第52話:悪役令嬢と聖女5

 次の休み時間、私はマルチナさんと共に1年2組の教室を訪れ、入り口付近の男子生徒に声を掛けた。


 「失礼。トラヴィスさんはいらっしゃるかしら」

 「ひぃっ、レイティア様!すぐに呼んでまいりますっ」


 男子生徒は逃げるように教室に飛び込んでいった。


 「随分恐れられてるようっすね、レイティアさん」

 「……まったく、失礼な話ですわ」


 長年マナに触れることすらできなかったトラヴィスを、立ち上がれなくなるほどのスパルタで、たった一日にして魔法を扱えるようにした鬼教官。

 それが1年2組での私の評価。

 当のトラヴィス自身が尾ひれ背びれ盛りまくって話しているものだからたちが悪い。

 相対的に自分の評価が下がっていることに、気付いているやらいないやら。

 学院内の一部において、グランノーズ式魔法習得法と呼ばれるようになった件の特訓は、実証性を検証したうえで、次年度以降正式採用される可能性があると聞いて、私は少なからず眩暈を覚えたものだ。

 当時、トラヴィスと同様にマナに触れることのできなかった、エイミーさんとマリアベルさんについては、トラヴィスでの成功の直後に、やや優しい特訓にて魔法を習得している。

 トラヴィスでの成功によって、私の信頼度がアップしたことが要因だと思う。

 さて、そんなにが酸っぱい思い出に耽っていると、私の足元に跪く影が。


 「レイティア様っ、お呼びでしょうか」

 「……」


 まるで君主に対する当然の礼儀とばかりに、首を垂れるトラヴィス・ドーズ。

 そのまま剣でも捧げられそうな勢いに、さすがの私もドン引きだ。

 まわりも勿論ドン引きだ。


 「あの……毎回申し上げておりますが、止めてくださいます?それ」

 「そうは参りません。俺の……じゃなくて私の命に等しいものを救っていただいた恩義に報いるは必然」


 きりっという書き文字が見えそうな爽やかこの上ない真剣な顔。

 相変わらず相手の迷惑考えずに、無駄に格好良さだけを追求してるわねこいつ。

 

 「はあ……まあいいですわ。マルチナさん、トラヴィスさん引っ張ってきてくださるかしら」

 「はいっす」


 私は背を向け歩き出す。

 マルチナさんは跪いたままのトラヴィスの首根っこ掴んで、私のあとをついてきた。


 「ちょ、マルチナ嬢、なにすんだ離せよ」

 「うるさいっすね。あたいはレイティアさんのいちの子分、つまりあんたより偉いっす。ちなみにあんたは三番目っすね」

 「なっ……二番は誰だよっ」

 「それはもう、あたいのダーリン……バニーに決まってるっすよ」


 マルチナさんががははと笑った。

 どこかで誰かのくしゃみが聞こえた気がするが、そろそろ寒くなってきたしな。

 

 「……子分連れだなんて、どこの悪役令嬢かしら。ねえメアリ」

 「いやあ、存じ上げませんねぇ」


 目が笑ってるわよ、メアリ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 「トラヴィスさん、ボビーという名に心当たりはおありで」

 「いえ」

 「では、貴方の実家の関係でメンデス商店というのは」

 「ああ、それは存じております。確か食料品を扱う店だったかと」


 ふむ……さすがにごろつきの名前までは知らなくて当然か。

 私は専用の控室のソファーに腰かけ、メアリの淹れてくれた紅茶を啜る。

 マルチナさんは勝手知ったる感じで、すでにくつろぎながら茶菓子をぽりぽり。

 一方のトラヴィスは、ソファーに座ることを頑なに拒んで、絨毯の上に跪いて従順な臣下を演じていた。


 「下町のパンについては、なにか聞いたことがあるかしら」

 「パン……ですか。ああ、そういえば以前、美味しいパンがあるという話を聞いて、使用人に買ってこさせたことがあったのですが、それほどではなかった気が。確かに美味しいのですが、噂になるほどのものかと」

 「ほう。ちなみにその店はどのあたりに」


 念のために場所を尋ねたが、テリーさんの店で間違いなさそうだ。

 お父様とミレーネ母様が恍惚となるほどのパンが、美味しくないだと?

 トラヴィスは味音痴なのかしら。

 私は首を傾げた。


 「レイティア様、そのパンとメンデス商店に何の関係が」

 「ああ、そうでしたわね。回りくどいのはやめにしましょう。そのパン屋の一人娘が、昨日誘拐されましたの」

 「誘拐、ですか」

 「目的はパンのレシピ。その犯行にメンデス商店が関わっている可能性があるのですわ」

 「え……?あのパンにそのような価値があるとは思えないのですが」


 トラヴィスが本気で困惑している。


 「レシピ自体は私もどうでもよいと思っておりますわ。けれど攫われた一人娘のアリス、彼女は私の大事な友人なのです」


 ぶっ。

 マルチナさん、お茶を吹き出さない。


 「平民の、それも下町に住む娘がレイティア様のご友人??何故なのでしょうか」

 「そこはあまり気にしないように」

 「し、失礼しましたっ。おっ……私は大至急父に伝えて、ご友人のアリス様をお助けするようっ!!」


 言うなり、勢いよく立ち上がって控室を飛び出そうとしたトラヴィス。


 「マルチナさん」

 「はいっす」


 マルチナさんが足をひょいと出すと、トラヴィスはそれに引っかかり盛大に転がった。


 「な、なにをするんだ!!」

 「落ち着きなさいトラヴィスさん。私はあくまで可能性と言ったまでです。それに私たちが掴んだ情報程度、すでに大人が知らないとは思ってはおりません。ですから、ここからが相談です」


 理由は言えないが、少なくとも公権力より早く、アリスを無事に確保したい。

 そのためにトラヴィスにはドーズ商会がこの件に絡んでいるか調べてもらいたい。

 そして可能ならメンデス商店とごろつきボビーの関係性、そしてアリスの居場所を突き止めたいと話した。

 無論空振りになった場合も考え、他の容疑者も洗ってもらいたい。

 犯行がまったくの第三者であった場合はお手上げだが、そのときは潔く大人に任せよう。

 

 「わかりました。任せてください」

 「わかったっす。こんなときこそレイティア・ファミリーの出番っすね」

 「やめてください、さすがに泣きますわよ」

 「そうっすか?じゃあマルチナ・ファミリーにしときましょうか」

 「従兄のみなさんが可哀そうじゃありませんか、その呼称」

 「大丈夫っす、問題ないっす、あっはっは」


 笑うマルチナさんの身体がぶるんと揺れた。


 「わかりました。私は表立って動けませんので、おふたりが頼りです。お礼は……私のおこずかいでお腹いっぱいご馳走させていただきますわ」

 「言質とったすよ」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 「予想はしていたが、警ら隊の動きは悪いねえ」

 「どうしてなのでしょうか」


 その日の夕食後、お父様は言った。


 「誘拐は無論重罪ではあるけれど、所詮下町といったところかな」

 「そうなのですか……」

 「警ら隊を管理する子爵には、表向き捜査を緩く見せるよう言い含めてはおいたがね。相手が油断してくれれば有難いね。誘拐されたのが聖女候補だと、大声で言えないのが、なんとも歯がゆいが」

 「申し訳ありません」

 「いや、その娘の親のこともあるが、ロザリアのこともある。後ろ暗いのは私も同じだ。ティアが謝ることはない。容疑者——という言い方は悪いが、レシピを求めた者達については明日にでも報告が上がるだろうから、いざとなればこちらが動けばよいだけのこと。安心しなさい」

 

 案外動きが遅い。

 お役所仕事の伝言ゲームみたいなものだし、仕方がないか。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 翌日、犯人から次の指示が届くまであと1日。

 学院の玄関前で、いつものように馬車から降りると、待ち構えていたかのようにトラヴィスが、私の足元に跪いた。

 1年生のエリアでは、すでに見慣れた光景であり、皆生暖かい目でスルーしてくれるのだが、ここではそうはいかない。

 上級生や中等部、高等部の生徒が行き交う往来でこのような真似をされては目も当てられない。

 私は大きなため息を吐いて、天を仰いだ。

 微動だにしないトラヴィスに、私は作り笑いを向ける。


 「えっと……トラヴィスさん、朝早くからなんの御用でしょうか」

 「はっ、レイティア様におかれましては本日も大変麗しく。早速ですがご報告したいことがございまして、失礼ながらお待ちしておりました」

 

 本当に失礼するわね、なんの羞恥プレイよ。


 「わかりました。ここでは生徒の皆に迷惑が掛かりますので、控室で聞きましょう。貴方はマルチナさんを連れてくるように」


 そう言って、私は跪いたままのトラヴィスの脇を通り過ぎ、校舎に入る。

 生徒の生暖かい視線が痛い。

 

 

 


 

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