心に、瞳に、灯す


「貴女も……! みっともなくてよ! いくら貴女が他国の人間といえど恥ずかしいわ! この国の品位も疑われるじゃない!」

「そうですか? 気に触ったのでしたら謝ります、申し訳御座いません」

「ふんっ、素直なのはいい事だけど。さっさとそこから出て頂戴。水浴び場じゃないのよ? お猿さん」


 嫌味ったらしくアオイに投げ捨てるレイチェル王女。

 だが当のアオイは、どの種類の猿だろうかとそんな事気にも止めない。はい畏まりましたと返事をして、脱いだ靴まで歩き出す。すると、レイチェルは何かを思いついて己の顔を扇子で隠し、「あら。ちょっと待って」と自身の爪先を差し出した。

 ツン──と、アオイは躓く。

 予想通り、アオイは鏡の水の中。


「いてて〜……」


 ドレスが水浸しだ。

 その様を見て、レイチェルは満足そうに言う。


「あら! ごめんなさぁい! わざとじゃないのよぉ? ただ、今日のドレスコードが気になっただけなのよぉ」


 にまにまと抑えきれない笑み。扇子で隠してはいるが、声と瞳が相手を嘲笑っていた。


「ドレスコード……?」


 まるでひざまずいているかの様なその姿に、王女は満足だった。ドレスもそんなに水浸しになっては直ぐに大ホールには戻れないだろう。ハモンド侯爵に心配かけまいと逃げ出すかも、いや、泣きつくかもしれない。

 例え泣きついたって、王女にはそんなこと関係無い。


「あぁ、全く! 私のドレスにまで水が散ったわ……! これから来賓の方々をおもてなしするというのに! 知ってて? 今日はあのラモーナ公国からも来賓されるのよ!?」

「は、はい、存じてます」


 勿論アオイが知らない訳がない。

 ラモーナの姫なのだから。


「ラモーナ公国の平和の象徴である緑と、蒼松国の象徴である松。その緑が今日のドレスコードよ!? もしかして知らずに来たのかしらぁ? だって、見るからに身に着けていないものねぇ?? 恥ずかしいわぁ、一度帰られたらどお?」


 きゃははは──!と、不快な高笑いが水面を揺らす。

 この様子がどうやらハモンド侯爵の目に入っていたようで、初めて出逢ったその時と変わらず、騎士のように駆けている。

 けれど、こんなの一人でだって立ち上がれる。

 私だって、貴女と同じ、姫なのよと、心に強く響かせて。


「厳密にいえば、」

「なぁに?」


 水を吸って、重くなったドレスを滴らせ、アオイは立ち上がった。


「ラモーナの緑は、風の精霊の緑です。平和の象徴である緑は、後から人間が付け足した意味」

「ッ何よ! 知ったかぶっちゃって……!」


 強い眼差しに、王女は気圧される。


「それに、ちゃんと身に着けていますよ」


 シンデレラがガラスの靴を履く時のように、優美なつま先。ほら、と靴のトゥを王女に見せた。

 トゥには大きくてまあるい、深い緑の、まるで夜の森を閉じ込めたような、そんな石が飾られていた。怜の裏地と、似たような色だった。


「身に着けているのなら、いいけど!?」


 王女は悔しくて悔しくて、扇子の下の顔は醜く歪んでいる。ふんっ、とそっぽを向いたと同時に現れるハモンド侯爵。


「アオイ……! 大丈夫かい!?」

「ルイ様! 全然平気ですよ!」


 心配そうに覗き込む瞳に、強い光を灯しながら見つめ返した。

 隣では二人のやり取りを知らん顔でひらひらと扇子を扇ぐ王女。ハモンド侯爵は怒りを覚え、アオイを見つめる時とは全く違う鋭い瞳で彼女を睨む。


「いくら王女といえど、やっていい事と悪い事があるのでは?」


 その言葉にピクリと反応するレイチェル。


「なぁに? 私が虐めたとでも言っているような口振りね?」

「では、アオイのドレスは何故こんなにも水浸しに?」

「この女が勝手に転んだのよ! 私には関係無いわ!」

「なッ、」

「それに! 私達は、ただ単に戯れていただけよ? ねぇ? アオイさん・・・・・?」


 弓形ゆみなりに細く笑った目がアオイに向けられる。「ねぇ?」ともう一言、念を押して。

 ハモンド侯爵は呆れるしかなかった。大きく溜め息をついて、首を横に振った。

 これがこの国の王女か、と。


「ええルイ様。その通りよ?」

「アオイ……!」


 アオイの言葉を聞いてレイチェルの目はより、細くなった。「正直に話してくれれば私がなんとかするよ……!」と説得するルイをも見下しながら。


「レイチェル様の言う通り、戯れていただけですから」

「だけど、ドレスが……!」

「ふふ、こんなの、少しも気にならないわ!」


 本当に気にもしていない顔で言うものだから、レイチェルの顔はまた、扇子の下で歪みはじめる。

 悲しい顔で名を呼び見つめるハモンド侯爵にアオイは微笑んで、「ほら、見てて」と鏡の中から飛び出した。

 そしてくるくると踊るように、纏うドレスをはためかせる。温かい風がアオイと遊ぶ。

 アオイが止まれば、風も止んだ──。


「え……?」

「すっかり乾いているでしょう?」

「な、」


 滴っていた重いドレスも、風のように軽くなっている。

 濡れた形跡すら無い。


「あら、ルイ様ったら。オーランドが魔法を使える国だってご存知でしょう?」

「あ、あぁ、けど……、」

「ふふっ、わたし、風の精霊に愛されてるの」

「ははっ、君って人は……!」


 無邪気に笑うアオイを見て、ルイもつられて笑った。


「ではレイチェル様。また」

「ッ、え、ええ……」


 目の前で堂々と見せられたものに、王女は黒目を小さくする事しかできなかった。

 何も、何も出来ない。何故あの女は、何事も無かったかのように振る舞えるのか。

(私が、まるでわたくしが、弄ばれているみたいじゃないの……ッ)

 レイチェルが暫くその場に立ち尽くしていると、「あの子は、なかなか簡単にはいかないでしょう?」と待ち合わせの人物。


「ッ怜様……」


 見てらしたのと、バツの悪い顔をする。

 怜も一部始終を目撃し、駆けつけようとしたがその足を止めたのだ。何故ならアオイのその瞳に灯ったものが見えたから。勿論ハモンド侯爵に先を越されたのは悔しいけれど。


 並んで歩くハモンド侯爵とアオイの背中を見つめながら、怜もまた、心に覚悟を灯したのだ──。

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