第50話:悪役令嬢と聖女3

 「ここっすね」

 「パン屋……には見えませんね」


 マルチナさんに案内された場所は、下町の一軒家。

 間違っても、上級貴族である公爵令嬢が訪れるような場所ではない。

 看板すら掛かっておらず、知らぬものはここが店であることすら気付かないに違いない。

 クラリッサと護衛には、少し距離をとってもらっている。

 私の不安を気にもせず、マルチナさんはその家の玄関をくぐって声を掛けた。


 「テリーさん、こんちわっす」

 「おや?マルチナちゃんじゃないか。こんな時間にどうしたね。今日のパンは生憎ともうないんだ」

 

 人の良さそうな男性が顔を出した。

 年齢はお父様よりやや若い位か。


 「そうっすか。残念っすねー。ところで、お嬢さんいるっすか?」

 「あの子なら、使いに出てもらってるから……もう戻ると思うよ。ん?そちらのお嬢さんは」

 「あ、こっちはクラスメイトのティアさんっす。ティアさんもテリーさんとこのパンの大ファンっすよ」

 「はじめまして、テリーさん」

 「そりゃどうも。君らが来るのが分かってればパン残しといたんだけどね」

 「突然申し訳ありません。邪魔はしませんので、外でアリスさんを待たせていただいてよろしいでしょうか」

 「いやいや、だったら中で待っていた方がよいよ。こんな可愛らしいお嬢さんが外にいたら危ないし」

 「あたいのときと随分扱いが違うっすね」

 「君はなにも言わずとも、いつも中に入って来るじゃないか」

 「それもそうっすね、あっはっは」

 「マルチナさん……」


 私は呆れつつ、念のためクラリッサを呼び寄せ、一緒に中で待たせてもらうことにした。

 よい家のお嬢様だと思ったらしく、テリーさんはなるほどと納得してくれた。

 家の奥では誰かがパンをこねているらしく、ぺったんぺったんと音がしている。

  

 「あの、奥ではどなたが?」

 「妻のエリーゼだよ。明日の分の仕込みをしているんだ」

 「そうでしたか、作業を邪魔してしまっているようでごめんなさい。ところでテリーさん。こちらのお店はいつからパンを売られているので?」

 「ん?どうしてそんなことを」

 「ええ、お店に看板も掛かっていなくて不思議だったので」

 「そういうことか。3年くらいになるかな」

 「たった3年であんな美味しいパンが作れるなんて、すごいんですね」

 「そ、そうかい。じゃあ、俺も作業に戻るんで、そこらにすわっていてくれ」


 私が素直に感嘆の言葉を述べると、テリーさんは一瞬ぎょっとした表情になったが、すぐに平静を装って、家の奥に行ってしまった。

 私はあらためて家の中を見回す。

 食品を扱っているだけに、清潔にはしているようだが、外観同様どう見ても下町の一軒家。

 パンを置くために設えられた棚が比較的新しいくらいだ。


 「マルチナさん、本当にこんなところであのパンが?」

 「そうっすよ。不思議っすねー」


 私たちは奥に聞こえないように、小声で言葉を交わす。

 マルチナさんがこの近所で話を聞いたところ、テリーさんは元々大工をしていたらしいが、なにを思ったのかある日突然パンを焼き始めたのだそうだ。

 最初は当然食えたような代物ではなかったようだが、すぐに美味しいパン、それも食べたことのないような味のパンが作られるようになったのだとか。


 「天賦の才ってやつっすかね。けどもったいないっすよね。レシピを売るなり、自分を売るなりすれば、もっといい場所にだって住めそうなのに。ここを動く気はないそうっすよ」


 天賦の才とか秘伝のレシピとか。

 そんなものだけで片付けられる味でないことを私は知っている。

 あのパンを再現するのに、どれだけのものが必要なのか。

 余程のお金とコネがなければ手に入らない高級素材をふんだんに使って、かつ一流のパン職人が作ってようやく。

 あのパンを食べたお母様は、そう結論付けていた。

 けれど今日、この店を訪れて私は確信した。

 あのパンの味、そして忘れもしない女の名前。

  

 「どうしたっす?そんなどんよりした顔して」

 「ええ、ちょっと考え事を」


 出来ることならこのまま出会わずに帰りたいなーという思いをなんとか振り払い、薄笑いを浮かべる。

 そこに外をどたどたを走る足音と共に、ひとりの中年男性が店に飛び込んできた。


 「テリー、大変だっ、お前んとこの嬢ちゃんがっ、アリスが、さらわれた!!!」


 ……はぁ?


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 「ここで男たちに囲まれたと思ったら、あっという間に」


 テリーさんが奥さんと共に現場に駆け付けると、恰幅のよい中年女性が警ら兵と話をしていた。

 私はというと、ウイリアムさん達が慌てて出て行ってしまったため、どうしようかと悩んでいたら、マルチナさんに有無を言わさず腕を抱えられてここまで連れてこられてしまった。

 どうやらアリスは帰り道で、突然現れた3人のごろつき風の男たちに連れ去られてしまったようだ。

 アリスを抱えたごろつきたちの逃げていった裏路地は、行き止まりになっていて、手掛かりらしきものも残ってはいなかった。


 「さらわれる心当たりは?」

 「……いえ、特には」

 「お宅んとこのアリスちゃん、えらい別嬪べっぴんさんだったからねえ」

 「そ、そんなっ……」


 警ら兵の質問に答えられないウイリアムさんに、中年女性が余計なことを言った。

 

 「ここって、可愛いだけで誘拐されるほど治安が?」

 「さすがにそれはないっすけど……あの通りの先が貧民街との境になるっすから、そっちの子と勘違いすれば、ありえない話しじゃあないかもっすよ」


 私たちは互いに耳打ちし合った。


 「けど、さらわれた理由は多分別っすね。ちょっと言ってくるっす」

 「ちょ、マルチナさん」


 マルチナさんは警ら兵に大声で訴えている大人たちの輪に、躊躇なく入っていった。


 「テリーさんとこに、レシピ買い取りたいってひと来なかったっすか」

 「マルチナちゃん、今はそんなこと関係ないじゃないかっ」

 「そうっすか?本気でレシピ欲しいなら、娘の誘拐くらいするっすよね」


 マルチナさんがさも当然のように言い放つと、大人たちは沈黙してしまった。

 ……ああ、そっちかー。

 私は納得しすぎるほど納得してしまった。

 歴史ものあるあるだわ。

 下町に暮らす平民、それも元大工のテリーさん夫妻には全く縁のなさそうなシチュエーション。

 彼らが貴族や商人の本当の怖さを知らなくても、無理はない。

 テリーさんはレシピを求めてきた者の名前を思い出しつつ、警ら兵に告げた。

 明らかな繋がりこそないものの、貴族や大商人が関わっている可能性が見えると、警ら兵の態度が明らかに及び腰になるのが見えた。

 いっそレシピを渡してしまえばよいとでも言いたげな警ら兵に、言葉を濁すテリーさん。

 周りの目には、愛娘とレシピを天秤に掛けているように見えるだろうか。

 無論、誘拐犯の狙いがそれと決まったわけではないので、警ら兵も一通りの話をして、警ら隊本部に持ち帰ると言い残して去っていった。

 沈痛な面持ちで店へと戻ったテリー夫妻と私たち。


 「……すまなかったね。折角娘に会いに来てくれたのに」

 「そんなことはありません。こちらこそお邪魔をしてしまって」

 「レシピ渡しちゃえば片付くと思うっすけどね。そんな大事っすか?レシピ」

 「マルチナさんっ」

 「それが……出来ればいいんだけど」

 

 テリーさんが口ごもる。

 

 「そもそも、レシピなんて存在しないんじゃないのですか?」

 「そ、そんなことはっ」


 一人娘と同年代の私の言葉に、明らかに動揺するテリー夫妻。

 

 「もしかしてあのパンは、アリスさんが作っているのではありませんか。……いえ、言い直しましょう。アリスさんの持つ不思議な力で、美味しいパンが出来ているのではないですか」


 テリー夫妻の目が驚きに見開かれ、続いて恐怖に染まる。


 「なななんで、そんなことを」


 絞り出すような声で問いかけるテリーさん。


 「だってそうでしょう。王都で食べられるどんなパンよりも美味しいパンが、こんな下町で作れるはずがありませんもの」


 私は言葉を続けようとして、ふと自分の今の服装を思い出す。


 「ああ、この格好では信じられないのも無理はありませんわね。あらためて私、グランノーズ公爵家長女のレイティアと言います。ああ、不敬に対する謝罪も平伏も結構。故あって本日はこのような服で来たのですから、気付かなくて当然。そうでしょうクラリッサ」

 「はい、お嬢様」

 

 テリー夫妻の顔にそんな馬鹿なという言葉がでかでかと浮かんでいる。

 それはそうだろう。

 式典の行進で遠くに見ることはあっても、目の前に立つことなど一生あり得ない存在がここにいたなど、誰が信じられるものか。

 私はこほんと咳払い。


 「単刀直入に言います。テリー、貴方の一人娘アリスは聖女候補……いえ、次代聖女に最も近い存在の可能性があります」


 私以外の全員、それこそマルチナさんやクラリッサの顔にすら、そんな馬鹿なという言葉が、でかでかと浮かんでいた。

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