第四世 焦がれ、求め
別段、不幸な人生という訳では無かった。
いじめを受けていた訳でも無い、絶望的な額の借金があるわけでも無い、ギャンブル依存症でも無いし何か事件を起こした事があるわけでも無い。
ただ毎朝決まった時間に起きて学校に行くのが当たり前というのが嫌で行きたくなかっただけ、ズル休みの理由作りと仮病は随分と上手くなった。
働くのは嫌、だけど働かないなら死ぬしかないのが当たり前というのが嫌で長続きしなかった。
辞める事ばかり考えていた、よく分からない請求書を見つけるのが嫌でいつしか郵便受けを開けなくなった。
そんな俺でも普通になりたかったし幸せになりたかった、でも普通にすらなれなかった、何者にもなれなかった……俺はただのクズだった。
そんな俺を、目の前にいる鬼の少女は何と言った? 愛しい? 俺が? そんな事がある筈が無いと心の中の否定的な俺が叫ぶ。
「……お前様? どうかしたかの?」
気が付けば涙を流していた、目の前にいる墨白の姿が歪む。
「俺、の人生……見てたんだよね?」
ああもう駄目だ、体に染みついた卑屈さが溢れ出してしまう。
「……うむ」
「なら知ってるよね、俺なんてただの怠け者で……だから死ぬまで何も面白い事なんて起きなくて、何者にもなれなくて……」
言わなくても良い筈なのに情けない言葉が次々に口から溢れる。
墨白は? どんな表情で俺を見ているのだろう、彼女の顔を見るのが堪らなく怖い。
「ごめんなさい、つまらない人生を見せて……本当に、俺はどうしようもなくて……何で、何で俺なんかを選んでくれたんですか?」
バカは死んでも治らないと言うが、どうやら情けないところも女々しいところも治らないようだ。
当の墨白は黙っている、呆れているのだろうか? それとも怒っているのだろうか? そんな不安が胸に溜まり、再び言葉が溢れそうになる直前にゆっくりと墨白は口を開いた。
「そうさなぁ……」
墨白は懐から青い布を取り出し優しく俺の両目に押し当て涙を拭う、涙で歪んだ像が輪郭を取り戻す……再び目が合った墨白の表情は何とも複雑そうだ。
「まず、何故お主を選んだかという事じゃが……正直なところ、儂が選んだ訳ではないんじゃよ」
「……え?」
「あのスフィアは買ってからでないと、誰の人生が映るか分からぬ道具でのう……だから、あー……何といえばよいのか」
「……え、それはつまり……俺だったのは、たまたま?」
「まぁ……少なくともこれを買った段階では、の」
ばつが悪そうに自らの頬をひっかく墨白だったがそんな彼女を見て俺は詰まっていた疑問がすっと飲み込めた。
少し考えてみれば分かる事だろう俺、俺に選ばれる要素なんかあるか? 無いだろう? つまり俺はガチャで言えばハズレ枠な訳で……むしろ墨白に余計な手間と負担を……俯き、そんな事を考えていると墨白に両手で頬を包まれ、無理やり目を合わせられた。
「ええい、人の話は最後まで聞かんか!」
「でも……」
「確かに儂は最初、人間なら誰でも良いという気持ちでこれを買ったのは間違いない、この球体は映した生命が絶命した瞬間にその存在を球体が存在する世界へと転移させる道具なのじゃ、儂の言ってる意味が分かるかの?」
「ええと……?」
見せてもらった空のスフィアには今まで俺が映っていて、俺が死んだからこっちに転移した……つまり、生まれた? という事は。
「……何が生まれるか分かる卵、みたいな?」
俺の答えを聞くや墨白の表情がパッと明るくなり立ち上がると、頭ごと抱きしめると俺の頭を撫でた。
人に抱き締められたり、頭を撫でられたのなんて何年ぶりだろうか。
「うむうむそうじゃ、その通りじゃ! よく分かったのう!」
「で、でもだからそれが一体なんだって言うの?」
嬉しさと気恥ずかしさで彼女から逃れようとするが抱きしめる力が強くびくともしない、華奢な少女に見えるが鬼というだけはある。
「ふむ、まだ分からぬか?」
抱き締めていた手を離し首を傾げ顔を覗き込ませてくる、体に残った墨白の体温のせいか少々名残惜しく、寂しい気もする。
「簡単な話じゃよ、何が生まれるか分からぬ卵ならいざ知らずこの球体は何者が生まれるか、そしてそやつの一生を見続けられる卵なんじゃから……」
墨白は懐から空のスフィアを取り出すと再び人差し指と親指でつまみ上げた、彼女の赤い瞳と囲炉裏の赤い火が球体の中でゆらゆらと怪しく光っている。
「もし生まれる前にその者を気に入らぬと思ったのであれば、砕いてしまえばいいだけの事なんじゃよ」
グッと指に力を込めるとスフィアはあっさりと粉々に砕け散り、青い煙となって虚空に吸い込まれるように一つの欠片も残さず消え去った。
「つまり……お主に儂の元に生まれて欲しいと思ったのは他でもない、この儂の意志なんじゃよ」
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