究極のもふり。


「おかえりなさい!」



 アオイは元気よく飛び跳ね、そのままぼふんと怜の首元に抱きついた。

 衝撃で巨犬が吠える。

 ダブルコートの体毛は温もりを逃さぬようしっかり保温し、冷えきったアオイの頬にもその温もりが伝わる。



「んーーん。あったかい……」


「あら旦那様、お熱いことで」

「はっ。旦那さんも隅に置けねーなぁ」

「なに!? どうした!? 何でくっついてんだ!?」



 怜の足元に居るのは警備犬の柴達、ハナとスバル、あとちょっとお馬鹿なハヤテ。

 そんな柴たちの言葉も届かず「可愛いねぇ」とまた涎を垂らし離れぬアオイをひっぺがそうと、大きな口で彼女の衣服を噛もうとする怜だが、微妙に避けやがる。



「やだ、流石に見てるこっちも恥ずかしいわ」

「なぁ。どんな気持ちで見りゃいいんだよ、ってな」

「なんだあの女! 嫌がらせでもしてんのか!?」

「「うん、お前はちょっと黙っとけ??」」

「えっ! 何で……!」



 傍から見ればただイチャついているだけの光景に呆れる柴二頭。

 注がれる視線に年甲斐もなく恥ずかしくなり、いい加減にしろと牙を見せ威嚇する怜だが、犬好きな少女にはあまり効果は無かったらしい。

 ただ「んふふ、かぁーいーねぇ〜」と涎を垂らすだけであった。



「ねぇ怜、明日は? 明日もお仕事?」

「明日は……」



 期待を込めた瞳で見るアオイだが、こんな姿でずっと閉じ込められ、やる事など殆ど変わらない毎日だ。

 そりゃあ最初の頃など己を含めこの別邸の皆は、変わらぬ毎日にうんざりしていたが、いつからかこの毎日が、せめて変わりのない平和で守るべき日々として過ごしていた。

 長い年月のなか政権交代などで情勢が揺らぐことはあれど、結界の外に出られない自分達にとっては目に見えぬものだ。

 獣である自分達は、この土地を護るだけ。

 むしろそれしか出来ないから。


 答えに困る主人に、警備犬のハナは「明日の旦那様はお休の予定ですよ」と言う。

 続けてスバルも「あぁ。日課の散歩がてらの見回り以外、予定は無いですもんね?」と合わせた。



「え! オレ聞いてないぞ!? でもアレだな! 折角ならこの女も一緒に散歩すればいいぞ! 朝は涼しいからな! 運動は大事だもんな!」

「まさかハヤテがそんな良い事言うとは驚きだぜ」

「えぇ全くね。というか旦那様には首輪でも付けないと危険じゃなあい? 色んな意味で」

「確かにな」



 好き勝手話を進める柴たちに、「お前らもいい加減にしろよ」と注意するが、過去の自分を振り返ってみても女性と二人きりになろうものなら確かに取って食っていた。

 あまり強く叱れないのも、全部己が悪いからだ。



「つかさ、首輪して散歩とかマジでただの散歩じゃね?」

「やだ! スバルったら!」

「なになに!? なんか面白いことか!?」

「おいハヤテ。想像してみろよ。旦那様が首輪付けられてさ、人間にリード持たれて散歩してる姿」

「ぶはっ! 何それ!! 超面白い!!」

「ちょ、スバルっ! お腹いたっ、面白すぎよそれっ……!」


「お、お前らなァ……いい加減に……」



 ゲラゲラと雪に背中をこすりつけ笑う柴達に、怜も我慢できなくなりそろそろ唸り声をあげようとしたところ、アオイが「こんな大きな首輪があるの!?」とまた抱きついて追い討ちをかける。



「ぶはっ……!」

「アオイ様までっ……!」

「ぎゃはは!! やばい! オレ笑い過ぎておしっこ漏れそう!!」



 そう言って椿の垣根に隠れ片足を上げるハヤテだったが、「ちょっと!? ハヤテ!! 貴方私の大事な椿にまた小便垂れるつもり!? 何回目よ! 匂いで分かるのよ!?」と東屋で女子会を開いていたローラに見つかり、その屈強なボディで投げ飛ばされたのだった。




 ──そして次の日。



「ここ、気持ちいい?」

「あぁ」

「ここは?」

「うむ」

「こっちはどう?」

「あぁ。まぁ……気持ち良いのだがな」

「ん?」

「何と言うか、会話だけだとな、」

「ん?」

「少々卑猥ではないか?」

「はい?」



 決して卑猥な事などしていない。

 ただのブラッシング中だ。

 何言ってるのと突っ込まれる怜の隣には、大量の抜け毛。

 爽やかな散歩の後にはブラッシングするのがお決まりなのだ。


 夏の早朝、厳密に言えば夏の庭で約束したふたり。

 互いの歩幅が合わないからと怜は自身の背中にアオイを乗せ、見回りがてらの散歩へと出発した。

 大きな首輪は無いのかと残念にしていたアオイだったが、むしろこちらの方がよっぽど嬉しい。

 歩く度に動く肩甲骨を特等席で眺められ、愛おしさが子宮にまで響いてしまう。

 慣れた風にバランスを取るアオイだが、まさかいつぞやの西方の国で荒野を駆ける馬達に乗せてもらったときの筋肉がこんなところで役に立つとは思わなかった。

 培ってきた経験は無駄ではない。


 特に気にもせずスカートを腿まで捲りあげ、背中に跨ったアオイだが、「この国では女性は脚を出さない。気を付けろ」と巨犬に注意された。

 どうやらこの国で女が脚を出すのは宜しくないらしい。

 世界で見ると四割方の国がそんな文化だ。

 まぁ気候もあって脚よりももっと出ている国もあるのだが。

 意外と小煩いわんこねと、少し意地悪く言ってみると、「ふん」と鼻を鳴らす。

  鼻息で砂埃が舞うから、何だか可笑しかった。

 そんな他愛ない会話をしていたのだが、大きな犬は突然ピタリと止まる。



「どうしたの?」

「此処までだ。ここまでが私が行ける土地。アオイは出れるがな」



 怜は前足の爪で、コツコツと内と外の境界をつつく。

 まるで硝子のようだ。

 試しにアオイが腕を伸ばすと、以前と同じで、ぼわん─と膜のようなもの。



「わわ……! 本当だ! 不思議……!」

「気を付けろ。ここは国の端、一歩出れば国境を超えると言うこと。無闇に行くんじゃないぞ」

「そっか。やっぱり、怜は辺境伯なの?」

「……あぁ。そうだ」

「わぁ、すごいや」



 目の前の物体が犬と信じて疑わないアオイは、言葉を理解し話す、神でもおかしくない犬が人間と共に働き同等の爵位である事に感心を示した。

 他の国にも人語を話す動植物が存在しているが、神格化されているのが殆どだ。

 崇めるべき神か、もしくは特定の人間と契約を結んでいるか。

 どちらにせよ特別な存在だ。

 


「あ! でも田舎の人見知りの少年は喋る猫と秘密の友達だって言ってたっけ? あぁあの子達、元気かなぁ……」

「よく、知っているな。アオイは色んな国を旅していたのか?」



 過去を思い出し、楽しそうに喋るものだから羨ましくなる。

 己の過去は振り返れど振り返れど、沢山の後悔ばかりだった。



「えぇ、そうよ!」

「若いのに立派だな。そもそもお前は幾つだ?」

「ん~、人間歳でいうと十九歳ぐらい?」



(にんげんどし……とは?)と考える怜だが、そうかと取り敢えず納得しておく。



「不思議だよね! 国が違えば怜は神なんだよ!」

「ふんっ、神か。それはなかなか面白いな」

「いつか怜も神になれる国に一緒に行こうね」

「……そうだな。いつか、な」



 いつか。

 そんな日は来るのだろうか。

 それは獣の姿のままなのか、それとも呪いが解けるのか。

 解けてしまえば人間のままだ。

 そうなれば彼女との約束は守れない。

 百日紅ヒャクジツコウの花は、あと少しで散ろうとしている。

 もって一ヶ月ぐらいだろう。

(あの花が散れば一生獣のままか……。しかしアオイなら、アオイならこの姿のままでも、きっと……)



「そろそろ、戻るか」

「そうだね。私お腹すいちゃった」



 それから、「ここも気持ちいいでしょ?」となんだか卑猥な事を想像させるブラッシングへと繋がるのだった。

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