“楽しい”


「意味が無いのに、何故そんなことするんだ」


 訳が分からないから、そう聞いた。

 だってわざわざ靴を脱いでまでする事なのか?


「何故? そんなの分からないですよ。何となく、足を浸けてみたかったの」

「はぁ?」

「やってみればどうです?」

「な、」

「今は意味が無くても、もしかしたら、後で何か意味があるかも」


 さぁ、と夜空が反射する鏡の中で彼女は笑う。

 その差し出された手が、何だか新しい扉を開けるようで、レイドは靴を脱ぎ捨て、手を取った。


「冷たっ」

「わっ、ちょっと! 飛沫が散ってますよ!」

「そういうお前こそ散ってんだよ!」


 互いに目を見合わし、「ぶはっ!」と同時に吹き出した。

 けらけらと笑う二人の姿を、通り掛かった他国の老夫婦は微笑ましく眺めている。

 煽るように、「あはは! レイド様ったら子供みたーい!」水の中を走るアオイ。レイドの忘れていた感情が引っ張り出される。


「どっちが子供だよっ!」


 そう言って飛沫を散らしながらレイドは追い掛けた。まるで過去をやり直しているかのように。きっと、キョウダイにこういう事を望んでいたのかもしれない。

 ふたりの“楽しい”を助長させるかのように、大ホールから風に乗って流れてくる音楽。


「あ! この曲私好きなんですよね!」

「俺もこの曲は好きだ」

「本当!? 良いですよね、この、リズムが特に! 身体が勝手に動いちゃうっ、このリズムっ! タランッ、タランッ、タラッタッラッタッタタンっ♪」


 口ずさみながらドレスの裾を摘んで、楽しげに踊ってみせるアオイ。それを見てまた馬鹿みたいに笑った。


「何だそれっ!」

「ほらほら〜、レイド様も〜!」

「はぁ!? 何で俺も、つうか冷てぇよ! 水飛沫が散ってんだよ!」

「あはははっ!」


 あまりにも楽しそうに笑うから、レイドも釣られて楽しくなって、「もっと腕も上げて!」こんな風にだろと、踊ろうとした、その時──、


「嫌だ、何やっているのレイドったら。みっともない」


 姉である王女の声がした。


「姉さん……」


 一瞬にして消えた。

 レイドの“楽しい”が一瞬にして。


「こんばんは、王女様」


 アオイはドレスの裾を摘んだままで、まるでダンスでも踊るみたいに、美しい礼をする。

 レイドは思わず感心してしまった。

 先程まで馬鹿みたいに笑っていたのに、この姉を目の前にしても尚、そのままの自分で居られることが。


「そんな田舎娘と……。王族の品位が疑われるわ。早く上がりなさいな」


 母である王妃に段々と似てきたレイチェル。

 獣でも見るような目でレイドを見るから、アオイは思わず、「楽しいのに……、王女様もどうですか?」とレイドと同じ様に誘った。


「はぁ!? 貴女馬鹿じゃないの? それとも馬鹿にしているのかしら!? そんな汚いこと誰がやるものですか!!」


 ムキになって否定するから、レイドは思わず「ぶはっ」と吹き出した。


「レイドまで何なの!?」


 こんなので良いのかと、そう思ったからだ。

 今まで言われるがまま、姉や母の、望むままに動いてきた。それが一番面倒じゃなかったからだ。

 母が、王である父に毒薬を盛っていたのも知っているし、捻くれた貴族共と手を組んで、紅華フォンファ国から薬を密輸しているのも知っていた。

 気に入らないと感じた貴族には、パートナーとの関係を壊したり、領地に何かしらの問題を作り上げ、無理難題を押し付け困らせたり。

 何なら国民から徴収した税も、自分や、娘の美のために注ぎ込んでいるのも知っている。

 けれど、全て見て見ぬふりをしていた。関わると面倒だからだ。

 どれもレイドにとっては、面倒で、どうでも良かった。


 周りの人間に関心が無いことを悟られたのか、母と姉は、レイドに「使用人、下級貴族には厳しく当たれ」と命令する。だから言われるがままそうしていたけれど、頭の良い貴族達は気付いているだろう。

 レイドがただの人形であるということを。

 だが、反抗するのは、人間になるのは、とても簡単だった。このアオイのように、堂々と、風のように自由に、振る舞えば良いのだから。


「別に? 何でも」

「なッ! 何なのその態度……!」


 何時もの様子では無いレイドに、姉であるレイチェルも動揺した。閉じられたエメラルドの扇子をわなわなと握っている。

 レイドは、そんな姉を見て、何だか可笑しくなってきた。そして不思議そうにその姉弟を見つめるアオイに、「お前サイコーだな」と呟く。


「へ?」


 ニシシ、と笑うレイドは子供のようだった。


「みっともないから早く上がりなさいって言ってるの!」

「はいはい、分かってますって」

「何なの!? なんだって言うのよ……!」


 ギロリと睨むサファイアも、今は全然痛くもない。


「姉さん、七時半からは王の間で来賓への挨拶だからな」

「わ、分かってるわよ……! そんな事レイドに言われなくったって!!」

「じゃ、また後でな、姉さん。お前は気を付けろよ」


 そう言い残し、靴を片手に携えひらひら手を振って、レイドは何処かへ消えていった。


「全く……!」


 何なのよ、とレイチェルは溜息をついて、目の前の女を見れば、「面白い弟様ですね」なんて楽しそうに言う。

 自分の知っている弟はあんな人間じゃない。

 それに、この女をまじまじ見れば、ルージュの色が、怜の蝶ネクタイと同じ色だ。

 イヤリングも、ドレスの刺繍も、怜の姿がチラつく。

 どうして、どうしてこの女ばかり、

(この女ばかりに──……!!)

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