お出汁と御兄様
「眩しい! 海だ!」
「ということは」
「どうやら到着したみたいですね」
振り返った百日紅の道は、まるで夏の終わりを告げるかのようにひらひらと花弁が舞い踊り、見送る妖精達は「ばいば~い」と小さな手を振っていた。
アオイとハナは同じく手を振り、怜はひとこと「ありがとう」と呟いて、貝殻で区切られた森の境界線を越えた。
三人の隙間を縫うように潮風が吹き抜ける。
久し振りに見た白い砂浜と海は、キラキラと暖かな太陽が反射して少し眩しい。きっと狼森家別邸の皆も海とはこんなだったなと、そう思うだろう。
ふとアオイを見れば、辺りを見回し誰かを探している。海の妖精を探しているのだろうか。
──「あおいーーーーー!!」
すると遠くの方から男の声がする。
(はて。フローラに聞いたのは、綺麗な
「あ!? そんなとこから!?」
海の方から呼ぶ声に気付いたアオイは、馬から降り靴を脱ぎ捨てると、ぱしゃぱしゃと波際まで声の
アオイを呼び捨てにする人物に目を凝らすと、ひとりふたり乗れる程度の小さなヨットでこの砂浜へと向かっている。
大きく手を降り、穏やかな波と共にゆっくりと近付くその風貌は、まるで絵に描いた爽やかな海の男──。
これまた属性の違うイケメンである。
小麦色の肌と、ウェーブのかかったナチュラルショートの髪は、太陽に当たっているせいか透き通った琥珀色に見えるが実際は濃いウィスキー色。目元はアオイに似ているが、瞳の色が
一体誰なんだと、アオイとその男性を浜辺から見守る二人。
「少し見ない間にまた綺麗になったんじゃないか?」
「そう? 単純に成長したんじゃない?」
男はヨットを浜に引き上げ、アオイに近すぎる程に近寄ると、さらりと髪を撫でた。アオイも「久し振りだね……!」なんて、愛しむような顔で抱き付いているではないか。
何て事だ。まさかアオイに
いや、そもそも知らなかった己が悪いのか。果たして目の前の状況は真実か?
今までそんな素振りなんて微塵もない。フローラもアオイが男性と二人きりになるのは初めてだと言っていたではないか。
いや、だからと言ってそうとは限らないのでは、それにこうして目の前で抱き合っている。そもそもコイツは誰なんだ。
目の前の状況が理解できない怜とハナは馬に跨がったまま石化。当のアオイはというと、
「じゃ、改めて紹介するね! こちら私の兄……って、二人共どうしたの……?」
「……は?」
「あ、あに……!?」
「え、うん……兄、のルタ·カイルです……。ふたりとも大丈夫……?」
なんだ兄かと、ほっと胸を撫で下ろす二人。しかし気が付いた。アオイの兄、それはラモーナの公子だということに。
目線を下げるべく、そっと馬から降りてみた。
「こほん……お初に御目にかかります。私、狼森れ」
「あーあーあー。いー、いー!」
「……え」
にこにこと爽やかな笑顔で堅苦しい自己紹介を阻止するアオイの兄、カイル。
白い歯を太陽に反射させながら「いーの、いーの!」と、まるで旧友かのようにイケメン同士肩を組んだ。
「アオイから手紙で聞いてる。山犬の怜さんだろ? あと、護衛のハナさん?」
「はい! ハナと申します……!」
「いやーーー、手紙で怜さんの話ばっかりするからどんな奴かと思ったら! こんな綺麗な人連れてきてお兄ちゃんビックリ!」
ばしばしと肩を叩かれるが、兄と言えど公子、加えて初対面であるから「いえそれ程でも」と無難な反応を見せた怜。
その前に手紙で怜の話ばかりと言う方が気になるが期待しなくともどうせ“山犬の話ばかり”していたのだろう。
(うぅん……それにしても兄妹か。そりゃあ目元も似ている筈だな)
「もうバレちゃったし、隠す必要もないから改めて自己紹介するね。私のね、本当の名前はヒューガ·アオイ·ラ·モーナって言うの。だからお兄ちゃんもフルネームだと、ルタ·カイル·ラ·モーナ」
「因みにラモーナの地域では〈ラ〉は愛すべきとか愛しいって意味。〈モーナ〉は平和って意味。フルネームだと外国じゃ身元バレバレだろ? だからいつも〈ラ·モーナ〉は省くんだ。長いし」
「そう、長いしね」
〈ヒューガ·アオイ〉が名前の一部だったことにも勿論驚いたのだが、やはり兄妹、言う事が似ている。
「そういえばアオイ、海の妖精はもう呼んでも良いのか?」
「え、うん! すぐ来てくれるの? いつそんな伝が!?」
「へっへーん! アオイより一年も早く国を出て海ばかり行ってたしな! それに海関係の妖精に好かれてるのか、海に出てると心地良いんだよ」
「そう言えばお母様もウンディーネの子供なんじゃないかって疑ってたほど水場で遊ぶのが好きだったもんね」
「おい。その話はいいって、母上が拗ねる。それに! 海が好きなのは風に乗って航海するのが好きだから! な? 立派な風の子!」
「はいはい」
内容はさて置き、兄との会話はなんだか新鮮だ。家族ならではの距離感に、羨ましくさえ思う
いつか自分もと見つめていればアオイの兄カイルは、「おーーい! スキュラーー!」と沖の方に向け誰かを呼んだ。
すると沖で大きな水音がする。
──────ゴゴゴゴゴゴ、
ぐるぐる、ぐるぐると海は渦を巻き、すべてを巻き込んでしまいそうなほどの
「まー、まー、見てな」と宥める兄の横で、妹のアオイも驚いていた。
──「もう少し待ってて~!」
微かに、渦の中から微かに声が聞こえる。
渦潮は段々と浜に近付いてくるので皆を飲み込んでしまうのではと恐怖を感じ、後ろに一歩下がろうかとした瞬間、渦の中心から美しい女性が現れたではないか。
上半身しか確認できないが、彼女が浜に近付くほど渦は勢いを落としていく。
その姿はまるで噂に聞く男を惑わす人魚。
プラチナブロンドの美しく長い髪は真珠で飾り付けられ、瞳はこのキラキラと輝いた海を閉じ込めたよう。
貝殻と真珠で作られたもので胸を隠しているだけなので目のやり場に困る。
「ごめんなさい、少し深いところに潜っていたから時間が掛かってしまって……」
鈴を転がすような声だ。
浅瀬まで上がってきたが、それにしては波がまだバシャバシャと大きく跳ねている。
姿が明らかになると、アオイは嬉しそうに「いっぬ!」と叫んで近寄る。
確かに犬であることには間違いない、間違いないのだが、美しい女性の下半身には、六頭の白い犬が奇妙にも混ざり合っていた。
まるで異形の化物。
これが海の妖精かと、怜とハナは唾を飲んだ。
「白いわんこ! 可愛いねぇ!」
「こらアオイっ……!!」
「へっ?」
アオイは犬にしか興味が無いのか、なんの不思議も感じず犬達の頭を撫でようとするも、兄であるカイルに怒られる。
「ったく! 俺と同じ過ちをする気か……! よく見ろ! 女性の下半身だぞっ……!?」
「は、はえっ!? あ、ほ、本当だ!?」
「えぇ、でもこんな、撫でてみたいな目で見てくるのに……!」
「駄目だ! 今は一心同体なんだからおさわりなし!」
「なまごろしだぁ~……!」と葛藤するアオイ。
何故この姿を見て驚かないのか。
やはり見てきた世界が違うのか。
海の妖精は「ふふふ! さすが兄妹ね、普通はあちらみたいな反応が正しいものよ?」と驚く怜達を見て美しく微笑んだ。
申し訳ないと謝る二人に、「いいのよ」と首を振る。
「寧ろ普通よりは良い方だわ。あの兄妹がおかしいのよ! でも、それが嬉しい」
海を閉じ込めた瞳は、葛藤しているアオイとそれを抑える兄をも瞳の奥に閉じ込めるかのように、じっと見つめている。
「私はスキュラ。この姿は、呪いにかけられたからなの」
「呪い?」
「妖精でも呪いにかかるのですか……?」
「ええ。あれは何時もと変わらない朝──。私は潮溜まりで身体を洗おうとしたんだけれど
「なんとも身勝手な話だな……。呪いを解く方法はあるのか?」
「いいえ、今のところは何も」
「そうか……」
「ただ、世界樹の森にある神聖で清らかな泉の水を飲むとどんな呪いも解けると言われているわ。でも私は行けない。神聖な森を壊してしまう。だから今もこうして、自分の領域である海に居るのだけれど……」
過去を伝い寂しく笑うスキュラに、辛い思いをしたのだろうなと、犬に変えられた二人は同情した。
自分達も色々とあったものだ。
こうして今では仲が良いが、呪いにかけられた当初は言い合いばかりしていた。
それを乗り越えての狼森家、きっとスキュラもそうだったのだろう。と、そう思っていたのだが。
「この子達の犬掻きが激しすぎて沢山の船を沈めちゃったのよねぇ。まぁ美しい海を汚す奴らは沈んで当然だものね」
「……ん?」
「え……?」
「今まではいちいち歌ったり海に誘い込んだりしていたけれど、物理で一発ってとっても楽なの! しかも恐がって近付く人間もあまり居なくなったし」
やはり妖精は妖精だなと、思わず渋い顔になる。
しかしより渋い顔になってしまう話がまだあった。
「けれど下半身が犬だから、人間の男と遊ぶことが出来なくなってしまったのよねぇ……。残念だわ……」
「は?」
「え?」
「この姿で恐がられてしまうの……。でもカイルは海も綺麗に丁寧に扱ってくれてこの姿でも恐れなかった。初対面の時のように下半身を撫で回してくれないかしら……御願いしてるのだけれどカイルったら真面目で……」
下半身。
撫で回す。
犬が下半身。
撫で回す。
──「今は一心同体なんだから」
あぁ成程ソウイウコトデスカと話を聞いていた二人は白い目。
(というかスキュラはそんな事だから呪いにかけられるのでは? ………いや、これは自分へ帰って来る言葉だな……何も言わないでおこう……)
「す、すきゅら、な、なに言って……!?」
「なにって、事実じゃない。優しくってでもちょっと強引で……、すっごく気持ちが良かったんだもの! でも撫で回すだけなんて、お預けされたようなものだわ……」
「お、お、お、お、お、おにいちゃん……!?」
「うわーー! 違うんだ……! 誤解だ誤解……!」
「んなぁあにが違うって言うのよォ!!」
「し、知らなかったんだって~……! アオイだって撫でようとしたじゃないか……!」
「わ! 私は良いの! お兄ちゃんは女性にっ、なんてコトしてくれたのよーー!!」
「うわーー! 待てって……!」
実に新鮮。
こうしてアオイが兄妹で戯れているのは実に新鮮だ。
羨ましくもあり、微笑ましくもある。
だが本題に進まない。
イケメンをいけわんにする話は何処へやらだ。
このままでは日が暮れてしまうのでスキュラには自ら聞くかと諦めた怜だった。
(やめろハナ。そんな目で私を見るな)
まず、話しに聞いていた通り呪いの条件は怜にぴったりだった。
自由に姿を変えられ、完全に呪いを解きたいならまたスキュラの所へ来れば薬を作ってくれる。
カイルの妹の恋人未満さん(あながち間違いじゃないので否定しないでおく)なので特別、あとイケメンだから、だそう。
しかし薬の材料は時期もあるし、その時によっては揃えられないかもしれないという事。あと私の気分だとも。
「それでも良いなら、これをどうぞ」
そう手渡されたのは小さな酒瓶。
中には酒、ではないようだが液体が入っている。
栓を外し匂いを嗅いでみると、なんともお腹が空きそうな良い香り。
(これ、
「海底にしか生えない貴重な海藻と、長く生き亡くなった魚たちの骨、そして生まれ変わるために捨てられた貝殻、但し三日以内のもの。あとひみつの材料。それを何時間も煮詰めて、濾したら完成よ」
「………(うむ、出汁だ。ほぼ出汁だ)」
「その酒瓶は人間たちが海に捨てたもの。小さな魚たちが閉じ込められて出れなくなることもあるから、使い終わったらちゃんと捨ててね?」
「勿論だ」
「使い方はそのまま飲むでも料理に混ぜるも、少量でも多量でも効果は同じ。集めるのとっても大変だったんだから」
「ありがとう。大切に使うよ」
ふふふと微笑むスキュラは、やはり美しい顔。
見れば犬達も優しい顔をしていた。
「私も、久し振りに誰かのために薬を作って楽しかったわ。いつか、機会があれば、世界樹の泉の水を……、いえ、そう簡単に行ける場所じゃないものね……今のは忘れて頂戴」
「いや。必ず、いつか持っていくと約束するよ。貴女も私も、あの兄妹に対する気持ちは同じ筈だろうから」
「……えぇ、そうね。楽しみにしているわ!」
「おい、アオイ! 帰るぞ!」
「えぇ……!? まだ本題がぁ……!」
「それはもう此処にある」
「うっそ! いつの間に……!?」
「アオイ様が兄妹喧嘩されているときに全て終わりました」
「アッ……」
ふたりに、いや、ふたりと六頭に別れを告げ、三人は新たに彩られた百日紅の道をまた、進んでいくのだった。
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