犬語


 つばめも巣に帰る夜更け。

 本日の狼森本邸での会議で、とある情報を元に辺境伯としての動き方も決まり、別邸へと戻った怜。

 街へ行ってきたアオイは、ご機嫌に邸の主人である怜の元へ駆け寄った。

 そんなアオイを見て何方どちらが犬なのか分からないなと呆れながらも、溜まった疲れも吹き飛んでしまう。



「はい! お土産!」



 ころんと、てのひらに何かが転がる。

 丁寧に添えられた手の温もりが吸い付くようだった。



「私に……?」

「そう! すっごく可愛くて怜っぽいと思ったら本当に怜だったんだよ!」



 街にて買ったネクタイピンを早速渡すアオイ。

 特に包装されていないプレゼントは、怜にとって新鮮だった。

 女性然り、誰かから貰う品はいつもかしこまっていた。

 こんなに自然に渡された事が気兼ねない関係のような気がして、何だかくすぐったい。

 そして、私も帯留め買ったんだよと見せるアオイに、それは御揃いと言うことかと堪らなく嬉しくなった。



「怜にはネクタイピンが似合うかと思って」

「ありがとう。大切にするよ」



 込み上げる喜びを隠すのに必死な怜。

 もしそれが溢れたら子供のように飛び上がってしまうかもしれない。

(それにしても。アオイが私に、人間の私に贈り物をしてくれるなんて……)

 じーんと噛み締めている怜だが、アオイはネクタイピンを撫でながら楽しそうに話し出す。



「ねぇ、ほら、ここのね、この脚! みて! すっごく可愛いでしょう? 丁寧に作られてるよねぇ。それにここ! 風になびく尻尾! あぁ可愛い! シルエットでも分かるこの美しいマズルと耳! あぁ可愛い!!」

「う、うん……?」



 何かおかしいぞと感じる怜に、街へ一緒に行ったステラは呆れたように首を振ってみせた。

 どうやらこの贈り物はただ単にこの山犬のネクタイピンが可愛かったかららしい。

 それでも嬉しいことには変わりないのだが、何だか複雑。



「怜にも早くあのお爺さんに会わせたいなぁ……今度は一緒に行こうね!」

「! あぁ、そうだな」



 喜んで、と返事をするが、いや待てよ。

 今までの流れからしてこのアオイが「一緒に行こうね」と言うのは恐らくデートをしましょうと誘っているのでは無いのでは。



「……その、会わせたい、と言うのは? それに私だったとはどういう意味だ?」

「そう! それがね! 斯々然々かくかくしかじかだったんだよ!」



 子供のように輝く瞳で説明した気になっているのだろうが、巨犬で犬語を話せるが残念なことに妖精ではないのでそれでは分からない。

 そう言うとひどく残念そうに、「あぁ……」とアオイ。

 ただ単に説明するのが面倒なだけなのではないか。



「えっとね。この店のお爺さんが十六・七歳ぐらいの時、怜に助けられたことがあるんだって。それで会わせたいなと思って」

「助けた? 私が……?」

「そう。その時の姿が忘れられなくて、趣味の銀細工で山犬を作ってるんだって。だから! 買ったの! 可愛いし!」



 また銀細工を撫でながら、もふついた怜を思い出し興奮するアオイ。

 人間に戻った最初の頃はそれこそよそよそしかったものの、今では普通に会話が出来る。

 逆に山犬の姿だとアオイの気が狂って会話にもならない。

(それにしてもこの銀細工……何処かで見たような……)

 はて何処だったかと首をひねっていると、アオイはひとこと、そのお爺さんはこの領地の村の出身だそうだと添えた。


 それで思い出した。

 見覚えがあるのは当たり前だった。

 以前、初めてアオイと狼森本邸へ行った時にアオイが付けていた帯留め。

 怜の母が領地の男にプレゼントされたと言っていた、狼のシルエットの帯留めが、アオイから貰ったこのネクタイピンと同じだ。

(あれは狼ではなく、私の、山犬の姿だったのか……)


 母がその帯留めをプレゼントされた時、既に還暦を越えていた。

 そこから計算すると、大体60・70年程前だろうか。

 正直、昔というものが長すぎてハッキリと覚えていない。

 けれど領地の少年が襲われていたのは確かに覚えがあった。

 それがまたこんな形で知る事となるとは。



「そうだな、今度一緒に会いに行こう」

「うん、きっと喜ぶよ」



 ふわりと微笑むアオイに、今すぐにでも抱き締めて僅かに残ったこの疲れも全て吹き飛ばして欲しいと考えてしまう。

 山犬の姿に変身すればアオイ自ら抱き付いてくれるだろう。

 けれど、もっと感じたい。

 素肌で、細かな温もりや感触を指先で感じたい。


 疲れているのにごめんねと、申し訳なさそうにするアオイに、そんな事はないよと微笑み返すも、やはり二人の間には距離を感じる。

(もう少し、もう少し先に、進んでみても良いかもしれない)



「私は、取り敢えずシャワーを浴びてくるよ」

「うん」


「旦那様、お食事はもう、」

「あぁ、本邸で済ませた」

「畏まりました」

「いつも帰りが遅くてすまない」

「いいえ、大変なのは旦那様の方ですもの」

「ありがとう、コニー」



 本音を言えば、もうウンザリだった。

 毎日会議と情報を集め、やっと出てきた事実は呆れたものだ。


 蒼松そうしょう国の王妃は、紅華フォンファ国の一部の貴族と協力し、田舎の村で薬を不法に栽培している。

 自分達の若さを保つための薬草だ。

 正規のルートで仕入れてもたった数グラムで相当な値段がする。

 それを紅華国の、田舎のそのまた辺境の村で不法に栽培させ、正規のルートでの販売は少量のみ、その他は横流しで栽培者に入る賃金は僅かだろう。

 そもそも紅華国でも栽培数は規制している筈。

 隣国の貴族には金を積んでいるのだろうが、その金は何処から出ているのか。

 最悪、我が国の王妃は国庫を使っているかも知れない。

 どこまで王妃の周りが腐敗しているのか、まだ、分からない事だらけだ。


(…………しかし、まさかその村の飼い犬に情報を貰うとは……)

 とても複雑ではあるが、犬語が話せる事には感謝しないとなと、渋い顔をする怜だった。

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