ、少し腹を休めるがよい」


 笑いかけながらてきぱきと皿をまとめると、手際よく洗い物を始めた。

 今日でちょうど一週間になる、正直この一週間は甘やかされっぱなしだった記憶しか無い。

 あらゆる世話を焼かれ、ハグや今朝のような口づけもしょっちゅうだ。

 ……もし自分に奥さんがいたらこんな感じなんだろうか? 洗い物をする墨白の背中を見ながらそんな事を考えていると顔が熱くなってくる。


「何考えてるんだ俺は……」


「……ん? 何か言ったかのう?」


 顔を上げると水を止めて不思議そうにこっちを見ている墨白の姿があった……気が付かない内に声に出ていたようだ。


「あ、いや……今日でもう一週間だなと思ってさ」


「そうじゃなぁ、どうじゃ? もうこの家には慣れたかのう?」


「お陰様でね、そろそろ動いても大丈夫そう?」


「ふむ……少し見せてみよ」


 墨白が布で手に付いた水気を拭きながら近くに来て俺の顔を覗き込む、彼女から香る匂いが強くなり胸が一つ高鳴る。

 目を覗き込んだり腕を軽く叩いたり……何をしているのかはよく分からないが彼女の白い手が俺の体に触れてくれる事が嬉しくてたまらない。


「……見たところ魂や記憶のブレも無いようじゃし、問題は無さそうじゃな」


「じ、じゃあ……?」


「うむ、少し休憩したら儂の仕事の話を……」


 その時、外でカランという音がして俺と墨白の視線が音が鳴った方へ向く。


「ん? 墨白さん、今の音は……?」


 音の正体を聞こうと墨白の方へ顔を向けると、少しガッカリしたような複雑そうな表情を浮かべている。


「あー……まぁ、丁度良いと言えば丁度良いかのう」


 そう言って向き直ると、こちらに向かって手を伸ばした。


「それじゃあお前様よ、儂と一緒に世界の姿を見に行くとするかのう!」


 にぱっと笑う墨白に、俺は再び胸を高鳴らせた。

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