愚問だとは、言わないで


 ───はっ、はぁっ! 大変! アオイ様がッ……!!」


「一体どうしたって言うのよ。そんなに慌てて……」

「アオイ様が! 男に連れ去られた……!」

「えっ……」



 窓硝子を丁寧に拭いていたシェーン。

 すると庭に男が見え最初は鬼塚だと思ったが、わらわらと三~四人集まりたちまちにアオイを取り囲むではないか。

 そして手際良く抱えて連れて行ってしまった。

 呪いにかけられた100年間は、結界のお陰で侵入者がいれば直ぐに分かったが今はそうも行かない。

 窓を開け持ち前の身軽さで飛び降りるも、犬に慣れたこの身体ではプロ相手に追い付けない。

 例え追い付いたとしても、情報屋として狼森家で役に立つ己ではどうする事も出来ないだろう。

 身なりと特徴、向かう方向を覚え、他二人のメイドの元へと走り出した。



「私達が一人にしてしまったからよ……!」

「いくら加護が強くたって、一人の女の子なのに……」

「あぁアオイ様、どうしましょう……。と、とにかく! 本邸に連絡!」


「緊急召集よ! 私は庭師達を呼んでくる! その後買い付けに行っている二人を呼び戻すわ!」

「私は畑に行ってる二人!」

「先に警備人の誰かに追い掛けてもらいましょう! あと旦那様にも知らせなければ、今日お戻りの予定だもの。きっとどこかの道で会う筈よ……!」




 ───────────────

 ────────────

 ──────

 ───


 庭師、料理人、メイド達は別邸にて待機中だ。

 誰一人、口を開かぬまま時は過ぎ、時刻は午後九時を回った頃──。



「何か手掛かりは……!?」



 謁見が終わり、鉄道の終点から田舎道を馬車で帰っている途中、このペースだと別邸到着まで日を越えるだろうという話をしていたところで、警備人のハナが馬に乗って迎えに来た。

 嫌に慌てた様子だったので理由を聞くと、アオイが男達に連れ去られたという。

 直ぐ様ハナと交代し、馬に全速力で走ってもらっても別邸に辿り着いた頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。

 火事場の馬鹿力と云う言葉があるように、必死になれば忘れていた乗馬も以前のように難なくこなす。

(こんな事なら一緒に同行させればよかったか……!?)


 シェーンの話によれば隣国の〈蛇黑ダッコク会〉と呼ばれている組織だろう。

 しかし相手が分かっていても、辺境伯ともあろうものが国境を手続きも無しに越えられない。

 二国間で辛うじて結ばれている協定を破ってしまうことになる。

(賊共にそんなものは通用しないようだがな……)

 直ぐそこに居るかもしれない、もう結界も何も無いのに、越えられない壁がある。



「旦那様、紅華国側から許可が降りたと連絡が」

「そうか……!」



 ナウザーが紅華国に掛け合っていた、国境を越える手続きが済んだのは日の出前の事だった。

 許可が下りたのは領地のすぐ隣の村までだが、今はそれで十分だ。

 自国での人身売買ならばまだしも、他国から人を攫ったとなると紅華フォンファ国側も動かない訳には行かぬ。

 ましてや首都から遠く離れた国境沿いに軍をすぐに派遣できるかと言われればそうも行かない。

 地元の警察は向かっているが、蛇黑会と繋がりがあるためいささか不安だ。

 これは時にあるじにさえ噛み付く狼森家だから下りた許可である。


 

 直ぐに怜とハヤテとスバルの三人は、紅華国の森を少しの声も聞き逃さないよう耳を澄ましながら馬を走らせた。

 東の空が明るくなり森に朝日が差し込むと、冷えた空気が暖められ霧が視界を遮っていく。


 それから十五分程経った頃だろうか。

 今まで風なんか吹いていなかったのに突如ひとつの強い風が森を駆け抜けていった。

 風は霧を連れて行き視界が開けると、ドスン、ドスンと地面が微かに揺れたのを感じる。

 あまりに不可解な音なので、きっとアオイの身に大変なことが起こっているのだと思い、音の方向へとスピードを上げたその五分後──、遠くの方に馬が見える。

 女が乗っているようだ。



「あれ……? おーーーい……!! 怜ーー! ハヤテとスバルーー……!」


「アオイ!?」

「アオイ様だ!!」

「おーーい! って呼んでるからオレも、おーーーい!!」



 このはつらつとした声はまさしくアオイ。

 急いで近付くと、ドレスは破け太腿ふとももが露になっており、両手は拘束され鎖がついたまま。

 足も拘束されていたのか足首には痣が出来ている。

(なんて事だ……)


 安堵と共に湧き上がるのは、紛れもなく怒りだった。

 ハヤテは「皆にも知らせて来るっ!」と、一足先に別邸へ戻って行った。

 お馬鹿だが真っ直ぐで優しい子である。

 急いでアオイの手首の拘束を解くと、怜は思わず抱き締めた。



「わっ……!」

「良かった……何処か痛むとこは!?」

「今は手首かな……」



 足首の痣よりも手首の方が酷い、恐らく無理に引っ張られたのだろう。

 他には何をされたんだと問うと、目を固く瞑り、「気持ち悪いこと……」とアオイ。

 腿まで裂かれたドレスに頭を過るのは、最悪な光景だ。

 それがもし本当に起こっていたなら己を保ってはいられないだろう。

 けれど知らねばならぬ。



「どんな、ことだ……?」

「お尻を、揉まれた……」

「!?」

「耳も舐められたし、」

「!!?」

「あと、こ、腰に……」

「どうした……!?」

「腰に、あの、男の人の……ふ、服越しだけど、押し付けられて……」

「なッ……、」

「指で、」

「指で何だ……!?」

「親指で、付け根を擦られて……」

「擦られて……!!?」

「すごく気持ち悪かった……」



 うう、と唸るアオイは肩が震えている。

 拘束されていただろうに、よくここ迄女ひとり逃げてこれたものだ。



「後は!? それだけか……!?」

「うん」

「他に何か酷いことは……!?」

「ううん、大丈夫……」



 その様子から、それ以上の事はされていないのだと見て取れる。

 しかしそれでも許せない。

(こんなに、アオイを傷付けたこと。私はどうしたって許せない)



「で? その男達は何処に居るんだ……!?」



 地獄の底まで追い詰めてでも必ず報復してやる。

 そうでないと己の、狼森家の皆の気が収まらない。



「え? 男達……? えーーっと……?」



 ぐるーりと、アオイの視線は宙に浮いた。

 おや、これは様子がおかしい。



「ん?」

「……え?」

「……ん?」

「え、っと……、運が、尽きてなかったら……、崖の下で、生きてる……かも?」

「………」

「へへ……」



 あぁ確かにそうだったと怜は呆れた様に首を振った。

 こんなに平和ボケのクセして、何故今まで無事で居るのか。



「ッはぁ~~~~……」

「なによっ!」

「そうだった、そうだった。アオイは絶大な加護を受けられているラモーナの出身者様でした」

「そうだけどぉ~……」

「と言うか加護があるならそもそも何故! 連れて行かれてしまう!? 未然に防げたんじゃないのか!?」

「あーー……、いやそれはーー……」



 もう既に奈落の底に落としている事にも驚きだが、そもそもの疑問はそこだ。

 これ程強い加護を受けながら何故連れて行かれたのか。



「いやぁ、怜を犬に戻す事について夢中になっちゃって、風の声に気付かなくて……」

「………は?」

「いや迷いの森じゃないから、ちょっと時間掛かっちゃったけど、あの、ちゃんと森の皆に助けてもらったし、ほ、ほら、こうして無事なわけだし……」



 言い訳しているアオイを見て、ここぞとばかりに怜はまた、「はぁ」と溜息。



「し、心配をお掛けしまして、すみません。ご迷惑おかけしました……、あと、ありがとう」



 まぁアオイが無事であっただけ良しとしとこう。

 でなければこの心配は何だったのかと愚問地獄だ。

 では帰ろうかと言うと、にこりと微笑むアオイ。

 朝日が溢れる森の中、コツコツと響く馬の蹄鉄と鳥の声、さわさわと木々の葉を撫でる風、遠くの沢の音。

 こんな格好でさえ彼女の事を美しいなと思ってしまうのは、己の頭がおかしいのか。

 ハモンド侯爵の言葉を借りるなら、まるで妖精のようだ。

 怜の視線に気付き瞳を交えたアオイは、お返しの様に「はぁ」と溜息。

 どうせ「人間かぁ」とでも思っているのだろう。

(言っとくが失礼だぞ……!? 甘い吐息でもないその溜息は……!)



「でも良かった。何だか皆の顔見たら安心した。こうして探しに来てくれて私は幸せ者だよ!」



 怜は一瞬驚いて、言葉がすぐに出なかった。

 人間の姿であるのに顔を見たら安心したと言ってもらえる存在であったことが、嬉しくて堪らない。

 幸せだと、素直に言ってのけるアオイを心底尊敬する。

 久々に見た向日葵ひまわりの様な笑顔が眩しくて、思わず心臓が跳ねた。


 ──私達は、100年経とうとしていた時、その笑顔に出会った。

 別邸の皆はたちまち元気よく動き始め、まるで止まっていた時間が動き出すようだった。

 怜も、別邸の皆も、アリスも、クリスも……笑顔は伝染していった。

 その笑顔にどれだけ元気をもらったか。

 その笑顔が、どれだけ見たかったか。

 その、真っ直ぐな曇りのない笑顔が、皆どれだけ好きか。

 アオイは知らない。

 今は知らなくたって良いだろう。

(その内にきっと、分からせてやるから。アオイで良かったと、これは嘘偽りなく、自信を持って言えること)



「まーー怖かったけどさー、悪いことをしたら自分に返ってくるって事。あの人達は身をもって知ったわね!」

「ははっ……」

「誰も見てないと思っても、みーーんな、見てるからね」

「………はは、そうだな」

「もーー、怒らせたらみんな怖いんだからー」



(いやお前が一番怖いよ! そのに指図したのはお前だよ!)

 果たして二人の未来を『まもる』のは、怜かそれともアオイか。

 いいや、そんな事考えても仕方がない。

 むしろ考えない方が良さそうだ。

 若干の恐怖を覚えながらも、無事に別邸へと辿り着いた怜達だった。

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